短編小説「梅漬け梅おにぎり梅昆布茶」
大学生になったら何か始めよう、せっかくひとり暮らしを始めるんだから今までやったことのないことをしよう。
そうだ、どうせ人生も世の中も泥みたいなのだから、せめて作り物でもいいから愉快な世界で過ごしたい。
仮初めでもいいから違う生き方を見てみたい。
いや、実は高校の頃からそう思ってたけど、うちの高校には演劇部も映研もなかった。
それでもどうにかやってみたいと台本を書いて書いて書き続けて、朝の通学時間も昼休憩も家に帰ってから寝るまでの時間も、書いて書いてひたすら書き続けて、積み上がったお話の数は300本。
その結果、公演できなかった文化祭、誰も入らなかった演劇同好会、気がつけば友達が一人も出来なかった高校生活……。
梅ノ木文(うめのきあや)、作家志望! 大学こそは好きなことをやってやる!
そう決意して入った演劇部で、私は今日も今日とて台本を書いているのだけど……
「馬鹿! しね! 二度と顔見せるな!」
タブレットのキーをコツコツと叩く私の目の前で、部内のカップルその6だかその7だかが、喧嘩系格闘イベント・ブレイキングアップのオーディションも真っ青な勢いで喧嘩をしている。
女子の方の右のショートフックが顎に入った辺りで、よし今だマウントとってパウンドだ、とか考えながら見物していると、立ったままの左のローキックでテクニカルノックアウト。
罵声を浴びせて女子が出ていって終了、で決着してた。
こいつら、夜もさぞ激しかったんだろうなー、なんてどうでもいいことを思い浮かべながら、引き続きタブレットの画面に視線を落とすと、イライラとフラれた悔しさと行き場を失った性欲をごちゃ混ぜにして鍋で煮込んだような顔をした男子が、なんかぶつぶつ言いながら立ち上がり、
「梅ノ木! 見てないで止めろよ!」
なんか私に苛立ちを投げつけてくる。
しかし私は忙しい。別に意識高い系でもないけど、お前らみたいな部活しに来てんのか、くっそ長い前戯しに来てんのかわからん連中と違って、私には締め切りってのがあってだね。
「知らないよ。痴話喧嘩ならよそでやって、邪魔」
そう、見たくもない部内の痴話喧嘩なんて、ネタにも出来ない上にめちゃくそに邪魔なだけ。じゃあ、もうそれって存在価値ゼロじゃん。
部内カップル。
演劇部において最悪の概念のひとつ。
運動部ならどれだけ好いた惚れたのやったやられたので揉めても、男女が同じ場面でセットになることが少ないからまだいい。
単独行動できる系の文化部でも、空気がカメムシの巣みたいになるだけで問題ではない。
しかし、男女がどうしても同じ舞台に立って、しかも別人になりきらないといけない演劇というジャンルにおいては、最悪に致命的なバッドトラブルをもたらす、空を飛ぶゾウのうんこみたいな存在なのだ。
おまけにそのうんこは、仲良くしててもそれはそれで周りは距離感に困るし、ギスギスしてたら歩く地雷原みたいな感じになって非常に困る。
公演当日の本番に私生活のくだらないうんこを持ち込まれた日には、睡眠時間削って書いた台本とか、単位とバイトの間で頑張ってきた役者陣の努力とか、舞台成功のために頭とセンスをフル回転させてきたスタッフの苦労とか、そういうのを全部水の泡にしてくる。それもジャグジーのフルパワーな勢いで。
公害でももうちょっと気を遣うんだから、せめてバッドな部分を隠すくらいはして欲しい。
「なんで喧嘩してるか知らんけど、ちんこのお相手探しに来てんなら飲みサーにでも入ってきなよ」
正直言って迷惑だし邪魔だし時間の無駄。ゴミ以下の不良在庫。
もうね、私はそんな連中に辟易してる。
辟易しすぎてゲボ吐きそうだし、うっかりメンヘラ文豪にだってなりそう。
思い起こせば1回生の春、入部早々3回生の先輩カップルが喧嘩して空気が最悪だった。
初めて台本が採用された1回生の夏公演の頃には、同期のカップルAとB、それに先輩カップルCが揉めて空気が最悪だった。
意欲的な話を書き上げた1回生の秋の学祭も当然空気は最悪で、学年を超えて相手を変え続ける性欲モンスターがまた新しい関係を形成して、同期から上まで繋がる竿姉妹とか穴兄弟がちょくちょく誕生して、部内の人間関係はまさにクソ煮込みうどんだった。
ヤの人の盃は血よりも濃い水なんて言うけど、演劇部のただれた人間関係は血よりも濃い関係だ。同じ釜の飯を食う同志であり、同じ穴と竿を使う同志でもあるわけ。
私はこいつらを、ちょっとおしゃれに劇団テルソリウムと呼んでいる。
知ってる?
