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CahierdeVoyageパリアムステルダム旅日記1991

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"Cahier de Voyageパリ-アムステルダム旅日記1991”は26才はじめて海外一人旅をした時の旅絵日記です。毎日パリを歩きまくり、毎夜書きなぐった覚書のような日記です…
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2023年6月の記事一覧

旅日記最終回・25日目帰国・スキポール空港から(1991年8月23日)

フランスとオランダは時差がない。しかしオランダとロシアは1時間の時差がある。これがややこしくて、トランジットのモスクワ空港で大失敗。今ならスマホで正確に時間がわかるかもしれないが、空港にある時計も合っているのかどうか、わからない。適当に勘で自分の時計を直したら、それが間違っていた。ふと気がつくとまわりに誰もいない…….。ギリギリセーフで乗り込んで、座った瞬間に飛行機が動き出した。ああ、今考えてもドキドキする。人生であんなに焦ったことはない。 スキポール空港を12時50分(日

旅日記24日目旅の最終日アムステルダム国立美術館(1991年8月22日)

1991年8月19日ソ連8月クーデーターが発生してクリミア半島の別荘に軟禁されていたゴルバチョフが、アエロフロート特別機でモスクワにもどってきた時の事を書いている。アムステルダム最後の日は、フェルメールを観るためにアムステルダム国立美術館へ。武蔵野美術短期大学の時に受けていた生物学講義で名物教授の国井喜章先生がフェルメールや同じデルフト出身の学者レーウェンフックのお話されていて、ずっと本物を観てみたかったのだ。残念ながら今回の旅ではデルフトには行けなかった。 Madness

旅日記23日目デン・ハーグのマウリッツハイス美術館へ(1991年8月21日)

「楽園のアダムとイブ」についてブリューゲル親子の合作と書いているが、私は勘違いをしていたようだ。ブリューゲルは何人もいて「ピーテル・ブリューゲル(父)」とその息子「ピーテル・ブリューゲル(子)」がいて、その弟が「ヤン・ブリューゲル(父)」そのまた息子の「ヤン・ブリューゲル(子)」などなど、みんな画家になっている。「楽園」はそのヤン・ブリューゲル(父)と「ピーテル・パウル・ルーベンス」との合作とのこと。ややこしい。行けなかった「マドローダム」とはミニチュア・タウン。その後、訪ね

旅日記22日目ベルギー・ブリュッセルへ(1991年8月20日)

アムステルダムからブリュッセルは列車で約2時間。まずはグラン・プラスへ。1997年には世界遺産に登録されたこの広場はゴシック建築とバロック建築の豪華絢爛な建造物に囲まれた広場。ゴシック建築がちょっと苦手な私には威圧感のある印象。そこから5分ほど歩くと有名な「Manneken-pis小便小僧」がある。今も季節ごとにさまざまな衣装を着せられ愛されている。 Parc du Cinquantenaireサンカントネール公園の中にある王立美術歴史博物館はヨーロッパ最大級の博物館だそう

旅日記21日目郵便局とアンネ・クランクの家へ(1991年8月19日)

旅日記20日目アムス散策、古本市へ(1991年8月18日)

コンセルトヘボウはコンサートホールのこと。終点のスローテルダイク駅まで30分くらいトラムに揺られていた。観光名所ではないが、美しいデザインのきれいな駅だった。目的の国立博物館はあきらめて、街をぶらぶら。おもちゃ屋さんに入ってみた。 アムステルダムにはいくつか蚤の市が立っているが、私は古本市に行ったようだ。オランダはデザインの国なので、デザイン本もたくさんあって楽しい。 この時買った「Nederlandse postzegels」がこれ。 インターネットも無い時代に、旅先で

旅日記19日目アムステルダム・ゴッホ美術館&市立美術館(1991年8月17日)

ゴッホ美術館は1994年に黒川紀章が設計した別館がオープンしたそうだ。 そして、すぐ近くにあるアムステルダム市立美術館へ。こちらの美術館ではたくさんの出会いあり。 Jan Bonsのことを調べても詳しく出てこないが「90 affiches of Jan Bons」という展覧会が2008年にロッテルダムであったようなので、リンクを貼っておく。とってもカラフルで大胆。Anthon Beekeというオランダを代表するグラフィックデザイナーの作品も多数あった。市立美術館も2012年

旅日記17日目パリからアムステルダムへ(1991年8月15日)

国際列車に乗るためにパリ北駅へ。 親切なおねえさんに「D'où venez-vou?(どこの出身なの?)」と聞かれ、「Je visit à Musée Van Gogh(ゴッホ美術館に行きます)」とそのひとつ前に聞かれた事を考えていたので、トンチンカンな答えをしてしまった。冷静に考えるとわかる程度の会話だったのに。外国語会話で大切なのは、慌てないことだなと思う。 RERという高速メトロに乗ろうと思ったが上手く行かず、タクシーを使った。 北駅で知らないおじさんに荷物を見ていて