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「愛されるよりも、愛したい」まじで?[97/100]

私が中学生のころ流行ったKinKi Kidsの『愛されるよりも、愛したい』のフレーズを聞いて、友人は「そうだよね」と言っていた。

私は相槌を打ちながら、実は「まじで?」と思っていた。愛されたい、私は。愛されない人に愛をささげるほどの度量を持ち合わせていなかった。初恋の人には、フラれてしまったしね。

大学の頃になると、愛されるか、愛するかは比べるものではないとわかった。愛されると嬉しいけれど、こと恋愛に関しては、それはこちらが好意を抱いた相手からの愛でないと、持て余すというか、申し訳ない気持ちになった。

パートナーや就職など、席数が決まっているものに対して恋焦がれてしまうと、それが叶わない可能性がある。勝敗のある競争は、昔から怖くて苦手だ。それは今も変わらない。

だけど最近「席数が関係ない事象に恋焦がれるのは楽しい」と思った。「こうなりたい」と思う憧れのあの人。いつか必ずと思う仕事。死ぬまでに必ずやりたいと思うこと。行きたい場所。

それらが私を導いてくれる。潜在意識に強く働きかけて、選択のときによりそっちに近づける方を選択する。

「愛される」とか「愛したい」とか、考えている時はまだ、その余裕がある。気づいたときには愛されていて、愛してた。そんな感じが、シックリくる気がしている。

一緒じゃないほうの時間に、その人の”不在の存在感”を感じるのが好きだ。
恋人だけじゃなく、友人でも推しでも死んだ親でも、「じゃないほうの時間」に思い浮かべる人がいる人生は豊かだなと思う。

仕事も同じだと思う。

じゃないほうの時間【さとゆみの今日もコレカラ/第65回】



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