見出し画像

「休む」を考えたら「仕事」との距離感が見えた[58/100]

「休む」というお題で書いてくださいと言われました。「休み」ではなく「休暇」でもなく、「休む」という言葉から連想する話とのこと。
(略)
まず、私にとって「休む」は「寝る」だ。起きているときは、いつも休んでいない気がする。

「休む」で連想すること【さとゆみの今日もコレカラ/026】

と、いうことで、今日は私の「休む」を考えたいと思います。

私は平日、会社員として働いています。
「休む」というと、会社がない日。仕事をしなくていい日、というイメージが真っ先に浮かびました。

ただ、土日も仕事のことを考えているときもあります。仕事に直結はしないけれど、将来必要だと思われることを読んだり、体験したり。それは果たして、「休んでいる」のでしょうか。

土日に、仕事関係のことをやったときに「ああ、週末まで働いてしまった。貴重な休みをつぶしてしまった」と思うときも、正直あります。しかし、そう思わないときもあるのです。むしろ、無意識のうちに仕事につながる可能性のあるものを選択し、週末を使ってそれに取り組むことだってザラです。その時は「めちゃくちゃ充実した週末だった」と思うほどです。

この違いに、私にとっての「休む」がありそうです。
私にとって「休む」とは、自分が自分の主になること。

会社員であっても、フリーであっても、濃淡は違うとはいえ「雇用主」や「契約者」との主従関係が発生する場合がほとんどです。その主従関係を無視して、自分が「やりたい」と思うことをやれること。自分の行動を自分で100%決められる時間。それが「休む」なのかもしれません。

仕事であっても、自分の意思や、想いに連動している仕事ができていた場合、それは主従関係を超えて、自分が1個人としてやりたいことを提供できている…ともいえそうです。

そう考えると「週末は完全にオフの時間として、仕事のことを考えたくない」と思っている時の労働環境は、どこか自分の心や信念に嘘をついて、平日の仕事を「こなしている」ということなのかもしれません。

「休む」を考えると、自分の中の「仕事」への考えがみえてくるんだなぁ……定期的に考えようと思います。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集