寄り添いに感じていた違和感


【being】
『読解力だ』と言った高校の恩師が生きていたら、今の私になんと言ったかなと思ったら、あ!と気づいたのです。

あの時、どうしようもない私を見捨てないでいてくれた先生は、今も私の中にいる。
そんな体験の一つ一つが、今も私に寄り添ってくれているんだなと

【寄り添うとか、支えるってなんだろう】


数年、患者会活動をしてきた日々で常にモヤモヤしていたことです。

『DO』に目を向けると、結果によっては『‥‥なのに』と思ってしまうこともありました。
寄り掛かったら、すっと引かれたことも(笑)

ズカズカと踏み込まれた気持ちになったこともあった‥

病とか、不慮のこととか、努力では抗えないことが起きた時、
私が暗闇に落ちても木っ端微塵にならなかったのは
見捨てられなかった経験があったからなのかな。

何となく、深層で『寄り添う』という『DO』に私は違和感を感じていたのだと思います。

寄り添いだったか、支えだったかどうかは、当人が感じること。

だから、窮地の時に、思い浮かぶ場所や人、存在があるって大事なんだなと思いました。

私は、ず~っと『DO』で生きてきたように思うので、誰かの『BE』になれたら素敵だな。
そんな歳の重ね方をしたいなと思いました。

※先生のお墓がわからないので
母校まで歩いて行き、帰り道に奮発して虎屋さんで一服。
抹茶、美味し!

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全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。