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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第28話・少女と関所と針鼠~」

人間は地面に縛られる生き物だ。
空を飛ぶことも水の中を泳ぎ続けることも出来ないせいで、縄張りだとか領地だとかそういうものに拘らざるを得なくなる。
安心して暮らせる場所があれば他人にも優しく出来るし、自分の土地に価値があるとわかると他人を必要以上に虐げる、そういう愚かな生き物が人間だ。
もし人間が鳥だったら土地問題なんて不毛な争いは地上から消えてなくなると思うけど、人間はどこまでいっても人間だから、空の上でまでくだらない争いにご執心なままかもしれない。

私と旅の相棒のファウスト・グレムナード、愛犬のシャロ・ブランシェットは目の前に点在する通行禁止の立て看板を眺めながら、その奥に控える大岩壁の上に築かれた城塞都市の門に目を向ける。
看板を無視して真っ直ぐ進めば、せいぜい1時間もあれば到達できる距離だ。
看板に従って引き返して迂回した場合、ぐるっと大回りに岩壁沿いの道を進んで4時間といったところか。

考えるまでもなく選択肢はひとつしかない。
無視して進めだ。通行禁止の理由が危険であれば迂回も考えるけど、そうでなければ話は別だ。
改めて通行禁止の立て看板に視線を向ける。

『この先私有地 関係者以外通り抜け禁止 ロッシュシュタイン道路管理課』

要するに私有地だから入らないでください、というわけだ。
人間のこういう傲慢さが嫌いだ。土地に勝手に線引きして、金という人間だけにしか通用しない価値観で好き勝手に持ち主を決めている。
他の生き物たちからしたら迷惑な話だ。そもそも誰のものでもない土地を、勝手に自分のものだなんて言い出すのは正気の沙汰ではない。気が狂っているといっても過言ではない。
私はそういう傲慢な振る舞いが嫌いだ。
よって、このまま進む。選択肢はひとつしかないのだ。

ちなみにロッシュシュタインは、道路の先にある城塞都市の名前だ。

『この先私有地 侵入した場合、地権者より料金を要求されます ロッシュシュタイン道路管理課』
『この先私有地 無断侵入はトラブルの元です 絶対しないでください ロッシュシュタイン道路管理課』
道を進むに連れて、看板に書かれた文言も直接的な内容へと変わっていく。
金銭的な損失をちらつかせて、進む気を失くさせるつもりなのだろうけど、こうなってくると次は何が書いてあるんだろうって興味が強まってくる。

『この先私有地 金を払うくらいならドブに捨てろ ロッシュシュタイン道路管理課』
『この先私有地 迂回しろ! 歩け! 健康万歳! ロッシュシュタイン道路管理課』
もう必死だ。道路管理課の意地でも金を払わせたくない、そんな意思をひしひしと感じる素晴らしい警告文だ。

『この先私有地 引き返せ馬鹿! バカバカヴァーカ! ロッシュシュタイン道路管理課』
『この先私有地 これ以上仕事増やすな! お願いだから! ロッシュシュタイン道路管理課』
この看板を設置した担当者は、もしかしたら今頃精神病院に入院しているのかもしれない。そう思わせる警告文、いやここまで来ると怪文書だ。

『この先私有地 あああああああ!!! もおおおおおおおお!!!!! ロッシュシュタイン道路管理課』
『クソクソクソクソクソクソ!!!!!!!!! ロッシュシュタイン道路管理課』
発狂が始まった。こういうのを見ていると、土地の所有の概念だとか係争に関わる労働だとか、そういうのは不健康だなって思えてくる。きっと寿命が大幅に縮むに違いない。やはり不本意な労働は悪だ。

不本意といえば、私の旅の目的もそうだけど……


私の名前はウルフリード・ブランシェット。16歳、狩狼官。失踪した母と実家から持ち出された狩狼道具を回収する旅をしている。
本当に従事したい仕事は喫茶店か映画館。もしくは日がな一日、動物を撫で回すだけの仕事がしたいお年頃。



【イーゲルコット中央関所】は大陸中央の隠れた名所のひとつだ。
大量の風車が並ぶ峡谷を城塞都市に向けて架けられた1本の巨大な橋は、人類の叡智と技術の賜物ともいえるし、橋を支える天然の塔のような岩石地形はそれそのものが珍しく希少価値がある。
本来であれば交通の要所として活躍するはずだったものの、橋中央部の一部区間、それこそ橋脚代わりの岩石塔がまるまる私有地であったがために、地権者と都市の自治組織が長年に渡って争うこととなった。
決着が着かない間は通行しようにも私有地であるために、勝手に設定された法外な通行料を要求されることとなり、都市側も余計な係争を避けるために通行禁止の看板と、すぐ近くに岸壁沿いを進む迂回路を設置した。

