何もない「日常」こそ・・・

独りの午後、録画しておいた『君の膵臓をたべたい』を見た。
原作は読んでいたけど、映画を見る気にはなれず、スルーしていた。
それが、地上波で初めて放送された時、たまたまチャンネルが合った。
ちょうど始まったばかり、その画の美しさに惹かれ、
思わず録画してしまったのだ。
独りになる時を待っていたのは、たぶん泣くだろうな、と思ったから。

正直なところ、原作を読んだ時、結末までの課程は
とても心に深く沁みたのだけど、ラストはあまり受け入れられなかった。
奇をてらった、あっと言わせたいだけの結末のように思えたから。

でも、映画を見て、少し印象が変わった。

先のことは誰にもわからない。
いま、不治の病であろうと、健康体であろうと、明日のこの時間、
ここに存在している約束などないのだ。
だからこそ、毎日の何気ない日常がどんなに大切か、わかる。

日常を過ごせることが幸せなのだ。
改めてそんな思いを抱いたというのに・・・

なんで、こんなに情けない気持ちにさせられるんだろう

家族は、時に愛おしい存在から疎ましい存在に変わる
お願い、これ以上私をがっかりさせないで
喉まで出かかった言葉を飲み込むだけで精一杯

猛然と夕飯の後片付けをし、無言を貫く
何かを感じて欲しい、とはもう思わない
明日になれば、また風向きも変わるから

一息ついて、Twitterを開く。
幡野さんのつぶやきが目に入る。
ステキな表情の店員さん、無邪気に遊ぶ息子さん、
ふたりの笑顔に心がほっと温かくなる。

そう、やっぱりどんな時も日常がいい。

どんなにマイナスな日でも、
「あんなこともあったねー」といつか言える、
一緒に言って笑える存在があることは奇跡。

特別なことは何もない、こんな毎日を
もっと慈しんで生きよう。


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