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自分の中の偏見の大きさに気づいて、愕然とし、そして飲食店で仕事したいと思った話

京都に、行っていた。
先輩に、会いに行った。
その方に初めてお会いしたのは私が23歳の時で、かれこれ17年ほどのお付き合いとなる。

初めてお会いしたとき、わたしはまさかこんなに長く連絡を取り続けることができるなんて思ってもなかった。とても憧れの、素敵な方は、17年経っても変わらず私の5歩くらい前を歩いている。いや、今回、飲みに行って、もう全然人としての器が違うなぁ、となんだか清々しい気持ちにさえなるほど、人としての器の大きさを目の当たりにした。

私をこのタイミングで京都に誘って(いざなって)くれたのは、昨年知り合ったライター仲間だ。
京都に行く用事があり、冒頭の先輩と飲むというので、「私も行っていい?」とほぼ反射的に聞いていた。

二次会で、高瀬川沿いの素敵なバーに行った。
バーに着いてしばらく楽しんでいたら、3人組のお兄さんたちが入ってきた。お兄さんと書いたが、私よりも10は上に見えた。大きくはない店内で、こちらは4人、あちらは3人。なかなかに混雑していた。

必然的な感じで、一緒に飲む。
バーのママはとても自然に気を遣ってくださって、全然困ったことにはならなかったのだけれど、私は「せっかくの珍しい、なんならもう一生ないかも知れない、4人の夜なのに」と少し恨めしい気持ちでお兄さんを見ていた。

昼間に慣れない京都の街を歩きまくったこともあり、疲れとアルコールのせいにして、私はお兄さんたちとのコミュニケーションを、早めに諦めた。

だけど。
他の3人は、違った。本好きで、web記事のライター名までチェックするほど文章に思い入れがあるとか、普段の仕事とか、古着を3人で買いに行ってたとか、ちゃんとめちゃくちゃ話を聞き出していた。

次の日の朝、すごく後悔した。
「ああ、私は昨日、眠いとか酔っ払ったとか言い訳をつけて、コミュニケーションを断絶したけれど、そうじゃなくて、酔っ払った知らない男性はめんどくさいとか、そういう偏見があったから、コミュニケーションしなかったな」と思った。

気をつけているけれど、気をつけたいと思っているけれど、私にはまだまだたくさん偏見がある。
高校時代に、飲食店でバイトをしたけれど、あのときは「お金を得る」ためだった。
私は今、生まれて初めて、「いろんな人と話せるように、スマートに気を遣える人になるために、飲食店で仕事がしたい」と思った。

始まりの種はいつも、何年か前に蒔かれている。

過去の花が咲いている今。
未来の蕾でいっぱいな今。(河井寛次郎)

思い返せば、あの日が始まりだった【さとゆみの今日もコレカラ/第134回】

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