古代ローマで使ってた棒に海綿くっつけたもので、尻を拭いた後で塩水に浸して他の人も使う公衆衛生なんぞやなケツ拭きロッド。それの人間版。
そんな地獄の1回生を乗り切って2回生の秋、我が演劇部は壊滅寸前のピンチに陥っていた。
部の清涼剤だった先輩が夏で引退して、あっという間に空気に耐えきれなくなった同期が辞めて、後輩もどいつもこいつもって感じに青春を謳歌して、つい先程1組の穴と竿が退部した結果、
「これで部に残ったのは3人だねー」
部室の隅っこで小さくなって、海綿人間どもの喧嘩を見届けていた唯一残った1回生、桜淵陽菜に話しかける。
桜淵ちゃんは非常にいい子で、なにがいいってちゃんと秩序とか倫理を持ってる辺りが素晴らしい。
おまけにやる気もあるので、他の性欲モンスター共と違って、なんかもう生きてるだけで100点オーバー。
そしてもう一人、今日は来てないけど同期の桂田君が残っている。
桂田君は高校の頃から付き合ってる遠距離恋愛の彼女がいるので、仮にそこで喧嘩をしても物理的にそんなに影響がない素晴らしい人材だ。
しかも大道具担当の裏方専門なので、公演当日にメンタルに左右されない点も素晴らしい。
ふたりともこのまま末永く、私の足を引っ張らないでいて欲しい。
出来れば永久に。
「桜淵ちゃん、今から飲みにいこーぜー」
とはいえ先輩2人に同期0人は気の毒過ぎるので、飯でも奢ってあげようって気になったのだ。
というわけで駅前の劇団員御用達のバー『ハムレット』に来ている。
ちなみにハムレットはシェイクスピアから来てるのではなく、マスターが作るハムのオムレットが安い上に絶品だから。
なので見当違いに近所の売れない劇団員が集まるようになって、いつの間にか演劇関係者が頻繁に出入りする店になったらしい。
テーブルの上に私の頼んだチーズとハムのオムレットとウィスキー、桜淵ちゃんのホウレンソウとハムのオムレットとジンジャーエール、それにミックスナッツとチョコレート。
「先輩、これからどうするんですか?」
桜淵ちゃんが呆れたようにオムレットを食べながら、私に瞼半分くらい閉じたジト目を向けてくる。
「どうするって、そうだねー。これが芝居だったら、辞めてった連中に胸襟開いて熱いメッセージでもぶつけて説き伏せて、みんな戻ってきて大円団、ってとこだけど」
「でも、どうせそんなつもりはないんですよね?」
当たり前だ。正直言って、あいつらに戻ってきてほしいって欠片も思ってない。創作と恋や性欲を天秤に掛けて、創作が負けるような奴に用はない。
これまでもこれからも用はないんだよね。
私は黙って頷いて、オムレットを齧ってウィスキーをひとくちふたくち。
桜淵ちゃんは引き続き呆れたような、そこに困りと不満をスパイスしたような顔でチョコを摘まんでいる。
「心配しなくても大丈夫だよ。私が役者ひとりでも成立する台本書いてあげるから」
「いや、だったら先輩も舞台に立ってくださいよ」
「やだ!」
もちろんそんな提案は却下だ。世の芝居馬鹿の中には台本書いて演出もやって役者もする、なんて物好きなハードプレイヤーもいるけど、私はそのタイプではない。そのタイプではないっていうことは、それを面白いと思わないってことなのだ。
はっきり言って、私は自分の書いた世界が好きだ。当然だけど、面白いとも思っている。
だけどそれでは物足りない。全然物足りない!
私は自分で世界を作りたい、でも同時に世界の壁を壊したい。
自分の考えた世界を自分で演じても、それはどこまで上手に演じても、自分の頭の中に思い浮かべたものの再現でしかない。
そんなもので満足できるほど、私は自分にも自分の人生にも期待してない。
私の考えた世界を、私以外の誰かの脳みそにぶち込んで体の隅々まで流し込んで、考えもしなかった発想と解釈を皿の上に乗せてもらって、それを目の前で見物するのが望みなのだ。
「だったらみんなに協力してもらえるように、もうちょっと優しくしましょうよ」
「私は優しいよ、公園で鳩にパンあげるし」
「そうじゃなくて、みんなにも優しくしましょうって話です」
え? 今でもちゃんと優しいよ?
