見出し画像

与えることにありがとうが溢れる時

私たちはきっと、
元は「いのち」そのものだったはずで、
感謝と共に在ったはずだけれど、
 
競争させられてきましたね。
 
いい学校に入らなきゃ、
いい会社に入らなきゃ、
AさんとBさんと比べて、
 
走ったり、立ち止まったり、
迷子になったりしながら、
 
「いのち」を
見失ってきたかもしれません。
 
たくさんの知識ばかり詰め込んでも
それを活かして知恵にできず、
 
そこに「ふれあい」は
なかったかもしれません。
 
 
ただ、
 
自分を好きになれなかったり、
自分を特別な存在だと勘違いしながらも
 
ふと、
 
悲しくてどうしようもない時、
悔しくてどうしようもない時、
 
優しさに触れたなら、
涙が溢れたこともあったのではないかと
思います。
 
それは「いのち」に触れたからですよね。
「感謝」に触れたからですよね。
 
その時、人は自分を好きになります。
 
その時、人はふれあい、
いのちにふれあった言葉や行動を
起こすことができます。
 
それはその瞬間、永遠になります。
 
夢中、だったり
一生懸命、がそれですね。
 
 
人は比較競争に慣れ、
自己価値を高く、低く設定したまま
 
できるかできないか、で行動を
起こすけれど、
 
できない、から始まったものは、
10年後もできないまま。
 
その積み重ねはだるま落としの恐怖に晒される
脆いもの。
 
 
でも、いのちに触れた言動であれば?
 
できるかできないか、考えません。
 
世間の一番になれなくても、
「永遠/今ここ」を生きることはできるのです。
 
それが、本当の一番、かもしれません。
 
そしてそれが本当の自信、かもしれません。
 
 
その時、人は与えることにありがとうが溢れます。
また、与えられた人にもありがとうが溢れます。
 

それがいのちを生きている、
ということなのかもしれません。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?