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自分の首を絞めようが、真面目で責任感あるわたしが好き

知人が、勤めている会社の商品を安く買えると案内をくれた。バラ売りではなくセット売りだ。

それぞれが、自分の欲しい個数を連絡する。知人は、これを集計して、セット売りの個数に当てはまるか計算し、セットにならなければ調整する必要がある。

せっかく善意で案内をしてくれたのに、そんな雑務までさせるのは申し訳ない。わたしは、集計・調整・購入の指示までを買って出た。





週末の夫とのテレビ電話。わたしは集計するためのExcelをポチポチいじりながら会話をしていた。

夫が「なにしているの?」と問うので、かくかくしかじかで、と訳を説明すると、ニヤリと笑った。

「なに、そのニヤリ顔。」
「いや、なんでもない。」

次の週、夫とわたしが所属していたサークルのメンバーが集まったLINEに、久々に通知がきた。サークル長からだ。OBの記念集会があるから、参加したい人はしてくれ、と言う。

これに対し、夫は言った。

「LINEに登録してない人もいるのに、適当だな。」

わたしは、「まぁ、このトークにいない人は、声かけても来ないからいいんじゃない?」となだめた。夫は続ける。

「そういう風に思ってるんだろうけど、もしかしたらLINEやってなくても、記念集会なら来たいという人もいるかもしれないよ。あいつはサークル長で、全体に周知する役割なんだから、自分の尺度で勝手に定義づけちゃいけないよ。」

わたしは、ニヤっとした。

「なんだよ、ニヤニヤして。」
「なんでもない。」

このとき、わたしはわかった。先週、夫が笑ったのは、こういう気持ちだったんだ。「まじめだなぁ」という関心と、好意。
わたしは、夫のまじめさが好きだと思った。彼の責任感の強さを尊敬している。それは普段彼から聞く仕事ぶりにも発揮されていると思うし、だからきっと、会社も、彼のそういうところを評価しているのだ。

わたしは、夫のことを好きだと思ったのと同時に、わたしのことも好きだなと感じた。
ぶっちゃけた話、知人が苦労しようが知ったこっちゃないし、それをわかって知人も案内をくれたんだと思う。仕事でもないし、そもそもわたしはすごくすごく忙しいから、そんなことしなくてもよかった。

でも、わたしは、わたしの倫理観は、「それは違うな」と言った。
結果、どうだろう。わたしは、忙しさに輪をかけて、余計な仕事をした。1時間半も費やした。だけど、とても満足している。わたしは、自分の首をしめたとしても、こういうまじめさが好きだ。責任感のあるところが好きだ。

これは、これからわたしの指標になる。弱気なときに自分を奮い立たせるための。「わたしはまじめだ、責任感がある、最後までやり遂げられるはず」。そう思ってるから、歯を食いしばってやっていける。

みなさんもぜひ、ご自分の好きなところを見つけてリフレインしてほしい。それは必ず、あなたの支えになる。


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