桜淵ちゃんが言うには、私はあまり優しくない、らしい。
他人には全然興味がないし、色恋沙汰には耳を傾けないし、その手の悩みはくだらないと切り捨てる。おまけに不真面目な人には徹底して冷たいし、台本のネタにならないと判断したら一気に扱いが雑になる。あと根本的に恋愛に浮かれてる人たちを心の底から軽蔑してる。
「うわぁ、酷いやつだねー」
「先輩のことですよ」
どうやら私のことらしい。いや、まあ自覚はそれなりにあるんだけど。
でも、そこまでとは思ってなかったというか。
ウィスキーをロックのダブルで4杯5杯、いい感じに酩酊入ってきた私の前に、いつの間にか演劇部最後のひとり、桂田君がいるではないか。
「あれ? なんで桂田君がいるの?」
桂田君がため息混じりにレモンサワーを飲みながら、ぐでんぐでんになってる私を見て、再びため息をひとつ。
「迎えに来たんだよ」
迎え? 私をか? なんで?
「いや、大丈夫だよ。私の家、すぐそこだし」
私の家はハムレットから徒歩1分、道路を挟んで目の前のアパートの1階だ。どれだけ泥酔しても帰れなかったことはないし、そもそもまだ泥酔まで至ってない。
まったく桂田君め。性格がいいとは思ってたけど、ここまでとはねえ。
ん? もしかしてこいつアレか? アレなのか?
確かに付き合いも長いし、演劇部で苦楽を共にしてるし、公演前の徹夜で物理的に同じ釜の飯を食ったこともあるし、もしかしてそういうことなのか?
いわゆるラブってやつなのか?
だったらアイスピックで頭かち割るぞ。
目を覚ませ、馬鹿!
舞台上以外に恋とか愛とか持ち込むな! 死ぬぞ!
「いやいや、お前じゃねえよ」
頭の中で色ボケた桂田君をどうやって始末しようか考えていると、桂田君が桜淵ちゃんの鞄を持ってあげて、私の前にだいたい二人分の会計を置いた。
「あ?」
「じゃあ、俺ら帰るから」
「先輩、ちゃんと家に帰ってくださいね」
ちょっと待て。なんで桜淵ちゃんが桂田君と帰るの? どういうこと?
「え? 君たち、もしかしてアレなの? そういう関係なの?」
「アレが俺の考えてるのと同じアレだとしたら、まあそういう関係だが」
桂田君がしれっと答えるし、なんだったらさりげなく手とか繋いでやがるし、じゃあもうアレ確定じゃん。男女の仲ってやつじゃん!
「桂田君、お前、遠距離の彼女いなかったっけ?」
「1年以上前に振られたが?」
私の中の桂田君情報が1年以上アップデートされてないのも意外だったけど、でもそんな話を聞いた覚えもない。同じ釜の飯を食った仲間に対して水臭過ぎない?
「だってお前、そういう話題になったらタブレットとタバコ抱えて、ゴミ捨て場を見るような目でどっか行ってただろ」
そういえば、部活の連中とそんな話したこと1回もないような。
「ちなみに夏休み頃からです」
桜淵ちゃんが若干言いづらそうな顔で呟く。いや、別に私は部活内恋愛撲滅委員長とかそんなのではないから、特に怒ったりしないよ。
くそくっだらない揉めごとを持ち込んだら軽蔑するだけで。
「つまりふたりは、私がエアコン壊れた部屋で扇風機ひとつで滝汗かきながら台本書いてる間に、お互いに愛を確認したりキスしたりコンビニでコンドーム買ったり朝からセックスしたりしてたわけだ……」
「お前、めちゃくちゃ嫌な言い方するな。ほんとそういうとこだぞ」
「先輩、ほんとそういうとこ直した方がいいですよ」
だって、そういうことなんだろーがよぉー!
天井がぐるぐる回ってる。
私の都合と関係なく今日も世界は回っている。
二日酔いだろうが頭が痛かろうが、いよいよ部員が誰もいなくなろうが、私の視界がぐるぐるしていようが、それでも世界は回り続ける。
あれから私は完全に泥酔するまで飲んで、地べたを這いつくばる生き物に生まれ変わって10分くらい掛けて部屋に戻り、中身はよく覚えてないけど悪夢にうなされながら眠った。
枕元にはなんかべちゃっとしたものが落ちてる。きっと悪夢に出てきた悪魔か何かの仕業に違いない。
「……台本書かなきゃ」
無意識のうちに出てきた言葉は、それでもやっぱり創作意欲だった。
もしかしたら意欲とかそんな前向きなものではなく、意地とか義務感とかそういう呪いのようなものかもしれない。
どっちみち書く原動力だから構わないんだけど。
枕元のべちゃべちゃを雑ながらも念入りに処理して、自分の胃袋が空っぽになってて腹が減ってることを自覚してしまったので、パックのごはんをレンチンして、冷蔵庫の中に入ってる梅漬けと一緒に握る。
それと梅昆布茶。
自分の名前が名前なので駄洒落みたいで嫌なのだけど、梅は結構な創作の友だ。人によっては檸檬だったりキウイだったりするらしいけど、いつでもなにかに疲れてバテ気味の私は梅が丁度いい。
はて、私は何に疲れてるんだろう?
