1日ひとつ、シアワセ探し☆ 1/16→家族も喜ぶ、玄関掃除。
玄関のたたき(土間)の水拭きを始めて5日目の昨日、
同居の義母から感謝されました、シアワセ☺︎
……わたし、神棚を拝むのも、掃除も。
ひとが見ていないときを狙って、行います。
一心不乱に拝んだり、磨いたりしているから、
見られると気恥ずかしいんですよね。
誰にも邪魔されずに集中したい、っていうのもある。
ひとり、心を落ち着けて何かに取り組むのは
シアワセなひとときでもあります。
静かに自分と向き合える時間ですから☆
◇ ◇ ◇
義父が存命で、娘たちがまだ学生だった頃は
二世帯住宅に暮らしているとはいえ、我が家は6人家族だったわけで。
〝誰にも邪魔されずに〟とか。
〝ひとり時間を確保する〟とか。
かなーり難しいことでした。
部屋数があるとかないとかの問題ではないんです。
常に誰かが何かを話しかけてきたり。
要求してきたり。
忙しかったなぁ(トオイメ
今は、義父が他界し、長女は東京でひとり暮らし・・・
我が家で暮らす人数は6人→4人になりました。
次女も大人になりましたしね〜。
普段は、それぞれの時間を過ごしています。
だから、神棚を拝むときも、掃除をするときも
誰にも邪魔されずに、ということが叶うようになったんです。
だけど、二世帯住宅だけれど玄関は共用なもので。
家族の誰かと鉢合わせる確率が高い。
昨日、またまた玄関の掃き掃除をし、水拭きに取り掛かったところで。
親世帯からパタパタと足音が・・・
〝ああー、義母が出てくるなー〟と思ったら、ビンゴ。
(義母じゃないひとが出てきたら、それはそれで問題 笑)
「あらー、玄関をきれいにしてくれよる!
外は水を打ったらいいけれど
中の土間は拭くしかないけんなぁ。
ひと仕事やのに、ありがとう。
きれいにしてくれて、ああ気持ちがいい!」
義母はしきりに「ありがとう、ありがとう」と言って
玄関に置いていた新聞を手に戻っていきました。
・・・これは、ですね。
わたしにとってはものすごい進歩なんです。
なにしろ、嫁姑問題で昨年まで10年ぐらい断絶していたのだから。
それが、普通に会話できるまでに関係が修復できただなんてー!
10年経ち、義母もわたしも歳を重ねたからこそ
たどり着くことができた和解、ですね。
だからこそ。
義母の「ありがとう」が、殊更に心に染み入りました☺︎
◇ ◇ ◇
介護をしている親族のことで
「ありがとう」と真逆とも言えるような出来事があったもので。。。
昨日の玄関掃除を思い出しては
心が慰められています。
今回もまた思います、
「ひとを傷つけるのがひとなら、救うのもまたひと」
ということを。
願わくば、わたしは救うひとでありたい。
そう考えると、親族のこともグッと堪えようと思えなくもない。
思えなくもないのに、思い出してはフツフツするあたり
わたしもまだまだ未熟じゃのう。。。
ま、人間だもの!ってことで(笑)
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