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「意図していない摩擦を生みたくない」家庭平和につながるコミュニケーションに必要な考え方を『ソーシャルジャスティス』で学んだ[29/100]

気付かずに「そっちこそどうなんだ主義者」になっていた

「あれ……財布と家の鍵が入っているカバンがない!」と私が気付いたのは、飛行機が羽田に向けて飛び立つ10分前。すでに飛行機の席に着き、楽しかった家族旅行は最終局面、家まで無事に帰れますように……と思うようなタイミングだった。横に座っている娘の顔が引きつり、夫はギョッとした表情を見せた。

「なんで、一番大事なカバンがないことに、すぐに気付かないの! そもそも、無くさないでしょ!」と声を荒げる夫に対し、言ってしまった一言は「先月、酔っぱらって財布なくした人に言われたくないね!」であった。どんな夫婦だというツッコみはさておき、私は夫婦喧嘩のときに「そういうあなたはどうなのよ」と言ってしまうことがよくある。

この論理が破綻していることには、実は気付けていなかったのだが、違和感は覚えていた。注意をする人が過去に同じような間違いや失敗をしてしまっていたとしたら、注意してはいけないということになってしまう。しかし、完全無欠な人なんていない。

この不毛な反撃を「Whataboutism(そっちこそどうなんだ主義)」というのだそうだ。「あなただって……」と相手の欠点などを指摘することで、本来の論点である自分の問題点に関する議論を避けるために相手の言動を揶揄したり、過去の行動を攻撃したりすることを指す。小児精神科医である内田舞先生は自著『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)という本の中で、このような“論理のねじれ”に気付くことこそ、炎上を防ぎ、相手を不要に傷つけず、自分の心を守ってくれる強い鎧の役割を果たすと述べている。

『ソーシャルジャスティス』はハーバード大学准教授であり、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長でもある医師、内田舞さんの著書だ。内田さんは、ご自身が第3子妊娠中に、自分や家族、そして胎児のことを考えたうえで、医師として安全だと判断し、コロナワクチンを接種した。そして、コロナワクチンの普及のためにSNSで発信したところ、炎上。多くの誹謗中傷に悩まされたという。この経験から「どのようにしたら世界がより良い方向に動くのか、個人が健やかな精神であり続けられるのか」を深く考察した内容が本書に綴られている。世界中にある人種や宗教、意見の相違による分断と対立、そしてSNSにより過激になった相手への攻撃。これが起こる原因を鋭く分析し、どのようにしたら起こりにくくなるかという内田さんなりの解決法が示されている。

冷静ではいられない時に、お守りになるコミュニケーション術

私には中学生の娘がおり、彼女はすでに私よりもスマホを使いこなし、多くのSNSにアカウントを持っている。SNSにまつわるトラブル話を聞くたびに他人事じゃないなと感じている。しかし、彼女はスマホやSNSとともに生きる世代だ。禁止すればいいという問題ではない。そして私自身は、SNSとの距離感を測りかねている。自分の興味のある情報を集めやすく、仲間もできやすいという利点も享受しているが、一方で発信することに対して怖さも感じている。おかげで、書き上げた投稿文を下書きに移すことが多い。しかし、ライターとは、SNS以上に多くの人の前で発言する立場でもある。不特定多数の前に立つことへの怖さは乗り越える必要があるだろう。本書は、その手助けをしてくれると感じた。

SNSでの発信だけでなく、家族とのコミュニケーションにも、この本で学んだ思考やコミュニケーションが役にたつ。先日、部活のために連日21時に帰ってきて、早朝出て行く娘に対し「体を休めないと良い結果も出ない。1日くらい、ゆっくり休む日をつくったらどうなのか」と強い口調で言ってしまった。私の言い方も悪かったと思うが、娘はそれを聞いて「ママは、私が頑張っていることを応援してくれないんだ。私が試合で良い結果を出さなくていいと思っているんだ」と言ってきた。私もこのとき、イライラしてしまっていたので「ちがうでしょ!」と応え、話は平行線となってしまった。しかし、数日後に冷静になったときに論理展開のねじれについて2人で話し合うことができた。私は彼女の体調が心配なのであって、それは部活での結果が悪くなってほしいと思って言ったことではないということを伝え、2人で振り返ることができた。

この論理展開のねじれを冷静に論理だって話し合えたことも、私が本書を読んでいたからであった。前述の「ママは私の好成績を望んでいない」というやり取りの論理展開のねじれは「strawman strategy(藁人形法)」というのだそうだ。相手の論点とは違うダミー(藁人形)のような論点を別に創り出し、そのダミーを攻撃するやり方だ。コミュニケーションの渦中にいる際には、感情的にもなっており、そのねじれた論理を「一理ある」と考えてしまいそうになる。だからこそ、論理展開のねじれる代表的な手法を事例とともに解説されている本書を読んで、認識しておくことで、違和感を抱いた際に「あれ? 今はちゃんと論点をずらさずに話ができているかな」と考えることができる。このような思考できるようになると、これまでの苦い思い出も、意外とこちら側に非はなかったなと振り返ることができ、成仏する気がした。

「社会的正義」というタイトルからもわかるが、本書には日常にある不条理への批判的な意見も多く記載されている。しかし、その表現方法は非常に優しい。本書は、内田さんの主張をただ列挙しているだけではない。意見が対立する人にも、彼女は丁寧に背景や意図を汲むためにヒアリングし、そのうえでご自身の意見を展開している。本書全体に流れる内田さんの受容の姿勢に、本当の知性を見せてもらった気がした。私も彼女のような人になりたい。まずは、夫からのもっともな指摘については「その通りです」と受け止められるように……なりたいな!

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