しかし駄目と言われたらやってみたくなるのも、また人間の性質だ。
通行禁止区間への来訪者たちは、減りはしたものの無くなることはなく、次々に湧き起こる問題を封じるように看板の数は倍々に増え続け、看板に書かれた文言も事務的なものから次第に感情の吐露へと変わっていった。
それが先に見た発狂者の遺言のような注意書きだ。

ただ発狂したのは都市側の役人だけではなく、地権者も相当に精神への負荷を掛けられてしまった。なんせ相手は好き好んで変なものを体験したがる物見遊山の変人共だ。金を払わないもの、必要以上に事情を聞き出して面白がるもの、肝試し代わりに挑む恋人たち、そういった金を一切払わない連中に嫌気がさしたのか、地権者は金属の単管を並べたり棘状のバリケードを設置したりして、絶対に通れないような仕掛けを築いていった。

そうなると余計に係争を避けようと立て看板の数は増え、来訪者はどんどんと過激に失礼に先鋭化し、地権者もいっそう意固地になっての悪循環に陥る。
負の無限スパイラルは回転と共に問題を泥沼化させ、まるで小麦粉を水で溶かしたドロドロの生地のように、もうどうしていいのか双方解らなくなるほどの状況へと追いやったのだ。

ちなみに本当の名称は『ロックオープン中央道』というのだけど、道路として全く機能していないこともあって、地権者の名前を取ってイーゲルコット中央関所と呼ばれている。


「通行料は4万ハンパートだ!」
イーゲルコット中央関所を関所たらしめる大量の単管と棘状のバリケード、その隣に建てられた監視小屋のようなバラックの前で、年老いた鼠のような風貌の男が腕を組んで立ちはだかる。
彼が地権者のマウス・イーゲルコット、その人だ。
近隣住民からは銭ゲバドブネズミと呼ばれているらしい。

「やめろやめろ! ふざけんな、この野郎!」
通行料を要求する地権者を乱暴な口調で制するのが、ロッシュシュタイン道路管理課の係長ポルコ・セドロ。元々は長身瘦躯の優男だったそうだけど、関所問題で多大な心的負荷がかかったせいなのか、顔から足先まででっぷり丸々と太ってしまった。
仇名はポーク係長。

「うるせえ! 通行料4万ハンパートだっつってんだろ!」
「馬鹿か! たかだか300メートル通るのに、なに世間の平均月収くらいの金額要求してんだよ! てめえは王様かなんかのつもりか、ドブネズミが!」
どうやら相当に仲が悪いようで、私たちが到着する前からずっとこの調子だ。
あと通行料だけど、だいたい100ハンパートで喫茶店で珈琲1杯飲めるので、4万ハンパートは私の1ヶ月の生活費よりも全然多い。

「俺がドブネズミなら、お前は豚じゃねえか! ポーク係長様がよぉ!」
「てめえのせいで太ったんだよ! 今度腹の肉を千切って油で揚げてトンカツにして食わせてやるよ、馬鹿野郎!」
案外仲が良いのかもしれない。でこぼこコンビならぬ細太コンビで、いいのではないだろうか。
別に仲がよくても悪くても、どっちでもいいけど。

私たちは延々と罵り合うふたりを眺めながら、適当にその辺の単管に腰かけて体重を預けて、ついでにバリケードを机代わりにして昼食の時間にする。
「ねえ、ファウスト。こっそり通り抜けてもいいと思うんだけど」
「今からでも迂回した方がいいんじゃない? 新しい町で初日から問題起こすのは馬鹿のやることよ」
なるほど、道理だ。問題は起こさない方がいいし、世の中は平和が一番だ。
ということは、日々問題ばかり起こしてる地権者と管理者は相当な馬鹿だとも言える。実際子どもの喧嘩よりも馬鹿馬鹿しい罵り合いが続いているし。

「ウァン!」
シャロもファウストに同意のようで、呆れたように欠伸をしながらうろうろして、小屋周りの片隅に置いてあったスープの入った鍋に向けて、片足を上げてここは自分の縄張りだと自己主張する。要はマーキングだ。
犬は臭いをつけた縄張りを自分の縄張りだとする。犬がそう決めたのだから当然人間風情が否定できるわけもないので、ここは今からシャロの縄張りだ。
つまりは飼い主である私の縄張りでもあるわけだ。

