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ちいさな販売所

「みて!手紙もらったよ」

大きな通りから一本はいった和風の家。

家はそれほど広くはないが敷地が広く、家の面積より敷地内の畑のほうが大きい。

もともと農家出身の父は、会社員時代からこの畑を耕し野菜を作ってきた。それなりの広さがあるので知り合いから小さい耕運機を借りてきて土を掘り起こし、苗を植え、朝早く起きて水をやり間引きしたり都度世話をする。

休日なのに畑仕事をしている父をつまらなく思ったものだ。

そんな父が、共同経営していた小さな会社を早期に畳んだ。58歳のことである。リタイアしたことで肩の荷が降りたのか、1カ月ほどは気ままに過ごしていたものの、2カ月目くらいから暇を持て余しているのが傍目にもわかった。

そこから父は家庭菜園の手入れに本腰を入れた。

それまで作っていた野菜は比較的育てやすい野菜を中心にしていたが、にんじんやスイカ、ブロッコリーなど様々な種類の野菜を手掛けるようになった。

試行錯誤を繰り返し安定して収穫できるようになったころ、自分たちだけでは消費できないから、ということで門の前に小さな直売所を設置することにした。

始めこそ売り切れるのに半日かかったこともあるが、すぐに数時間で売り切れるようになった。

父は張り切って野菜をつくった。

そんなある日、ポストに絵手紙が入っていた。名前は書いていない。そこには水彩で鮮やかなニンジンの絵とメッセージが書かれていた。

『大事に育てた野菜をぜひ食べて、という気持ちが伝わってきます。いつもおいしいお野菜ありがとうございます。』

この手紙を見せに来た父の嬉しそうな顔は、今でも忘れない。

落ち着いていてあまり感情を大きく出さない父が、破顔して弾む声で手紙を見せに来たのである。

「手紙もらったよ!」



今、直売所は置いていない。
父も年老い野菜の世話が難しくなり畑を縮小したためだ。

しかし当時、直売所を利用していた方々は今でも家の前を通ると声をかけてくれる。

ちいさな販売所のちいさな物語。



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