『フリーネ』2号
先ほどの『フリーネ』第1号が1995年6月発行。同11月に発行された第2号がこれ。サイズもA5からA4変型へ。なんでこうなった!?って話ですよ(笑)。しかも、(30秒だけ)ワルあがきした挙げ句、この2号で休刊、というね。しかし、今見てもこの表紙は素敵。写真は新津保建秀さん、ヘア&メイクは小倉東さん。
コミック誌の体裁だった第1号が期待したほどは売れず、どうしたもんか?と編集長が相談したのが、彩女ちゃんに代わって常勤で入ってくれた小清水さん。海外ではこんなのが売れてますよーと見せたのが『CURVE』などのオシャレなグラビア雑誌。コミック主体がダメならグラビアか!?と挑戦したのが、第2号。
こちらが目次。正直、1号のノウハウは生かせないわ、依頼していた漫画家さんたちにキャンセルお願いしないといけないわ、なかなか大変でした。そして、1号目でつかんだ読者が書店で発見できない事案も発生し、おそらく部数はさらに下がって、あえなく休刊。
※追記。当時、隠語としてセクシュアルマイノリティのコミュニティを「ギョーカイ」と呼んでいました。ポルノのイメージの強かった「レズ」ではなく、「ビアン」という言葉を使い始めたのもこの頃。フリーネか宝島に「ビアンと呼ぼう、レズビアン」という記事を書いた記憶があるのですが、ちょっと今、確認できません。フランス帰りの友人が提案してくれたと思っていたのですが、去年、いっしょに宝島を作っていたゲイの梅ちゃん(梅木茂信さん)から「ぼくがビアンって言えば?って言ったら、やだ梅ちゃん、ダサイってバカにしたのに、後からちゃっかり使った」と責められた(笑)ので、経緯がよくわかりません~。その後、言葉のイメージは変化し、正確に「レズビアン」と発音する人が増えたように思います。今でも、「レズ」という略称は差別的な言葉として扱われていますが、当事者間で自称することは多いですし、「ビアン」のほうがむしろ恥ずかしいと感じる人も増えているのかもしれません。「ギョーカイ」は完全に消えた感がありますね。
※追記。お名前を挙げそびれましたが、表紙のデザインをしてくれたのは小池歩さん。モデルはもちろん、笹野みちるさん。新津保さんらを紹介してくれたのは瑞月かずこさん。細かいことは覚えていないのですが、撮影はハウススタジオだったか、どなたかのお宅だったか、予算のないなか、みんなが全力で協力してくれました。中ページのインタビュー用の写真も含め、長時間の撮影のあと、みんなで記念撮影をしたのも良い思い出。わたし自身も撮影に立ち合いましたが、最終的に表紙デザインのやりとりや細かい交渉をフォローしきれず、担当としてきちんと最後まで仕事をまっとうできなかったことを今も申し訳なく思っています。
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