*どこを見るか*


こんにちは、こんばんは
山口真美です :)


今回は過去にあった出来事をお話しながら、わたしの想いをお伝えできればと。


昔グループホームで働いていた時に、入居者様の御家族様が面会に来られました。


その入居者様は車椅子に座られ、面会に来られた御家族様のお名前もわからなくなっていました。


そんな入居者様のお姿を見て
「移動も車いすでないと無理なんですね。
   わたしの名前もわからないし…」
と御家族が仰られました。


きっとお辛かったと思います。

今まで歩けてたのに、

ずっとずっと名前を呼んでくれてたのに、


『今まであったものが無くなる』
というのはとても辛いし苦しいですよね。

辛いし苦しい。
寂しくて悲しくて、
でもそれをぶつける場所もなくて、


同じ境遇ではないけれど
わたしもそんな気持ちを感じたことがあるから、わかります。とてもわかる。

そして介護士として、
そんな御家族様の気持ちにも寄り添いたい、寄り添わなければいけないと思っています。


ただ、少し悲しかった。


移動は車いすになったかもしれない、

御家族様のお名前はわからないかもしれない、

でもその入居者様はその時、御自身でお箸とお茶碗を持ってお食事されていたんです。


白米を食べて「うまいなぁー!」

お味噌汁を飲んで「あっついなー!」

そんなことを仰りながらパクパク食べていました。


あぁ、この光景は見えてないのかな。


そう思うと悲しかったです。


悪いと言ってるんじゃない。


ただ、<無くなったもの> に焦点を当てるばっかりに <今目の前にあるもの> が影に隠れてしまうのは、もったいないなと思いました。


でもこれってやってしまう。

というか、人間ってそうなってるんだと思います。

マイナスやネガティブの方が強く残るようになっているんだ、と実際聞くし多分みんな経験してるんじゃないかな。

だからこそ、

どこに目を向けるか、

『どこを見るか』

が大事なんだとおもいます。


なんか、黒猫の話と似ていますね。



「他人に言ってる言葉って、実は自分に向けて喋ってるんだよ。」

昔教えてもらって言葉です。

きっと今のわたしの課題なんだな。
自分の目線の先を変えることに気付く時なんだろうなと感じています。


<あるものに目を向ける>


これを読んでくれているあなが、そんなふうに生きていってくれたら嬉しいです。

一緒にね。


読んで頂きありがとうございました :)