自分の縄張りを通り過ぎようと何しようと、それはもはや私の自由である。金を払う必要などあるわけもなし、一方で私有地だと見当違いの主張をする人間を住まわせてやる器量を見せてもよし。
「ねえ、イーゲルコット。ここは今から私たちの縄張りだけど、別に私も鬼ではないから引き続き住んでもいいよ」
寛大な心を見せる私の隣でファウストが呆れたように瞼を落しながら、野菜と干し肉を挟んだパンをがぶりと噛み千切る。
また馬鹿なことを、とでも言いたげな眼差しだ。
私もなに言ってるんだろうと思わないでもない。でも世界の真理なので仕方ないのだ。

「だから、とっとと土地を買い取れって言ってんだろうが、ブタァッ!」
「誰が買うか、ボケが! てめえがくたばったら、その日に没収してやらあ!」
私の譲歩は聞こえてないようで、まだ醜く無様な口喧嘩を繰り広げている。
まったく元気の有り余ったじいさんと、あまり健康とは思えない体型の小役人だ。
このまま殴り合いでも始めてしまいそうな勢いがある。ありすぎて溢れ出ている。


ところで気になる点がひとつある。
地権者の設置したバリケードの中の、錆鉄色の鉄骨を交差させた無数の棘を備えた十字型の塊。爆風で転がっても障害物としての機能を損なわない形状は、例によって見覚えというか心当たりがある。

「え? まさかあれもあんたの母親が持ち出したやつ?」
「多分ね」
そう、母の持ち出した狩狼道具のひとつだ。


【ヘッジホッグD型】
立ち位置に設置する棘状のバリケードで、攻撃を受け止めつつダメージを与えることも出来る。迎撃や守備はもちろん、状況次第では爆風で転がすことで質量兵器としても活用可能。
DはディフェンスのD。


おそらく間違いないと思うけど、本当にブランシェット家の狩狼道具であれば掌に収まるような形状に収納できるはずだ。
実家の道具には私たちに流れるブランシェットの血脈に反応する、そういった仕掛けが施されている。

路上に置かれたヘッジホッグの棘と棘の間に触れてみる。
ひんやりとした感触の奥に、例えるならば空洞のような隙間のような、わずかにエネルギーを流し込める余裕がある。空の杯に水を注ぎ込むように、指先から体内の力を流し込み、鉄の塊をパタパタと紙を折るように小さく小さく畳み、指で摘まめる程度の薄い金属片にまで縮める。

「回収完了」
こうなると、もはや長居する理由もない。争っている間にこっそり通り抜けてしまおうと、ファウストとシャロに合図を出す。
そそくさとパンを鞄に戻して、言い争いを続けるふたりを横目に、静かに足音をなるべく立てずに動こうとすると、
「だからよおおお! なんで通るんだよ、てめえらはあああ!」
横に大きい小役人が自分の髪の毛をぶちぶちと毟りながら、私たちに向かって怒鳴り声を上げた。自らの毛を毟っては投げ、投げては毟り、なんていうか限界という言葉がよく似合う様子だ。

「おい、4万ハンパート! 4万ハンパート払え!」
小役人の大声で我に返った地権者も、私たちに向けて膝立ちで右手を伸ばした姿勢でにじり寄る。どうやら小役人に脛を足蹴にされたようで、まともに立っていられないらしい。
それなのに動くなんて、呆れた執念というか欲深さだ。

このまま蹴り倒しても見逃してもらえそうだけど、私は暴力は嫌いだ。いざという時に行使する分には異論はない、しかし積極的に振るいたいわけではない。
世の中が平和が一番だ、そして平和というのは争いが起きないことを意味するのは、学校に通う前の子どもでも知っている。
平和のために必要なのは何かも、常識として身についている。
「拳で黙らせるなんて論外だからね」
ファウストが私の心を先読みした様に、目を細めて先手を打ってくる。素行の悪さで学院次席止まりの魔道士に心配されるほど、私は常識知らずではない。これでも一通りの常識は学んでいるのだ。
「わかってるよ、ちゃんと話し合いで解決できるから」

そう、話し合いだ。
古来より人間には話し合いという交渉術が使われてきた歴史がある。話せばわかる、という台詞も頻繁に交わされるのがその証拠だ。おおむね命乞いの必要な状況で発する台詞ではあるけれど。

