日本初の女性を愛する女性のための商業誌『フリーネ』のこと。
※Twitterに書きなぐったことを推敲してまとめています。
日本で最初の「女性を愛する女性のための」商業雑誌『フリーネ』。1995年、三和出版から、レディースコミック『タブー』の増刊号として出版され、取次を通して一般書店に並びました。新しい点は2つ、L限定ではなく、BやTも含む編集方針だったことと、商業雑誌である、ということ。
別冊宝島『女を愛する女たちの物語』(1987)、単行本『「レズビアン」である、ということ』(1992/掛札悠子著/河出書房新社)、別冊宝島『ゲイの贈り物』(1992)などの出版物、ミニコミはすでに多数ありましたが、『フリーネ』は定期的に一般書店に流通するカルチャー&情報雑誌という位置づけです。
三和出版では男性向けに女性同士の絡みを載せた“耽美派レズビアン・マガジン”というキャッチコピーの雑誌『Eve&Eve』を出していましたが、予想外に女性読者からの反響が大きく、女性向けの雑誌も需要があるのではないか、と企画が立ち上がりました。
また、別の流れとして、レディースコミックの1ジャンルとしてレズビアンものがありました。同社のレディコミ『タブー』や『Eve&Eve』に描いていた女性漫画家さんのなかから、そういう作品が得意だった数人に、女性向けレズビアン作品を、という発注がなされました。
わたし自身は印刷業界新聞、某大手旅行ガイド出版社、レコード会社のPR誌などを作る編プロを経て、フリーになったばかりのライターで、クラブで知り合った友人の誘いで伏見憲明さんや藤本由香里さんらが登壇なさっていたトークショーに行ったことがきっかけで、掛札悠子さん、深澤真紀さんらと知り合いました。
別冊宝島のゲイ3部作の第1巻『ゲイの贈り物』(1992)に、伏見さんが「レズビアンのページも必要!」と主張してくださり、編集と執筆を担当。アルファベットで執筆者が明記されていますが、実はゲイ小説紹介の大半はわたしが執筆しています(今のペンネームとは別名です)。
このとき、小倉東(マーガレット)さん、大塚隆史さんとも知り合い、宝島本誌のゲイ特集、レズビアン特集、ゲイ関連の連載などに関わらせていただきました。また、掛札さんの誘いでミニコミ『LABRYS』(ラブリス)の編集、発行(印刷とか発送作業とか!)にも参加。
ここでやっと話がつながる(笑)。宝島経由だったかと思うのですが、当事者不在での雑誌づくりに行き詰まった三和出版から「誰か紹介してほしい」というオファーが舞い込みました。掛札さんかわたしか、というところで、エロ系の流れに耐えられそうなほう、と、わたしに白羽の矢が(笑)。掛札さんのご協力も仰ぎつつ、すでにある程度、発注の進んでいた『フリーネ』に加わることになりました。
『フリーネ』の編集長は(おそらく)シスヘテロ男性の清水心さん。わたしと常勤アルバイトの彩女ちゃんというバイセクシュアル女性2名、アドバイザー的に瑞月かずこさん、石野祥子さんというレズビアン自認のおふたりにも助けてもらい、(編集長の後書きによれば)構想3年、制作4カ月で完成しました。
『フリーネ』という名前は編集長がボオドレールの詩集『悪の華』収録の「レスボスの島」から引用したもの。当時はレズビアンという言葉にはエロのイメージがつきまとっていたこともあり、書店で手に取ってもらいやすいように、キャッチコピーは「女性を愛するあなたに捧げる」、誌面では自分たちのことを「フリーネ」と呼ぼうと提案。
※追記。創刊号の扉にはその詩を引用した上で、次のように記しています(クレジットは入っていないのですが、編集長の前書きがものすごく長かったので、わたしがリライトさせてもらった記憶)。
「(略)そんな彼女の強く美しいイメージをもとに、“女性にシンパシーを抱くカッコイイ女性たち”を、「フリーネ」と名付けました。『フリーネ』は男性にこびない、かといって片意地もはらない--自分に素直に現代を生きるナチュラルな女性たちに贈る、まったく新しいレディースマガジン。女性が同性に対して抱く普遍的で純粋な気持ちと、女性を愛する女性たちの多様な生きかたをポジティブにとらえて、応援していきたいと思います。」
わたしの主な仕事は、出雲まろうさん、高嶋りかさんらコミュニティで知り合った当事者の方々にできるだけたくさんご執筆いただくことと、麻姑仙女さん、虎井まさ衛さんら多様な立場の方のご意見を掲載すること。発注済みだった作品から当事者が違和感を覚える表現を減らすこと。
表紙は桜沢エリカさん、斎藤綾子さんと森奈津子さんの書き下ろし小説、松浦理英子さんとのご縁もこのときのインタビューから始まりました。濃すぎてすべてのお名前は挙げられないので、目次を見てください! 対向ページの原稿用紙は文通欄用(笑)!
最後に、当時のわたしの後書きから引用。“個人的に今回一番うれしかったのは、レズビアンオンリーというくくりではなくて、「女性を愛する女性」という間口を広げた形で雑誌作りができたこと。おかげで自然体で取り組めました”。そんな『フリーネ』をレズビアン雑誌と形容されるたび、今でも(文字数)。
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