1日ひとつ、シアワセ探し☆ #255
つつがなく墓参を終え、シアワセです☺︎
……お墓参りへ行きながら、亡きひとたちに思いを馳せました。
「祖父母や父が、今なお元気で生きてくれていたら、どうだったかな?」
と、ふと思ったのです。
だけど、その後にすぐ思い浮かんだのは
「いやいや、あのひとたちは〝いい塩梅〟で天へと召されていったんだよ」
ということ。
祖母が亡くなったのは、10年前。
そのときは、医師から告げられた余命1ヶ月があまりにも短すぎる!と、祖父も母もわたしも絶望感しかありませんでした。
でもね、祖母は長患いにならずに済んだわけですよ。
気位の高い祖母は、1ヶ月以上病いの床に臥すなんて耐えられなかったでしょう。
お別れするのに1ヶ月の猶予が与えられた、それはちょうど良かった……
今となっては、そう思います。
祖父は、95歳という長寿でした。
だけど、最後の方は自身の足で歩けなくなっていましたし、大好きなお蕎麦を箸でつまむのも難しくなっていました。
だんだんと思うように体を動かせなくなっていた祖父。
あれ以上、できないことが増えると、祖父は自分で自分が許せなかったんじゃないかな……
と、想像するのです。
父の闘病の最後の方は、コロナ禍に突入していました。
クルマで出かけるのが趣味、ひとと会うのが大好きだった父。
父が亡くなったあと、コロナ禍はどんどん加速、緊急事態宣言が出されたわけですが。
父は、出かけられない、ひとと会えないら、その状況に耐えられなかったと思います。
こんな風に3人のことを思い返してみると、やはり〝いい塩梅〟だったんだな、って。
みんな、亡くなったその年齢が「寿命」だったのだ、と。
わたしの中で改めて腑に落ちました、今日。
墓参は、亡くなったひとやご先祖さまを敬い、偲ぶ機会であるとともに。
自分との対話の時間でもあるんだなぁ。
自分と対話して、いろいろなことを理解したり、納得したり。
優しく淡い色合いの弔いの時間が、今ここにいる自分の気持ちを浮き上がらせてくるように思います。
◇ ◇ ◇
さて、今日の帰路。
母とわたしが昨年見つけた、野葡萄スポットへ立ち寄ってみました。
すると!
山ほど実っている中に、すでに色づいている野葡萄を発見☆
1ヶ月後のお彼岸にまた訪れるつもりですが、それでは遅いかもしれない。。。
野葡萄のためだけに、また行ってみようかなぁ。
って、そんなに好きなの?!と言われそうですけど。
ハイ、好きなんです、野葡萄♡
実りの秋が楽しみでなりません♩
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