振り切る~頂上からの直滑降

11月3日、渋谷キャストで、『がん体験者があの時知っておきたかったこと』を発信するグリーンルーペプロジェクト2019を開催しました。

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関東だけに傘マークがついている予報でしたが、途中、雨がパラついた瞬間があったものの、無事、全てを予定通り終えることができました。

こういう行動を通して、私はよく『強い』とか『行動力がある』と言われます。

その言葉に自分では違和感を感じながらも、それも私の姿なのかなと思っています。


私は新卒から約30年、幼稚園教諭をしてきました。

仕事をしている時は、私は「教師」として求められる姿を意識して生きてきたのだと思います。

一日のほとんどを、「先生」として人目に触れていたのですから

それが、「私」を成り立たせている大きな要素でもありました。

夫がスキルス胃がんで命の限りを告げられ、母を火事で亡くした時

私は『不幸すぎて怖い』と言われてしまいました。

『不幸な人』

一瞬にして、私はこの言葉に飲み込まれてしまいました。

夫ががんになり、母が火事で死ぬなんて、誰もが経験することではないけれど、それを経験した私は、不幸な星のもとにうまれてきたのか…

「お墓参りをしてきたか」とか「玄関の位置が悪いのではないか」とまで言われた時、この事態は、私の持って生まれた「不幸」が原因なのかもしれないとさえ思ったことがありました。


【なぜ、私に「幸せか?」と聞くのか…】

幸せかと聞かれることがたびたびあります。

私に何を期待しているのかなと胸が痛くなる瞬間です。

苦し紛れに

「大切な人を亡くしたのは不運だけれど、私は不幸ではない」と言うと

納得してうなづかれたりします。

私は「不運」という言葉にも、実は違和感を感じています。

運がいいとか悪いとか、そんなことではなく、生きていれば、いろいろある。

誰かと比べたり、あれよりはマシだと思ったところで、起きたことは変わりません。

よくがん経験者が【キャンサーギフト】という言葉を使いますが

私はそれも感じたことはありません。

よく考えれば、このような状況になったから、どんなことも当たり前ではなく、有難いことなのだと、以前より感じることが出来ているとは思います。

それを「ギフト」と思うこともあるのでしょう。

でも、私は哀しいし、この悲しみはきっと消えないし、

もし、あの時に戻って選べるのであれば、私は大切な人を失わない道を選びます。

だからギフトだとは思わないのです。

そのような考え方を「暗い」と言われ、いつまで失ったものを見ているのかと言われたことがありますが、暗くもなるよ…というのが私の思いであり

正直な気持ちを吐露すると、相手に重い空気を感じさせてしまうのであれば、言うのはやめようと思っていく。

前を向いているのではなく、社会的に生きていくために、出すものを考えているという感じです。


【あの時に知っておきたかったこと】

様々な経験を通して、私は『あの時、これを知っていたら、選択は変わっていたな』と思うことがいくつもあります。

仕事をやめてしまったこともそうです。

何も仕事をやめなくてもよかった。

相談出来る場所があると知っていたら、気持ちを話し

視野を広げて考えられたかもしれない。

そのような悔しさを感じているので、

こんな経験をしたからこそ、発信をしていこうということが

今の活動に繋がっています。


でも、ここに来るまでも、いろいろありました。

私の話は、どうしても哀しい。

笑って話せる内容ではないのです。

すると、ある日『感動ポルノ』と言われました。

ポルノ…

その言葉が衝撃的でした。

私は、自分の悲しみを公開することで、同情を集め、それを糧に生きていこうとしてると思われているのか…。

一方、がんで髪の毛を失う辛さを側で見てきたので、夫の死後

私はヘアドネーションに挑戦するために、髪の毛を伸ばしました。

それを「色気づいている」と言われたこともあります。


いろいろなものを失い、何をしても言われてしまう。

不幸だか不運だかわかりませんが、そういう経験をしたら

その定義に沿ったイメージに人生が固定されてしまう。

そんな大きなショックを受けました。


私はなんなのか。それがわからなくなってしまったのです。

今から2年前。夫が旅立って1年が過ぎた頃が、私にとっては

一番辛い日々だったように思います。


それでも人生は続いていく。

布団を被ってうずくまる日々が続いた時、私はあることを思い出しました。

夫と私は大学のスキー部で出会ったのですが、まったく初心者だった私が

スキー部で最初にやったことは、頂上から滑ることだったのです。

転んでも、転んでも、下には進んで行く。

そうやって、恐怖と戦い、立ち止まらなければ、いつかは下に降りられる。

毎日を嘆いていても、現実は何も変わらない。

だったら、あの時の頂上からの直滑降のように

振り切って進むしかない。


中途半端な気持ちは、いろいろな言葉を引き寄せてしまうのかもしれません。

振り切って直滑降をすると決めた時から

私は自分がどう見えるかを気にしている余裕はないのだと思えるようになりました。


きっと、私には、私が一番気づいていない自分の姿がある。

そして、人は、誰かを見る時、自分の経験からの

「こういう人は、こんな感じである」というイメージに当てはめているだけ。

たくさんの人がいるのだから、誰からも同じように思われることはない。

だったら、自分が自分のことを好きでいられるように生きていこう。


渋谷で、今は自分には無関係だと思っている人に、がん情報を届ける。

無謀だと思う行動に出たのも、あの時の頂上から滑り落ちた経験が後押ししているのかもしれません。

転んでも、立ち止まらなければ、ちゃんと前進する。

そう思っています。






全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。