『アニース』復活! そして再休刊

2001年夏、またもや何が起こった!?って感じですけど、『アニース』が復刊しました。その前年の忘年会だったかな(谷山廣さんやブルちゃん、マツコもいた)、いきなりテラ出版オーナーに呼ばれまして、またやらない?と。

この号は「1971-2001 コミニュティの歴史」特集。資料として秀逸ですよー(笑)。もともと『月光』文通欄で知り合った友人であり尊敬する先輩である溝口彰子さんは今でも加筆したものを大学の授業で使ってくださっているとか。画像5

表紙が写真になったのはイメージ一新というのと、高嶋りかさんがNY移住してたから、だったかな。2号からはキャッチコピーが「レズビアン&バイセクシュアル、セクシュアルマイノリティのための雑誌」に。

※追記。画像は拾い画(笑)なんですけど、あえて小さくしています。というのも、表紙のモデルさんたちは本当のカップル。顔がはっきりはわからない写真を使っていて、もちろん書店流通およびメディアに出ることは了承をいただいた上ですが、20年もたてばいろいろ状況も変わっていらっしゃると思うので。
ここで少し裏話。テラ出版からは小倉東さんが編集長の“ゲイのためのまったく新しいスタイル・マガジン”『ファビュラス』(1999-2000)が刊行されています。その流れもあったといえばあったのですが、表紙をイラストではなく写真にしたのは『バディ』よりも『アニース』が先。新しいロゴとデザインはバディのデザイナーが担当してくれました。写真は当初、フォトグラファー戸崎美和(※崎は正確には「大」ではなく「立」)さんの作品を使わせてもらう予定だったのですが、夜のイメージが強いものが多く、明るいイメージを打ち出していきたいアニースとは少し路線が違いました。そこでたまたま出かけたLOUD(※中野にあるレズビアンとバイセクシュアル女性のためのスペース)で知り合った若いカップルにモデルを依頼。戸崎さんはタイトなスケジュールを縫って、テラ出版屋上での撮影に応じてくれました。この表紙は今でも思い入れがあるし、我ながら素晴らしい!と(自画自賛)。その後の号のカップルさんはボランティアで手伝ってくれていた人にいきなり「出てくれ!」と無茶ぶりしたり、戸崎さんの紹介だったり、応募してくれた読者だったり。この、リアルな当事者たちに顔を出して存在をアピールしてもらうという手法は『宝島』のときから意図的にやっているものなのですが、これも社会および自分たちの意識を変えていく上で大きな意義があったのではないかと(自画自賛)。

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※追記。90年代のアニースと復刊後には表紙だけでなく、いくつか大きな違いがあります。いちばんは以前はメインであり、存在意義でもあった通信欄(文通欄)をなくしたこと。文通欄についてはまた詳しく書きたいと思いますが、転送作業が編集部の大きな負担になっていたのです。少し記憶が曖昧ですが、復刊後は編集部に常勤という形態を取りませんでした。小清水さんはメディアワークスと掛け持ち、デザイナーのつるみつるさんも、イラストレーター&雑用係の高橋杏実さんもそれぞれに仕事がありました。以前、アニース編集部があったビルの10階はバディのwebチームが使っていて、必要なときだけ一部を間借りする形に(余談ですが、そのwebチームのひとりは今、フォトグラファーとして大活躍中。感慨深い)。

復刊アニースは2003年冬まで4号出して、再び休刊。
編集部も小清水さん、つるみつるさんが抜け、新たに『G-men』のパーティーで知り合った松田金庫さんがデザイナーとして加わってくれました。後半はバディ編集部のよしはるさんが進行管理や印刷所とのやりとりを助けてくれて、クラブ情報などのページはチッコーネさんが手伝ってくれていました。
最後に作ったのはコミックス総集編『リカって感じ!?』(2003)。NYの高嶋さんとの遠隔作業、楽しかった! お、この号のデザイナーは谷山廣さんだ!

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wikiによれば2002-2005年(全10冊)、“女の子と女の子のためのオカズ本”『カーミラ』がポット出版から発行されて、パイが小さいなかで競合するほど力がなかったのと、使命は終えたかなという感覚があり、本業との両立で疲れ果ててもいたので、どちらかというと編集部の側の決断だったと思います。ざっくりした記憶ですが、『カーミラ』はわりと早い段階からAmazonなどの通販が導入されていて、『アニース』はその部分で出遅れたのと、大きな存在意義だった文通欄と情報がネットで補えるようになったので、役目を終えた、という感じ。
『フリーネ』から生まれてアイコンのように人気を集めたリカちゃんを1冊にまとめることができたのはとてもよかったと思っています。と同時に、やはり人気だった「プリカちゃん」の総集編も作りたかったなぁと当時は心残りでした(「プリカちゃん」はミニコミ/同人誌系で1冊にまとめたものが作られました)。『アニース』は誌面に限りがあり、季刊ということもあって、長編漫画を掲載するのは難しく、4コマや短編漫画が人気でした。百合漫画の第一人者(でいいのかな?)の森島明子さんの商業誌デビューもアニースだったんですよー。全員の名前を挙げることはできませんが、友人でもあり、リアルな作品を寄せてくれたタデノナギコさん、プロなのに快く寄稿してくださった江川広美さん、インタビューに応じてくれたやまじえびねさんなど、多くの漫画家さんたちにお世話になりました(小説家の皆さんのことはまた改めて。編集を手伝ってくれた瑞月かずこさん、まゆちゃん、真雪ちゃんのこともまた)。

『アニース』などを通じて、やりたかったことはいろいろありますが、大きかったのは、ミニコミではなく書店に流通させる、と同時に、些少でもギャラを出す!ということ。作家さんたちもページ1000円とか、雀の涙でしたけど、それでもゼロではなかったですし、わたしたち編集部も時給や原稿料はいただいていました。 ただ、読者の方にボランティアでお手伝いをお願いしたことはあります。取材協力やチラシ作成とか広告関連のこととか。今でも頭が上がりません。ありがとうございました!  何人かの方とは今でも交流が続いていてうれしい限りです。

※追記。ひとまず終了。また暇なときに、『フリーネ』に至るまでのことで覚えていること、文通欄解説など、書きたいと思いますー。

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