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緊急事態宣言 28日目

朝起きて、前日からせっせと整備を始めたベランダでフレンチトースト、りんご、ミネストローネの朝食をとる。しかし家が東向きということだと思うが、朝日がものすごく照りつけるので非常に暑い。ベランダはお茶向きかもしれない。そういえばちょっとよいティーポットがほしいのだった(なぜかというと、もともと使っていたポットは、なんとわたしがフィンランドに行っていた2ヶ月間ものあいだ、洗われないまま放置されたためにカビくさっていたので。洗ったけれど、気分的にできれば取り替えたい。それで、どうせ買うなら多少よさげなものがいい)。

知り合いの学振申請書についてまた電話でディスカッションをする。研究の話をさせていただいてこちらがありがたい、というレベルで議論に飢えている。そのあと、本を読んだり、「博士と彼女のセオリー」を観たりした。この映画、とにかく風景や小道具はきれいで、レッドメインの演技も素晴らしいのはわかるのだが、ストーリーのデティールが好みではなかった。実話にもとづくということだが、事実を知らないので映画のストーリーを内在的にみれば、いちばんきついと思ったのはジェーンが若き日に学業を諦めざるを得ず、またそれを周囲が疑問視したり労ったりするような描写がなかったことだろう。途中、介護や育児の合間に本を手に取るものの結局こどもに呼ばれて勉強できず、という描写はあるものの、あとは離婚ののちに彼女が博士号をとったというテロップが最後に出るだけ。そして、スティーヴンは脚光を浴びるのだ。これは病気の克服やそのための介護があったのだから、という話ではなく、ジェンダーをめぐる20世紀のメンタリティーの限界という気もする。またスティーヴンは、アメリカでの授賞式にはエレインを伴うのに対し、英国の「伝統」の象徴である王室への招待にはジェーンを伴う。これはエレインに対してまったく不誠実ではないかと思う。「新世界」には二番目の妻を、しかし伝統と家系がものを言う場には自分の子どもたちを産んだ女性を伴い、しかもその王室の庭で「僕らがつくったもの」として子どもたちに言及する。この保守的な世界観を首肯することはできない。とはいえもちろん、若き日に病のため人生を諦めかけた自分を救ってくれたジェーンと、彼女に対する負担を理解したうえでの日々のなか良き理解者として現れたエレインの双方を彼が愛するというその感情の機微については理解できるし、その点をレッドメインの演技はじゅうぶんにカバーしていたと思う。なので最後まで観ることができたし、それは良い経験にもなった。

本を読んでいるうちに夕方になり、そしてよるごはんには味のついて売っていた肉を焼き、野菜のナムルと高野豆腐の煮物を作った。食後、ひさしぶりに入浴してそこでも本を読み、風呂上りにはヨガもした。これもあいだが開いてしまったが、定期的にやったほうがよいだろう。マンハッタンというカクテルを飲みながらマジック ザ ギャザリングというカードゲームで同居人と遊び、プロジェクターで天井に投影したOKUDAIRA BASEというYouTuberの動画にツッコミを入れながら寝た。夜中、地震が来て、市の無線放送が外から流れてきて完全に覚醒してしまった。

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