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40歳目前で、まだ「どう生きるんだ」と考えている[31/100]

「どのように、この世界を見ているのか。個々の事象ではなく、この世界はどんなものか、人間とは何なのかという(独自の)世界観を持っているヤツは、ライターとしてだけでなく、人間としても、一生困らないと思う」

と、近藤康太郎さんは言った。

9月から開講された「『三行で撃つ』ためのライター講座」を受講している。9月30日、2回目の授業が終わり、乗り物酔いの後のような疲れを感じている。

「ライターはサービス業だ」
「文を書く。せっかくなら何か見せろ。それがサービス精神だ」
「語り口と、解釈が違うと同じ事象でも違うものとして表現できる」

近藤さんの一言一言に打ちのめされている自分がいた。
善く生きるってなんだろう、私は、文章を書いて、何を伝えたいのだろう、何をしたいのだろう。

迷子だ。

毎日、なんだかんだやることがある。
そこに胡坐をかいて、ただやることの取捨選択をせずに、できるだけできることをやっていたら、いつの間にか「楽しい」「やりたい」を感じて、動く力が弱ってきている気がする。

書きたいことがないなんて、ライター失格だなぁと思う。

近藤さんから「どう生きるんだ」と問われ続けたような2時間強の授業のあと、めまい。そして、うすっぺらな自分を呪う。
わたしがいつも迷って悩んでいるのは、「こう生きる」という軸がないからだな。

どう生きるんだ、
何が好きなんだ、
何がしたいんだ……

中二病か? わたしは。
かっこわりぃ。
でも、逃げちゃだめな気がする。

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