好機を好奇で終わらせないでほしい
先日、『人生会議』を啓蒙するポスターに関して、不安なことがあり、厚生労働省に意見をファックスしたことが、こんな騒動になるとは思いませんでした。
前回も書きましたが、私は、いろいろな形で身内を見送っているからこそ、ACPの大切さを感じています。
大切に考えているから、この内容で本当に本質が伝わるのかという懸念を厚生労働省にお伝えしたのです。
私が、一個人であったら、このような行動はしなかったと思います。
私は、治療に苦慮し、日々、命に向き合っている会員、遺族となってからの日々を送っている会員のみなさんが信頼して所属してくださっている患者家族会の理事長をしています。
そして、前厚生労働省がん対策推進協議会委員でもあり、会議でも、この件に関して発言もしてきました。
その立場で、不安、心配を感じたのですから、意見を伝えることは当然だと思っていますし、よりよい対応を願ってのことです。
「ぶっ壊す」ではないのです。
翌日、厚生労働省がポスターの送付を中止したことが話題となり、私と、もう一人、意見書を送った方に、取材の申し込みが数多く寄せられることになりました。
【意見は圧力なのか】
はじめはSNS上でポスターへの不安を書きましたが、そこに集まる同意の多さに、かえって不安になりました。
これこそがエコーチェンバー
真剣に思うなら、それを伝える先は厚生労働省なのではないか。
そう考え、ポスター内容が誤解に繋がる不安、心配に感じることをファックスで厚生労働省に送付したことが事の始まりです。
私も、もう一人の意見書を提出した方も、患者会代表として、思うことがあれば、A4用紙一枚に要点を記し、それを関係部署に提出し、より良い考察に繋げてもらう行動を、今までもしてきたので、この行動に関しては、初めてのことではありません。
それでも、先方に要点が伝わる言葉になっているか、A4一枚にまとめること、誤字脱字はないかなど、何回も確かめてからお渡しします。
大きなエネルギーを使っても、伝える価値があると考えるからこその行動です。
感情に任せてできることではありません。
勇気も覚悟も必要なことです。
『厚生労働省が圧力に屈して、即座にポスターを取り下げた』というような表現での発信がありますが、厚生労働省は、そんな軟なところではありません。むしろ、意見書で行動を変えたということは、厚生労働省が、『人生会議』の広報について、真剣に取り組んでいるという表れだと感じます。
意見を真摯に受け止めたのは、そこに共感する部分があったということであり、送付をやめたのは、『人生会議』の広報をやめたのではなく、きっと今も、より良い方法を真剣に考えていると思っています。
【意見をもつことへのエネルギー】
耳触りの良い、当たり障りのない言動をしていれば、自分に矢が飛んでくることはありません。
いい人、優しい人でもいられます。
私も社会的に生きていますから、いちいち、どうでもいいことに目くじらをたてたりはしません。
自分とは違うかなと思っても、そんなこともあるのねと流すことがほとんどです。
ただ、私には、患者会の代表という立場があります。この立場は、給与をいただいてしていることではないので、仕事ではありませんが、代表である以上、信頼して所属している会員の方々への責任があると思って行動しています。それをしないのであれば、患者会の代表をしなければいいだけのことだとも思っています。
今回のポスターは、死を目の前にした家族はうろたえ、大切な人を喪いたくない自分の想いから、不必要な延命を要求してしまう事例などもあり、生きる、人生は誰のためなのかを訴える内容だったのだと思います。
関心を示してもらわなければ、伝えようもない
その観点からも考えられたのだと思います。
だからこそ、今回のポスターで、『人生会議』に繋がる人は必ずいると思っています。そのことを否定してはいません。
ただ、『人生会議』は、やらなかったら大変なことになるという不安からするものではなく、話しておく大切さを思い、行動に移すものであってほしい。それこそが本当の理解であり、もう一点は、考えていたことに縛られなくてもよく、いつも医療者が共に考えてくれるということも大切なポイントだと思っていました。
その観点は欠けているのではないか。
もし、このポスターに悲しみや不安を感じてしまったら、人生会議自体に誤解が生じてしまうんじゃないか。
私はそう感じました。そう感じたと伝えようと思いました。
