「バカ」は世界を救う
久しぶりにM-1グランプリを最初から最後までテレビの前に腰を据えて見た。
わたしはお笑いに詳しいわけではない。
でも、決勝に残っていた方々はそんな素人が見ても実力派揃いに見えたし、どの漫才も本当に面白かった。
声を上げて笑って、最後に泣いた、とても幸せな時間だった。
審査員の1人がこう言っていた。
「最後の最後は1番バカに入れようと思った。」
(ニュアンスなので表現の謝りはあるかもしれません。)
シンプルなようでとても素敵な講評だと思った。
数年前、家で1人大号泣するほど悲しいことがあった。
人生の大半ともにいたもの、これからもともにできると思っていた大切なものが、あれよあれよとバランスを崩し、分解されていく、そんな感覚だった。
自分ではどうすることもできず、ただただ泣いていた。
しかし、その数時間後。
つけっぱなしにしていたテレビからは、バラエティ番組が流れていた。
放心状態のまま眺めていたが、しばらく経つと少しだけ自分が笑ったことに気がついた。
その瞬間、「あ、わたしまだ大丈夫だ。」
そう思った。
今日、すごく悲しいことがあった人がいたかもしれない。
でも、芸人の皆さんの全力の「バカ」を見て、あの日のわたしと同じように前を向けた人は必ずいると思う。
(「バカ」をスタイルにしていない芸人さんも、もちろんいらっしゃると思います。)
「バカ」は褒めるために使う言葉ではないかもしれない。
ただ、わたしは確かに「バカ」に救われた経験がある。そしてその「バカ」にとても感謝している。
それは、芸人の方々がそこに全力を注いでくれているからだと思う。
絶対に楽な仕事ではない。これ以上ないほど実力がものを言う世界だろう。
それを覚悟のうえで、人に笑いを届けるため、全力で「バカ」をしているなんて、かっこよすぎる。
「バカ」は世界を救う。
それを改めて感じた日だった。
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