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「好き」を綴る365日、110日目。

エッセイを読むのが好きです。

わたし自身が「生活に根ざした文章」を書くライターをしていることも関係していると思います。
〝実際に起きたこと、それに関する思いや考え〟を読むのが好きなのです。
小説家の方・・・村上春樹さんや吉本ばななさんのエッセイ、大好き!大好物!
光野桃さんのエッセイは若い頃から宝物にしています。

なんて言ったらいいのかな・・・そのひとが〝生きている〟ことを垣間見させてもらえるって言うのかな。
体験を共有させてもらえる、という感じかもしれない。
そして、わたしでは想像し得なかった思い、思いつかなかった考えを教えてもらえる・・・エッセイを読むのは、そんな風に魅力を感じているからです。

今読んでいるのは、画像にアップしたエッセイ・・・地元の日刊紙に連載されていたものの集大成として出版された本です。
今回はいつも読むエッセイとは少し違った気持ちで読み進めています。

というのも、著者である医師の方が営んでいらっしゃる在宅医療の病院に、わたしの祖父と父がお世話になっていたのです。
祖父と父の命が尽きる最後までこの病院の方々にお世話になったことは、当時のわたしたちの日々の希望であり、救いでした。

このエッセイの中に「亡くなる最期まで食べる!」という項があります。
読んだとき、涙が止まりませんでした。
祖父と父の最期の日々が、わたしの脳裏へ色鮮やかに蘇ってきて。

祖父は95歳の大往生でしたが、最期は弱ってなかなか食べられなくなっていました。
でも、たんぽぽ先生の病院へ〝食べることの回復のために〟入院させていただき、一時は元気になったのです。
祖父の「食べたい」という意欲を取り戻す様々なアプローチには、本当に頭が下がりました。
しかし、肺炎がひどくなり大きな病院へ入院して治療をすることになった時、飲食を止められてしまいました。
嚥下が難しく、誤嚥の可能性があったからです。
でも、祖父の命はもう長くはないと思ったわたしは、コーラが大好きな祖父のために口内清浄用の綿棒にコーラを染み込ませ、祖父の口に持っていったものです・・・「先生にナイショよー?」と言いながら(笑)
祖父は喜んで綿棒からコーラを飲んでいましたよ。
その姿が「生きたい」という意思表示だった、今でもそう思っています。

父は、亡くなるものの数分前、日本酒を「ゴクッ!」と喉を鳴らして飲み、自宅にて息を引き取りました。
わたしが綿棒(これまた口内清浄用の。この綿棒は大活躍だったなぁ)に日本酒を染み込ませ、「朝から酒とか、特別やで?」と笑いながら父の口に含ませたのです。
これには本当に驚きました、もう呼吸の間隔が長くなってきていて、目は閉じており、意思の疎通も図れなくなっていた状態でも飲んだのですから。
母とふたり、「えっ?! 飲んだよ?!」と顔を見合わせたのを昨日のことのように思い出せます・・・父も、最期まで「生きたい」と思っていたんだろうなぁ。

読みながら涙したり、頷いたりしていて、ゆっくりとしか読み進められないたんぽぽ先生のエッセイですが。
わたしのこれからの人生に欠かせないものとなるでしょう。
祖父と父との時間を思い返したくなったら紐解く本。

・・・烏滸がましいのですが。
わたしの手がけるmemoremoも、願わくばたんぽぽ先生の本のように、誰かの人生の支えになったり、寄り添ったり、チカラになったり。
そんな存在となり得たらいいな。
と思いながら、精進しよう。

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