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No.47 ✨5月恩師との再会✨part2✨

 前々日から恩師に会えることへの期待と極度の緊張から睡眠障害がありました。それでも楽しみの方が大きくて、先生方は待っていてくださっているのかなとか、何を着ていこうかなとか、何を話そうかなとか考えずにはいられませんでした。とにかく元気な姿を見せたくて、頑張ってオシャレとお化粧(?)をして、車椅子ではなく、杖歩行で行こうと決めました。

 母校へは車で送迎してもらうことになりました。入口には恩師が立って待っていました。私が杖歩行をしていることに驚いていました。私は左側に杖を持っているので、恩師は右側で私の腕をそっと介助してくれました。    
 入口から部屋に入ると、他の先生方も立って待っていて、温かく出迎えてくれました。私のために、お一人お一人改めて自己紹介をしてくださいました。その後、会議室へ案内されお話することになりました。

 わずか到着してから10分程度経ったときのことです。椅子に座り恩師と話していると、両上肢が震えてきました。初めはパーキンソン症状かと思っていたのですが、段々と震えが強くなり両下肢まで痙攣し筋肉が硬直してくるのが分かりました。恩師は私のnoteを見てくれていて、迅速にミオクローヌス発作が出現したと判断したようです。

 すぐに頭を上げて気道確保をし、身体を擦り始めます。サチュレーションを測り、意識の有無を確認します。最初は受け答えは出来ていたのですが、段々と私の意識が遠のいていくのが分かりました。それでも恩師が「mamiちゃん、大丈夫だからね!病院行こうね!救急車で行こうね!安心してね!」と大きな声で優しく懸命に声掛けしてくれたことは覚えています。

 救急車の手配、病院への連絡、母への連絡も恩師が全て手配してくれました。救急車に同乗してくれたのも恩師です。車内でもずっと「しんどいね。病院に連れて行ってもらえるからね。大丈夫だよ!」と声をかけてくれたことがうっすらと脳裏に浮かびます。

 到着後もミオクローヌス発作が収まらず、血圧も測定不能で発熱もあったため、コロナ疑いもあり個室の処置室に移動となりました。すぐに採血、点滴治療(ラクテック、セルシン)が始まりました。点滴すると、段々とミオクローヌス発作も治まってきました。

 救急外来の脳神経内科医からは「乳酸値が高くなっていますが他の採血データは問題なしで、コロナも陰性でしたのでミオクローヌス発作による痙攣が発熱の原因だったと考えられます。今回もしっかり休養してもらうことを条件に帰宅してもらって構いません。」

 採血データが出るまでの間、母と恩師が処置室に来てくれました。
恩師は私を見ると涙を流し、ギュッと抱きしめてくれました。そして優しくて温かい言葉をかけてくれました。
「mamiちゃん、しんどかったね。辛かったね。こんなことが毎回起こってたんだね。本当にしんどいね。でもね、あなたがここにいることが大事だから。あなたの存在が大切。あなたはいるだけでいい。迷惑かけてごめんなさいはなし。これは自分でコントロールできることではないからね。あなたは不幸中の不幸じゃないから。あなたは不幸の中にいても、どんな試練を与えられても、家族がいて、こうして私たちがいる。それはあなたが大好きだからだよ。あなたは幸せなのよ。だからまた会いにおいで。もう対応もばっちりだから任せて。大丈夫だから、安心してまた会うことに挑戦しにおいで。私は逃げないから。待ってるからおいで。」
私は嬉しくて涙がでてきました。それでも本音はこのようなことは望んでいなかったのが正直なところです。だから恩師に言いました。
「弱いところ、こんな姿見せたくなかった。元気な姿見せたかった。」
すると恩師は
「どんどん弱いところを見せなさい。大丈夫。大好きよ。」
と言って、また強く抱きしめてくれました。

 今回はこのような出会いになってしまったけれど、恩師の言葉に甘えて、また会いに行くことに再挑戦したいと思います。

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