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誰だって褒めてほしいんじゃないか[100 days challenge_day15]

新年度、赴任してきた若い先生が二女の担任になった。
最初は近寄らずにネコのように密かに観察していたらしい。
3日目くらいから「あの先生、めっちゃくちゃ好き!」と毎日先生のことを話してくれるようになった。すっかりなついている。

とにかくなんでも褒めてくれる

聞けば「とにかくなんでも褒めてくれたり、ありがとうって言ってくれる」んだそうだ。

具体的にどんなことかと言えば、図工室や家庭科室の場所を教えてあげたとか、「静かにしてください」を1回だけで静かになったとか、大きな声で挨拶したとか。

どれも子どもたちにとっては、それなりに「普通」のこと。
だけど、先生が喜んでくれる。それで嬉しくなるんだそう。
二女は俄然やる気マンマン。素敵な5年生になる! と、進研ゼミの漫画の主人公のような笑顔を見せた。

褒める基準が人によって違うかもしれない問題


「まだ小5、可愛いよのう…」と思っていたが、さらに話があった。

「今までの先生はね、いつもちゃんとしてる子には、褒めてくれなかった。
だけど、いつも忘れ物する男子が忘れなかったりしたら、褒められてた。
おかしいって思ってた」と言うのだ。

うーん。なるほど。
だからと言って彼女は「じゃあ、わたしも忘れよう」とかは思わなかったし、他の子も「そんなもん」だと思っていたみたいなんだけど。

(先に断っておきますが、私はこれから、めちゃくちゃ私の器が小さいって話をします)
私もね、以前、とにかく仕事で新卒が少し仕事しただけでめちゃくちゃ褒められてるの見て「え? 仕事ほっぽって帰るのに、ちょっとやったらその対応?」って嫉妬した過去を思い出した。

「あいつはデートで17時に帰るとか意味わからん! 私だってさっさと帰って寝たい!」と思っていた。
まだ若かったのでマネージャーに文句も言った気がする。なんて言われたかすっかり忘れたが、「マネジメントは、その人の段階により変わる」的な感じのことを言われたし、同僚からは「同じレベルじゃないでしょ」と一生懸命励ましてもらった気がする。

人の目を気にする、小心者のわたしは、あんまり言いすぎるとちっせぇ人間感が増してしまうと判断。納得していないけれど仕方なく口をつぐんだ。
同様のことは実はよくある。
同様のこととは、なにかって?
なぜ同じことをやっても、あの人は褒められて、私は褒められない??
私だって褒めてほしい!!(笑)ってことです。

そういえば、最近、このコラムを読んで「なんだ、多かれ少なかれみんな『私だって同じくらい褒められたい』と思っているとわかって、すごく安心した。

岸田奈美さんのnoteだ。

ご存知の通り、人としての器が刺身醤油皿ほどしかねえので。
弟だけが褒められるってのは、ろくすっぽ面白くねえわけで。

岸田奈美さんnote「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」より

弟さんはコンビニにおつかいに行っただけで褒められるのに、自分は!! という岸田さんから出た2行。なぜかめっちゃここに共感してしまった。

というわけで、私は基本的に「誰にでも同じ基準でほめる人」が好きです。

褒めることは、良くないことなのか?

ただ、教育者の中には「褒める」ことを是としない人もいて。
私も『「ほめない子育て」で子どもは伸びる: 声かけをちょっと変えただけで驚くほど変わる』を読みました。読みながら、それこそ首がもげるほどうなずいた。

確かに、褒めることを多用することで、支配することになるとは思う。褒められるように判断するようになったら、自分の気持ちがわからなくなることもあるだろう。
褒められなくなったときに、やる気がなくなったり、褒められなくなったとき、それに対して怒りを感じるかもしれない。

だから、褒めるってすごく中毒性があって怖いと感じている。おいしいけれど、体に悪い、砂糖みたいな感じかなぁ。

でもそのうえで。
褒めるっていいよね。ってやっぱり思う。

保護者会で先生にごあいさつした時に「褒めているというより、本当にありがたいな、って思ったら、感謝を伝えています」と言っていた。

感謝と褒めは似て非なるものなり。
「褒める」ことの中毒性や支配性を弱めつつ、うれしい気持ちになる「シン・褒め方」は、当たり前を当たり前と思わず、感謝することなのかもしれない。
まだわからないけれど。

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