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No.55 当事者の会

 今日は鈴カステラを作りました。たこ焼き用のホットプレートを使用し、プレーンとチョコレート味のものです。

美味しかったです。

 お菓子作りのあと、当事者が1つのテーブルに集まり、近況報告を一人ずつ話していくことになりました。今までそのようなプログラムがなかったので、私の中では違和感しかありませんでした。

 嬉しかったことや悲しかったこと、相談事など、どんな些細なことでも構わないからという趣旨でした。簡単に、紫陽花が綺麗だとか梅雨に入ってから暑くて体調が良くないとか、そう言えばよかったと今になっては思えますが、その時は全然考えられませんでした。

 むしろ、中止してほしい、こんな報告は必要ないと強く思いました。認知症当事者に限らず、誰が、いつ、どこで、何を話したいか、聞いてほしいか、自由に選ぶ権利があると思うのです。

 私は認知症当事者であることを忘れて、一人の人間として参加することを楽しみにしていたのに、まるでこの当事者の会がガラスのように粉々に砕けていくような思いがしました。

 私は32歳でがんを患いました。そのときの当事者の会はお互いの傷を舐め合うように、自分が一番不幸なんだと誰もが思っているような暗い会でした。私には合いませんでした。だから、またこういうことをするのかと思うとゾッとしたのです。

 認知症は人それぞれで、その悩みや苦しみを理解してあげるなんておこがましい。分かってあげたいと思うけど、当事者ではないから、その人にしか分からないから、寄り添うことしかできない。いや、寄り添うことすらできていないのかもしれない。

 こうした内容は、短時間で話せるようなことではない。
 
 この頃の私は、体調がすぐれず、人と接することを拒み、家に引きこもり、死ついて考えてばかりいた時期でした。これまで見たことがなかったホラー映画や殺戮シーンのある映画を一人で毎日4~5本も見ていました。そのため近況報告といわれると、それらのことがフラッシュバックのように思い返されて、居ても立っても居られない状態になり、四肢も震えてきました。

 私はお手洗いへ行くフリをして、席を立ち、廊下へ出ました。

 ちょうどボランティアスタッフの方が1名立っていました。そして「mamiちゃん、どうしたの?」と声をかけてくれたのです。私はその一言に、緊張の糸がプツリと切れたかのように理由を説明し、声を出して泣きだしてしまいました。子どものように泣きじゃくる私に「大丈夫よ。mamiちゃんは悪くない。言いたくないことだって、言えないことだってあるものね。」と一生懸命に背中を擦って落ち着かせてくれました。そして、ボランティアスタッフさんたちがいる部屋(キッチン)に案内し、椅子に座らせてくれました。他のボランティアスタッフさんも来てくださり、私は更にその胸元で泣きじゃくりました。「ここにいるみんな、mamiちゃんの味方だからね。安心して大丈夫よ。」と私が泣き止むまで何度も言ってくださいました。ボランティアスタッフさんたちに囲まれ、色々な話をしているうちに涙は止まり、いつのまにか笑顔になっていました。私の安心できる場所がまた一つ増えました。みっともない姿を露わにしてしまったけれど、「また来てね。待ってるからね。」と、帰る私を笑顔で見送ってくれたボランティアスタッフの方々やスタッフの方。ご心配おかけして申し訳ありませんでした。

来月は笑顔で一日を過ごせますように。。。

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