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No.52 空白

 なんにもない日。私はふと考える。

 もし明日、家族のことを忘れていたら。。。
 それが1時間、1分、1秒と差し迫っていたら。。。
 このことを考えると涙が抑えられなくなる。
 いつか来るその日が、いつ来るのか分からないから余計に恐くなる。
 
 いつもなら、先のことを考えず、家族に心配かけないように今を笑顔で生きようという言葉が素直に心に入ってくるのに、こういう日は心も身体も全てを拒否する。家族に話しても心配かけるだけだから、泣かしてしまうだけだから、笑顔で平気なフリを取り繕うとするけれど、顔が強張って表情が作れない。だからそんなときは、体調が悪いフリをする。そうすると家族は大抵、干渉せずに見守っていてくれる。

 テレビやネット、本や雑誌でよく認知症予防のことが特集されるが、私はそれを見るたびに、「もう遅いの!」と苛立ちさえ覚えるときもある。でもそれと同時に、私のような治る手段のない病気の人を救ってほしいとも思う。

 ある人が、「認知症だけにはなりたくない」と言っていた。どうして、こうも毛嫌いされる病気なんだろう。その場で「ここに当事者いますけど」って言ったらどんな反応するだろうか。安易な発言は控えてほしい。
 なぜ毛嫌いされるのか。なぜ認知症予防ばかりに目が向けられるのか。
なぜ認知症になっても大丈夫な社会を作ろうとしないのか。私にはなぜと疑問に思うことばかりが世の中に溢れている。認知症に優しい社会なら、誰にだって優しい社会に決まっている。なぜそれが分からないのだろうか。時々この日本社会が腹ただしくなる。

 誰にだって、背負っているものがある。それを他人に見せるか見せないかだと思う。前者は、自分はこんなに大変なものを背負っていて可哀想なひとなんですと弱さを見せびらかすのだ。後者は、どんなに自分が大変な状況下においても他人にそれを見せず、軽々と背負って歩く強さを持っているのだと、私は思う。できるなら私は後者であり続けたい。

 でも今日みたいな日は弱さをどこかにぶつけたくて、誰かに見せたくて仕方ない。。。私が笑顔で生きられるためにこんな日も少しだけください。再出発できるその日まで。。。

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