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いつでも、うっとりしていたい

先月、土曜日のレッスンルームで。思わず、言ってしまったけれど。稽古場、板張りの床、舐めたいくらい好きって笑

冷たいリノリウムも好き。そこを裸足で走り回ることも、飛び跳ねるときの床と足が立てる音も、転がりながら少しずつ息を吐くことも、呼びかけた声の残り香みたいな響きも、ぜんぶ好き。

のっけから変態みたいな吐露ですが、稽古場って泡みたいなものもひっくるめて、可能性のすべてを抱えている場所だと思っている。何事も起こり得る。その可能性のデカさへの期待感が、自分の内側からみしみし、と湧き上がって、からだも大きく広がっていく気になる。


この用事は終わらせてしまって、早くうっとりする世界へ行きたい、そう思っていたけれど、どこにいても、うっとりできる自分になればよかった。何をしていても、うっとりできる自分になればよかった。今いる場をうっとりする場にするだけの自分になればよかった。わかってしまえば、すぐだね。

舞台のあと、すごく落ち込んだ。落ち込む?というよりただ衝撃だった。自分にとって、最高にうっとりするはずの場であり瞬間であり永遠であるはずの舞台で、どこかしらうっとりできていなかった。あーーん!何してんねや自分!これこそ楽しんで、味わって、巻きこんで、愛して愛される最高の世界やのに!(これは、そういうことを舞台上でやっているかどうかに限らず、内面でも起こること)

日常での癖に負けた。他人を慮るふりして自分を守る弱さに負けた。決めきれず自分に責任を取ることへの恐怖に負けた。

絶対いやだ。もうこんなことしない。日常でも、早く終わってくれー!みたいな時間の使い方をやめていく。早く終わってくれー!じゃない瞬間をつくりだす。いろいろ負けすぎ!もっとうっとりメーターあげていこ!自分しかそこは守れないもん。

わたしにとって、もう我慢できへんねん、嫌やねん、を感じるための時間やったんかも、と思った。

毎回、終わりは「次に」って書いてる気がするけど、続かないね…ごめんね!

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