不理解は残酷です

Twitterで伊勢崎市議会議員の投稿を読みました。

伊勢崎


議員は、議決権を持つ立場です。

その立場の人が

『自分の身体は自分で守る、これに尽きます』

『心身を鍛えること』と投稿しています。


がんになったことは、何かをおろそかにした人なのでしょうか。


夫は、毎年、検診を受けていました。

健康にも気を付け、運動もし、野菜中心の生活をしていました。

不調を訴えた時、

『バリウムも胃カメラもしているのだから、気持ちの問題』と言われてしまいました。

根性が足りなかったから、夫は死んだのかと、この方に聞いてみたい。


でも、このような言葉を何回も受けてきました。


夫ががんだと知った時

『検診に行っていたのか』

『どうして気づかなかったの?』

『お墓参りに行っていたか』

『玄関の位置が悪いのではないか』とまで

言う方々がいました。


がん家系とか、ストレスがすごかったんじゃないかとも…。


事実を受け止めるだけで精一杯でしたが、

自分たちに病気の理由があるのかと

さらに悲しくなりました。


誰もが、喜んでがんになりたいと思ったりはしないと思うのです。

だからこそ、自分との違いを、一生懸命に探し

このような確認をしているのかもしれません。

国民2人に1人ががんになると言われている時代。

何かが違っていたのではなく

根性論でもなく

がんは、誰にでも起こりうることだと思います。


今、がん治療はゲノムに向かっています。

遺伝子パネル検査というものが行われ始め

遺伝子変異の解明が、将来、治療薬に結びつくことを目指して

研究が行われています。

そのような時代に、このような認識がある。

がんというものへの病態の不理解が、

あちら側とこちら側という境界線を引いてしまうように感じています。


難治性であるスキルス胃がんで家族を喪った私は

ゲノム医療が、救えなかった命に繋がることを切に願っています。

解明される遺伝子変異が誤解されたり

さらには、偶発的に解明された遺伝性により、その人の人生が辛いものにならないようにとも願います。

正確な理解をすることこそが科学を進める力になる

とも思っています。


今、学校教育の中に取り入れられている『がん教育』が

がんを乗り越えて、前向きに生きるとか

今日は誰かの生きられなかった明日なのだという内容で終わってしまうのではなく

がんというものの本態を知る教育になることを心から望むのは

未だに社会の中に偏見があることを感じているからです。


希望の会は、難治性であるスキルス胃がんの患者家族会として発足しました。

治療に苦慮するがんであるということは、本人のみならず

家族、周囲の人にとっても、とても受け入れがたいことです。

哀しみの矛先が、配偶者に向けられることも少なくはありません。


「あなたがストレスをかけたから」

この言葉をきっかけに、遺族が自分を責め、寡黙になり

哀しみの中、どんどん社会的にも孤独になってしまう事例が多々あるのです。


がん治療は進歩をしています。

がんを治療しながら、仕事をし、自分の人生を生きている人が

増えてきました。

それは、とても嬉しいことです。

でも、

亡くなっていく人もいる。

そのことも事実なのです。

旅立った人が、努力が足りなかったのではないのです。

まだまだ、治療できない病がある。

そして、そのことも、誰の身にも起こりうることなのだという理解

必要だと強く思っています。

偏見を無くしてほしい。

がんという病になったことで、偏見を受け

生きていく中で、そのことが不当な不利益につながらないように

制度を作っていくことはとても大切なことです。

患者家族、遺族が声をあげてきて作られた制度も数多くあります。

でも、どんなに制度を作っても

世の中に偏見がある以上、その制度は形だけのものになってしまうのです。


がんと告げられた時の衝撃

命の限りを告げられた哀しみ

そして、大切な人が旅立った喪失感を知っていますか?

哀しみを抱えながら生きている人の心の痛みに

この議員の言葉は、さらに刃を突き立てました。


不理解は残酷です。








全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。