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南極越冬隊

おはようございます(^O^)/。

高知のまめさんでーす♪

今日も、日本を変える為に高知県仁淀川町の別荘で目が覚めましたー(^0^)/

『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆

今日は、別荘の畑の南京豆と栗の収穫をしまーすヽ(* 'ー')ノ

明日の「マーケット」で販売予定だからお楽しみに!!

今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。

今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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日本初の南極越冬隊長、西堀栄三郎氏の心に響く言葉より…

明治43年(1910年)に、南極探検を発想した白瀬中尉は、当時の技術力、交通、生活環境から見て、大多数の人たちから反対され、馬鹿あつかいされました。

そのとき、たった一人の“大物”だけが「そりゃあよい考えだ」と乗ってきて、あの南極探検の偉業は達成されたのです。

その“大物”は、政治家で、早稲田大学の創立者でもある大隈重信公でした。

白瀬中尉の南極探検に乗り気を起こし、実現に努力した大隈公は、中尉の出発のときに、

「南極は暑いから、からだに気をつけろ。
南洋でさえあれほど暑いのだから、もっと南の南極はよほど暑かろう」

といったそうです。

“大物”は、こまかい点については、むしろ無知のほうがよい場合が多いのです。

ただ「そりゃあよい考えだ」の精神が“大物”の真髄といえるでしょう。

アイデアが奇抜であればあるほど、反対され、発案者は疎外されることがしばしばあります。

もし、そのとき“大物”がいて「育てる」ことをしなければ、その人は二度と提案しなくなるでしょう。

その育てる誰かというのは、実は、その人の上役であろうと思うのです。

すなわち、アイデアをモノにするためには、馬鹿と大物が揃わなければならない、ということなのです。

大物というのは、実はアイデアの内容を詳しく知っている必要はない。

なまじっか知っていると自分も批判したくなってきます。

つまり、アイデアの内容は知らなくても、何か知らんがこんどのアイデアはおもしろそうだぞ、あの提案した男はなかなかおもしろい人物だぞ、といった式の、これこそきわめてノンロジックな「何かしらんがそう感ずる」という、いわゆる第六感といいますか、勘です。

ロジックばかりやって、批判ばかりやっている青白いインテリでは、アイデアは育ちません。

親心というのは後輩の創造性を育ててやる人のことです。

『新版 石橋を叩けば渡れない』生産性出版

幕末の動乱期、日本において、若い下級武士たちが、なぜあれだけ活躍できたのか。

なぜ、20代そこそこの若者たちが、国を動かすような、トップリーダーとなることができたのか。

それは、彼らが肉体的にもタフで、エネルギーにあふれていた、というのはもちろんのことだが、忘れてはいけないのは、彼らの活躍を認め、後押した、多くの上司なり、年長者たちがいた、という事実だ。

彼ら、若者たちがどんなに優秀であろうが、その時権力を持っていた先輩たちが彼らの活躍を本気で潰(つぶ)しにかかったとしたら、その後の彼らの活躍はなかっただろう。

現代においても同様に、プロスポーツで成功した選手たちや、起業に成功した事業家たちにも、彼らを認め引き立ててくれる、監督なり、先輩たちがいたからこそだ。

どんなにユニークなアイデアを持っていても、それを「面白い!」と認めてくれる人がいなければ、それは世に出ることはない。

突飛(とっぴ)なことを言ったとしても「そりゃあよい考えだ」と、認めてくれる人には限りない魅力がある。
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それでは、今日の言葉です。

本気の人が一人いればイベントは成功します。

「みんなが賛成するなら…」

「一人では自信がないけれど…」

といった気持ちではうまくいきません。

本気の人は、そもそもそんなことを考えません。

一人でも動き出すものです。

本気なら、アイデアも出てくるし、周りに人が集まるし、大きな動きが始まります♪
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