台本書くのに?
自惚れではなく無限に書ける自信がある。
だったら人間関係?
別に疲れるほど心を開いてないよね。
演劇に飽きた?
まだ飽きるほど場数こなしてないわ。
人生?
人生にはとっくに疲れてるけど、疲れてるのが普通だから多分そうじゃない。
駄目だ、これ答え出ないやつだ。
私は雑念を払うために梅昆布茶をすすり、若干ゆらゆらと揺れる頭を頬杖ついて支えながら、タブレットに文字を打ち込み続ける。
カタカタカタカタと小気味よくキーを叩く。私がこうやって文字を打ち続けて言葉に変えて、言葉を連ねてシチュエーションを作って、シチュエーションを束ねて物語を生み出している間に、あいつもそいつもどいつもこいつも、恋だの愛だの甘酸っぱい青春ごっこやって、呆れられたり別れたりして周りに迷惑かけまくってるんだ。
ふざけんな、そんなやつらが創作出来るとか自惚れんな!
満足してるやつらが、面白いもの作れるわけねえだろーがよぉ!
そんなどこから生まれるのかわからない謎のパワーで書き上げた台本を抱えて、3日ぶりに部室に行ってみると、私がちょっと缶詰してる間に恋愛研究会とかいう、世の中の浮ついた粘っこい上澄み液をかき集めたような団体に乗っ取られてた。
どうやら部員がひとりだけになったせいで、部として成り立ってないので廃部。
そのまま私は行き場のない野良犬のような状態になってしまったし、一応それなりに伝統ある演劇部は私の代であっけなく潰れてしまったのだった。
っていうのが、何年前だっけ? 10年くらい前? もっとだっけ?
あれから私は結局大して芽が出ることもなく、真っ当に自分の劇団を作れたわけでもなく、ギリギリ人間レベルにまで鍛え上げたコミュ力をフルに振り回して、どっかの劇団に台本を使ってもらったり自主製作映画で使ってもらったりしながら、あとは適当に生きている。
未だに人間の幸せなんてものには縁はなさそうだし、恋だの愛だのに溺れるつもりもないし、そんな暇があったら1本でも1ページでも話を書き進めていたいって思ってる。
仮にこのまま何も成せなくても、それはそれでひとつの人生なのかもしれない、って考えたりもする。
私もこんなでも、それなりに年を取ったから。
そう、年を取ると色々あるのだ。
色ボケ共が破局したり、子ども作っておいて離婚したり、生涯の愛を誓ったのにあっさり不倫したり、そんな本能に正直に生きてる知り合いを見る度に、こんなのになるくらいなら一生部屋で創作してればいいやって思えたりするのだ。
「というわけで桂田君、この度はご愁傷様でした」
私にとってはいつものハムレットの、彼にしてみれば卒業以来のテーブルに座って、ものすごく久しぶりに目にした同期の顔を眺めている。
くっそ疲れた顔してるなあ、離婚ってエネルギーめちゃくちゃ使うんだなあ、なんて考えながらニヤニヤと笑っていると、
「梅ノ木さんは、ほんと相変わらずだな」
桂田君が眉間にしわを刻みながら、瞼を押し下げて、目じりを中央に寄せて、ぎゅっと凝縮した般若のような顔をしている。
「それは年の割に若いってことかな?」
「性格が悪いってことだよ! なにがせっかく離婚したんだからネタ提供しろだ、この非常識台本バカ!」
「まあまあ、嫌な気持ちは浄化したほうがいいって言うじゃん。御祓いにでも行ったと思って、ぬかるみから上澄み液まで全部喋りなよ」
私はノートパソコンのキーをタタンと叩いて、かつての戦友の恥部を覗くために目をしっかりと見開いたのだった。
(おしまい)
旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
というわけで短編です。
私も演劇部にいたものなので、部活の人間関係ってあれだったなーって色々当時を振り返ったりしました。穴兄弟と竿姉妹ばっかりだったなーって思い出しました。
私は一歩離れた場所にいてよかったなーって今でも思うです。
やっぱりちょっと特殊な状況下だから、そういうのに発展しやすいのかな? よくわかんないけど。
みんな真面目にやれー。