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夜の波音|日々の雑記 #89

年の瀬が近づき、夜の街で呑む機会が増えてきました。

お世話になった人たちからのお誘いがあり、当時、足繁く通っていたお店に集まり、旧交を温めます。

かつては太陽が沈むたび、老若男女問わず誰かと連れ立っては呑み歩いていました。それはそれでいい時間だったのですが、いつも余計に呑んでしまっては、天井を回し後悔する日々。だけど数年来の世界的変事をきっかけに、素面で過ごす夜も増えました。

何だったのですかね、あの頃は。
ネオンの海原に、まだ見つけられぬ自分の片割れがあるような、そんな気がしていたのです。光の届かぬ、湿っぽい路地裏にまで潜っては、失せものを探していました。

東京は江戸の昔から大きな街ですから、あちこちの駅前に豊饒な海が広がっています。

遠浅だからと安心して泳ぎ回っていると、一枚、また一枚と気付かぬうちに、すっかり懐が軽くなっていきます。夜の海でこの身を守ってくれる東方の三賢者、夏目、樋口、福澤の先生たちも波に洗われ、きっとマネーロンダリングの渦に消えてしまったことでしょう。

なお、芝浜の海辺に財布が落ちていたら私の物だと思います。見つけた方はぜひともご一報くださいませ。くれぐれも夢になる前にお願いします。

ヨヨギ海も賑やか

地方の海は、光の届く場所が限られています。

ちょいと道を逸れたら見知らぬ暗い通り。潜った先に灯る小さな光に魅かれたばかりに、ちょうちんあんこうの餌食になった思い出が懐かしいですね。
クラブ竜宮城かと思ったらスナック三途の川、乙姫ならぬ奪衣婆に出会った夜。記憶を無くす程に酔っ払った翌朝、財布に残されたカードの明細を見て、一気に老け込みました。玉手箱だけはお伽噺ではなく、現実にあるのだから驚きます。

それにしても長野は海なし県のはずなんですが、お戒壇巡りより暗く、マリアナ海溝より深い闇が広がっているので注意が必要です。

この先、ゴンドウ海溝

夜の海は恐ろしく、暗闇の中で波音を聴いていると不安に駆られます。

だけど近づかずにはいられない、心の奥を揺さぶる不思議な魅力を持っているのは、太古の昔、生命は海から生まれたその時の記憶が残っているからでしょうか。

すっかり陸上での暮らしに慣れるうちに、不肖の息子はエラ呼吸を忘れてしまいました。素面の夜に家呑みばかりでは、母なる酒の海に申し訳が立ちません。
この年末年始、たまにはネオン輝く酒の海原に、どっぷり浸かることに致します。

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