「いいかい、マウス・イーゲルコット。そもそもあなたは土地の所有権を主張しているけど、その土地は誰から買ったの?」
「それはお前、前の持ち主からだ! 賭博で負けた野郎から借金の形として譲り受けたんだ! 橋が架かるって噂は耳にしてたからなあ!」
それは十中八九、イカサマを使って毟り取ったのではと疑わしくなるけど、今はそんな経緯はどうでもいい。所有権の話だ。
「では、前の持ち主は正当な土地の所有者だったの? 誰から手に入れたの? その正当性は証明できる?」
そう、前の持ち主が正当な所有者でなければ当然彼に所有権はない。それが証明できなければ、私有地であるとも言えないのだ。

「そもそもだなあ! いいか、この大陸のすべての土地は王の所有物だ! 我々は王の庇護の下、土地の管理を代行しているに過ぎない! わかったか、このドブネズミ野郎!」
豚人間が鼻息荒く横槍を入れてくる。
彼が言うには、この大陸は王都にいる王族とその周りの特権階級が統治している。各都市には王都から派遣された治安維持組織の騎士団があり、王族に代わって自治を行う自治組織が形成されており、武力と知力の両面から都市を運営している。
そしてあくまで王族の代行である以上、自治権にせよ各土地にせよ資源にせよ、その所有者は本来王であり現状の持ち主は預かっているに過ぎない。
そういう理屈だ。

「却下!」

もちろん私は、そういうふんぞり返った権力者の理屈が大嫌いだ。横槍を入れる豚骨饅頭をぐいっと腕で押して、暴言にも等しい理屈を排除する。
丸々とした物体が橋から落ちるような音がしたけど、多分気のせいなので気にしない。
「ねえ、落ちていったんだけど」
「きっと気のせい!」
そう、気のせいなどに拘っている場合ではない。今は交渉の時間なのだ。

「土地は本来、誰のものでもない。あなたは前の所有者から土地を譲られたかもしれないけど、それはあなたと前の所有者の間での話で、私には関係ない。だから私は通行料なんて払わないし、このまま通らせてもらう!」
そうなのだ、土地は本来人間の者ではない。その土地に生きる生き物すべての共有物なのだ。それを勝手な理屈で線引きして所有権を主張するなど、人間の傲慢でしかないのだ。そういうの良くないと思う。

もし通行料を要求する正当な理由があるとすれば、橋の維持費として徴収する場合だけど、彼は橋の管理者ではない。だから払う必要などないのだ。

どうだ、この完璧な理論は。隙も無く穴も無い、かといって強引なわけでも圧し潰すわけでもない。
ただただ完成された理論なのだ。

「うるせえ、4万ハンパート払えって言ってんだろ!」
私は膝立ちの聞き耳を持たない傲慢な男に対して、左足で地面を蹴って空中に飛び上がり、体軸を振り回した右足へと移す要領で、全身の体重を足先に預けて正面から騒がしい音を放ち続ける発声器官へと打ち据える。
細長い物体が橋から落ちたような光景が見えたような気もするけど、おそらく気のせいなので気にしない。
「ねえ、明らかに落としたんだけど」
「気のせいは2度ある!」
そう、気のせいなどに拘っている場合ではないのだ。

だって今すぐこの場を離れて、城塞都市の門を潜って、何食わぬ顔で旅人を装わなければならないのだから。


「さあ、先を急ぐよ」
私は橋の向こうへと歩みを進めていく。一歩一歩、橋を造った人たちへの感謝を踏みしめながら。


ちなみに地権者と管理者だけど、橋から落ちたものの、すぐに橋脚代わりの岩場の上に着地して事なきを得た。もちろん計算通りだ、決して偶然とか幸運とか奇跡とかたまたまとかまぐれとか、そういったものではない。計算通りだ。
計算通りと言ったら計算通りなのだ。



今回の回収物
・ヘッジホッグD型
立ち位置に攻撃を受け止めつつ、さらにダメージを与える棘状のバリケードを設置する。錆鉄色。
DはディフェンスのD。
威力:E 射程:E 速度:― 防御:B 弾数:5 追加:―


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第28話です。
土地問題の話です。あるいは世界の真理の話です。

イーゲルコット中央関所は、なんとなくピンと来た人はご存じの通り、某所の通行問題を参考にしました。
だいぶ滅茶苦茶にはしましたけど。

平和が一番ですね。
でもウルは平和とは程遠い感じがありますね。そういうのちょっと良くないと思う。