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「かた」をつける、お片づけ始動!

長年の「片付けてスッキリしたいけどなかなかできない」お片づけ案件がついに、ついに、動き出している。きっかけは、先日お願いしたセッション。お知らせがきて、こりゃやっとかなアカン、と思ってすぐ申し込んだものの、はっきりと可視化したいものがわかっていた訳ではなかった。だけどそれはそれ。こんな風に「我にとってひつようである」とやってきたものなら、当日ちゃんとこたえがわかる。わたしはただ、いつもの良い子ちゃんになっちゃう癖、「ホントのようでホントから遠いところにある、相手に喜んで欲しくて差し出す何か」を出さないようにじぶんを見張るだけ。しずかに、じぶん自身になってただそこにいれば、ひつようなものはいつもかならずやってくる。

そしてセッション当日、うんうん、そうなんだよねえ、わかるわあ…後から思えばはじめてお会いするわたしの深いところをなぜかぴっちり見せられていることの不思議に思いは至らず、じぶんでもすでに予測していたかのようなメッセージをいただき、胸とお腹に覚悟のようなものを感じていた。ああもう逃げられない。やっぱりそうなのだ。わかってはいたがここから移動するにはいま、そのことを終わらせなくてはいけないんだな。嬉しいけど恐い。たくさんの大切なメッセージの中に、この方角にあるこのようなものを見つけて、かたをつけなさい、というものが含まれていたから。


そこからのわたしの逃げっぷりは凄まじかった。

ただ、その部屋の扉を開けて押し入れの中を見る、それだけのことがなぜかできない。外出、家事、暴食、飲酒、怠惰、嘔吐、あらゆる方法でそこから遠ざかったが、意識はいつもそこにあった。まいにち頭の中では次々と考えが浮かんだ。苦しかった。家族につらつらと話した。わたしの本当の望みをわたし以上にわかってくれる家族。動けぬことへの言い訳が止まらないわたしに、夫はミルクボーイの漫才みたいにツッコミまくってくれた。ちょうど誕生日を迎えるところだった息子は、「片付けが終わるまで俺の誕生日パーティーはしなくていい。全部終わってから一緒にお祝いしよう」と言ってくれた。これ以上逃げ場のない完全な協力体制。

「一緒にやるよ、手伝うよ」と家族は言ってくれていたけれど、これはじぶんでかたをつけなきゃ、誰とやるってじぶんしかいないやん。頭で考えてこれまでは手をつけられなかった。ふと、昔読んだ本に書いてあったやり方を思い出した。部屋の中にあるもの、じぶんと調和が取れているか。Oリングで見てみよう。大きなたんすの引き出しから取り出したものを次々とOリングでテストした。判断はあっという間に終わったが、今まで感じなかった一致感に溢れていた。嘘みたいにテストの結果に納得できた。動き出したお片づけ、まずはきっちりと終わらせる。調和のとれた部屋、家の中、すごく楽しみ。


わたしがメッセージをいただき、読み解いてもらったセッションはこちら。また募集がありそうなので、ご興味持たれた方はぜひ!

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