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他人からの「いいね」より、自分の「すき」に正直でいたい

ちいさいころにすきだったことを

おとなになってもすきでいてもいい

なんて、誰も教えてくれなかった。



たとえば、

さむぅい朝に、バリバリと霜柱を踏むこと

足がしびれるまで、しゃがみこんで公園のアリをながめること

水しぶきが空中で玉になる、一瞬のキラキラを逃さずみつけること

雲の形がなににみえるか、空想してあそぶこと


「もう、おとなだから」

というよくわからない理由で

「すき」を諦めたり、蓋をして心の奥にしまわれてたりする。


私の「すき」たちは、丁寧に箱にいれられてリボンまでかけられて

大切に奥のほうにしまわれていた。


おとなのふりをするのに疲れて、心が病気になってしまった私は

その箱を開けることにした。


リボンがかけられたそれは、まるで40になった私へのプレゼントのようで

ひとつひとつ、取り出しては大切にたしかめた。


霜柱をふんでみた。

アリを思う存分、ながめてみた。

雲をみて、空想の世界を旅してみた。

水しぶきは、あの頃とかわらず宝石みたいにきれいだった。


そうして、少しずつ自分の「すき」を確認していった。

あの頃の「すき」が輪郭をとりもどしていくごとに

心も少しずつ、元気をとりもどして

少しずつ、自由を感じられた。


そうだった。

あの頃のわたしは

紙とペンがあれば、何時間でも空想の世界に飛び立てて

限りない自由を感じたんだった。


書くことを、描くことを、

すきを

怖がらなくていい。


他人からの「いいね」よりも

自分の「すき」に正直でいたい

そんなお年頃だから。

あの頃の「すき」をもう一度。


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