そこを意見書として伝えたのであり、圧力をかけてポスターを送るなと言ったのではないし、貼るなら、それでおしまいではなく、理解につなげるフォローが必要なのではないかという思いです。
ポスターをいいと思う人もいれば、再び見る気持ちにならない人もいる。
そのどちらの視点からも啓蒙活動を考えたら、よりよい方向に繋がるのではないかという考えでした。
今でも、ポスターを貼ることが必要だと思うのであれば、その意見も厚生労働省に届くといいなと思っています。
私はポスターを剥がしたりしません。貼るなら、理解へのフォローを求めていこうと思います。
【バッシング】
「圧力集団」「ポスターを抹殺」などのコメントがTwitterにあがりました。
いろいろな感じ方はあると思います。
それに、反論するものでもないと思っています。
ただ、声をあげた人が寝込むほどの誹謗中傷が、当人に直接送られてくるという事態が起こりました。
内容は、あまりにもひどいものでした。
人格、心身の状態をも否定する内容だったと知り、愕然としました。
どんなに辛かったでしょう。
私には、そこまでのものはありませんが、
「あなたは家族を見送った経験がないから」とか「付き合っている人はいるのか」という全く関係のないことを尋ねる電話はいただきました。
家族を見送ったことに関しては、それこそ豊富な経験となってしまいますが、報道で取り上げられたことが、「厚生労働省への抗議」となり「厚生労働省が抗議に屈した」ということにしぼられ、その背景は伝えられなかったから、このような誤解になったのだと思います。
昨日は、昼前から21時過ぎまで、自宅、電話、さまざまな取材を受け、実際、トイレに行く時間もないというのが大袈裟ではない状態でした。
自宅に人が来て、カメラで撮影され、それが晒されるのは、苦痛でしかありません。
それでも、取材を受けたのは、対立関係みたいな注目ではなく、『人生会議を自分のこととして考える機会に繋がってほしい』と願ったからです。
取材は受けましたが、私は、どの放送に出るとかは発信する必要を感じなかったので、そのことは投稿していません。
放映の時間も取材を受けていたので、放映も観ていません。
自然に目に触れるのだろうなと思っていました。
ただ、今までの経験から、番組の尺の関係で、大幅にカットされ、一部を切り取られるであろうことも理解していました。
1分くらいしか流れないものでも、取材は1時間以上受けています。
それでも、話をすることは、取材する方々の理解には繋がります。そして、今までも取材を受けてきましたが、今回の取材は、丁寧だなとも思いました。
報道とは、取材者のフィルターを通してなされる情報発信です。
だからこそ、今回の放送のためだからだけではなく、次に繋がるものとして、話は言葉を尽くして伝えようと思いました。
放送が一部に切り取られていても、取材者に伝えた時間は、意味のあることだったと思っています。
でも、意見を言った人への反響が、バッシングになるのであれば、その様子を見て、今後、意見を言う人は減っていくと思います。
人の数だけ考え方、感じ方がある。
自分とは違う意見を聴き、本質は何かを考え、柔らかい考え方と同時に、自分の意見をもつことを恐れずにいたいと思います。
でも、とても傷ついてしまった方を思うと、その理不尽な状況がわかるからこそ、心が痛みます。
意見を発言した人が傷つく社会は悲しいなと思います。
【行動する人は、思ったより少ない】
『人生会議』の件は、大切に考えてきた人が、様々な立場で数多くいたと認識ていますが、今のところ、思い当たる立場からの発信は見当たりません。
SNS上で熱いコメントを書いている人は多くいましたが、実際に厚生労働省に届いた意見書は2枚だと聴きました。
だから、厚生労働省は抗議に屈したとも思いません。
体制が整ったところで、世論をみて、発信する方法もあるのだと思いますが、とにかく、この後は理解に繋がる発信であってほしいし、対立構造とか、圧力に関心がいっていることを、本来の視点にもどすものであってほしいと思います。
【情報の大切さ】
このポスター作製に、いくら費やしたかという報道もあったようですが、今回の注目により、私は、ポスターを貼る以上の周知効果があったのではないかと感じています。
つまり、好機なのです。
今こそ、本来の視点に戻し、理解に繋げられるかが情報発信です。
報道、ジャーナリスト、医療者、学会など、さまざまな立場から、力ある発信がされることを望みます。
『好機』を『好奇』で終わらせないために。
全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。