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緊急事態宣言 15日目

あつ森チャレンジに3日目にして早くも失敗し、カウントが0に戻る。同居人が一週間ぶりに出社ということで、見送りには出たが、そのあと何の良心の呵責もなくほとんど帰巣本能というかんじでお布団に戻っていた。朝は本当に苦手である。

お昼ごはんに、Ubereatsでマクドナルドをデリバリーしてもらった。たぶん、2ヶ月ぶりのマクドナルド。ヘルシンキにいたとき、フィンランドのマクドナルドには黒パンというか、ライ麦とかなのかな、なんかそういうバンズのバーガーがあると聞いて行ってみたのだった。しかしバンズ以前に、まず注文がどでかいタッチパネルを使う方式だったので驚いた。それを使って注文して、しばらくぼーっとしていると番号で呼ばれて商品の受け取りをするが、ここでようやく店員さんにエンカウントするシステム。肝心のバンズはというと、正直普通の白くてフワフワのパンのほうがバーガーに合うだなあ、という知見を得たかたちだった。

オンラインで東大の東アジア藝文書院主催の「感染症の哲学」というシンポジウムを聞いていた。韓国や香港とも中継されて、計6名の研究者の発表を聴講するかんじ。わたしは研究上というわけではなくほとんど個人的にハンナ・アレントに関心を持っていたりするので、アレントの『人間の条件』の解釈に踏み込む話を聞けたのはよかった。あとはやはりいち早くこの問題に反応し、応答記事も書き続けているということでアガンベンの話もかなり出ていた。アガンベンは、コロナの蔓延によって葬儀なども禁止されるなか、死者の権利が蔑ろにされている、ということを述べたうえで、「生存以外にいかなる価値も持たない社会とはいったいなんなのか」と問いかけている。こういう彼の発言を受けて、國分功一郎さんは、現在のような特殊な状況において、人に考えさせることを言える人が大哲学者だ、というような趣旨のことをおっしゃっていてなるほどなと思う。

シンポジウムのあと、桜美林大学の第一回の講義で使う資料を作っていた。わたしの「現代美術論」の講義はいつもフェリックス・ゴンザレス=トレスの話から始まるのだが、それは彼のアートがその後の講義で触れる様々なイズムや潮流と関係しうるものであるからというのが大きいが、もうひとつは彼の作品はわたしが(おそらく)生まれてはじめてみた現代アート作品のひとつだからである。第一回の横浜トリエンナーレに、小学校の校外学習みたいなものだろうか、とにかくみんなで行った。ゴンザレス=トレスの作品以外のことは何も覚えていないのだが、卒業アルバムに写真が載っていたので、それはかつてあった、というのは確かである。その記憶に残った作品が誰によるものなのか、そしてその作品がどのような意味を持っていたのかを知ったのは、大学生になって読んだ本を通じてだったが。まあこのnoteを受講生が見ているとはまったく思えないが、講義のネタバレになるのでこのあたりにしておこう。しかし、ZOOMでの講義は回線などうまくいくだろうか。

よるごはんは、冷凍餃子を焼いて、そのうえにパクチーを乗せた。あと前日のマカロニサラダの残りと、それとは別に生野菜のサラダも用意した。同居人がレモンサワーも作ってくれた。寝坊してしまったぶん、夜も講義資料の続きと、いくつか細かな仕事の整理などを行った。最後に「凪のお暇」7巻を読んだ。この漫画は軽い気持ちで読み始めたけれど、本当に抉ってくるし、ちょうど親や故郷との関係をめぐる話になったのでもう楽しくは読めない。気のせいかもしれないが、主人公の内語が以前より増えたような気もして、それもなんとなくこちらを焦らせてくる。手荒れがひどくなって寝付けなかったので、kindleでノリで購入した『フィンランド人はなぜ午後4時で仕事が終わるのか』という本を読み始めた。関係あるのかないのかわからないが、ヘルシンキ大学の図書館で勉強していたとき、たしか20時まで開館していたはずだけれど18時を過ぎるとものすごく一気に人が減っていた。ずいぶん早く帰るんだな、と思ったが、いや自分の感覚がおかしいのか?と思い、わたしも早く帰ったりしていた。そんなことを思い出すと、ヘルシンキ滞在が2週間も短くなったのはやはり残念だったな、という気持ちになる。絶対いつか就職してサバティカルで1年間くらい滞在しに行くぞと決意を新たにして、そのためには日々頑張らないとと思い、寝た。



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