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フリーレンとネガティブ・ケイパビリティ―葬送のフリーレン27話感想

『葬送のフリーレン』は、ネガティブ。ケイパビリティの物語である(大意)

Twitter 投稿者不明

こういうツイートが昔ありました。現在残念ながら発見できず残念ですが、私の発想はこのツイートを元にしているということは明記しておきます。見つけた方いたらぜひ連絡ください。

ともかく、ぼくは第27話を『葬送のフリーレン』がネガティブ・ケイパビリティの物語であることを再確認する回として観ました。

ネガティブ・ケイパビリティとはなにか

まずは辞書的な説明から。

負の能力。答えの見つからない問題に対し解決を急がず、不確かな状態のままで耐える力。

現代用語の基礎知識2023 自由国民社

一般的に能力とは、コミュニケーション能力とか、運動能力とか、とかく何かを行うこと、できることという積極的能力を指します。

一方ネガティブ・ケイパビリティは、なにかを「しない」能力、消極的な能力を指す言葉です。

初出は詩人であるジョンキーツの書簡とされていて、それが精神科医の間で(しばしば)使われるようになりました。

このネガティブ・ケイパビリティという言葉を現代人の問題に引き付けたのが哲学者の谷川喜浩氏であると、ぼくはそう認識しています。

谷川による定義は以下です。

ネガティヴ・ケイパビリティは、「結論づけず、モヤモヤした状態で留めておく能力」のことを指している

『スマホ時代の哲学』谷川喜浩 pp.230-231

現代に生きる私たちは、なんでも自分の中の正解に基づいて判断し、結論を出す。そこでは、自分の中に引きこもっていて、自己完結してしまっている。

谷川が『スマホ時代の哲学』で提示した問題意識はこうしたものでした。

そして「葬送のフリーレンはネガティブ・ケイパビリティの物語である」とした今回の発想の元ツイートも、その文脈にあったと思います。(元ツイートを見つけられないのが残念で仕方がない。)

とにかく、今回の第27話はとりわけそういう話のように観れました。

本題

27話は、先の戦闘で壊れてしまった杖を巡る話から始まります。

冒頭のフェルンの言葉は、エルフと人間の隔たりを感じさせます。

少なくとも私には、捨てるだなんて発想はありませんでした。

葬送のフリーレン アニメ第27話 人間の時代 以下同

実際、フリーレンはフェルンの気持ちがよく分からないのだろうと思われます。

(こんなゴミをよこされても困ると言われて)ゴミじゃないよ。多分。

「多分」が十分に含みを持っています。

フリーレンは、なぜフェルンがゴミ同然となった杖を捨てないのか分からない。

師匠と弟子という力関係からしても、フリーレンは「ゴミを捨てて新調しろ」と命令することは可能でした。

しかし、彼女はそれをしなかった。

それどころか、自身で修理まで出している。

そこにはゴミだと思いながらそれを修理するという逆説があります。

この逆説は、彼女の旅の目的を考えれば容易に理解できます。

第1話のフリーレンの発言です。

人間の寿命は短いってわかってたのに。なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう。

葬送のフリーレン アニメ第1話

魔王討伐の旅では、フリーレンは人間を知ろうとはしなかった。

エルフたるフリーレンには、理解不能に思われることがきっと山のようにあった。

それについて、フリーレンは考えてこなかった。

人間の行動思考はエルフとは異なるので、理解不能と結論付けること。

これは先ほど谷川が問題意識した「自己完結性」の問題に他ならないのです。

自己の中に閉じこもっていては、他者から得られるものがない。

その後悔がこの第1話の言葉であり、そしてこれが旅の目的になっています。

フリーレンのネガティブ・ケイパビリティ

第27話に戻ります。

フリーレンは杖を大切にする気持ちが分からない。

現在も人間との隔たりは埋まっていない。

それでも、先の後悔があるからこそ、「これはゴミだけどゴミではないのかもしれない」と、結論づけることを避け、モヤモヤしたままでいることをフリーレンは選択したわけです。

これが先にあげたネガティヴ・ケイパビリティの定義と全く重なります。

ネガティヴ・ケイパビリティは、「結論づけず、モヤモヤした状態で留めておく能力」のことを指している

『スマホ時代の哲学』谷川喜浩 pp.230-231

そしてシュタルクの以下の発言。

(フリーレン様は私のことを何もわかっていませんと怒るフェルンに対して)
だからさ、分かろうとするのが大事だと思うんだよ。

非常に核心的な言葉だと思います。

フリーレンは、フェルンのことを何もわかっていない。これは実際そうである。

それでも分かろうとすることが大事であると説く。

自分の中にある正解に基づいて結論を出してしまうと、完結しているので分かろうとすることはできない。

分かろうとするためには、結論を出さずに置いておくネガティブ・ケイパビリティが必要不可欠である。

このアニメをネガティブ・ケイパビリティの物語であるとするならば、その過程のエピソードとして、27話はとても良いものだったと思いました。

27話からそれますが、度々挿入されるヒンメルとの回想も、人間の謎に対して結論を出さず、謎を謎のまま持っていたからこそ、後になってその意味を受け止められるようになったと捉えることができます。

ハイターの発言も非常に参考になります。

フリーレンは、感情や感性に乏しい。それが原因で、困難や行き違いも起こるでしょう。でも一つだけ良いこともあります。その分だけ、きっとフリーレンは、あなたのために思い悩んでくれる。彼女以上の師は中々いませんよ。

フリーレンはネガティブ・ケイパビリティを魔王討伐の旅から持っていた。

無意識ながらそういう部分があって、ハイターはそれをきちんと評価していた。

それを意識的に実現しようとしているのが今回の旅であると。

27話、とてもいいなと思いました。

おわりに

『スマホ時代の哲学』に興味深い一節があることを紹介して終わりにしたいと思います。

「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、人間の経験という尽きない謎と戯れる力として再定義できるのかもしれません。

『スマホ時代の哲学』谷川喜浩 p.238

やはり、ネガティブ・ケイパビリティとの親和性が感じられます。

本当は後半部、ゼーリエとの絡みで魔法の実用性に関して書きたいものもありますが、今回はこの辺りにしておきたいと思います。


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