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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第31話・少女とババアとレーザーキャノン~」

私の実家ブランシェット家は代々狩狼官の家系。
当時最高峰の狩狼官であり【狼を繋ぐ紐】の異名を持った初代ウルフリードは、メイジー・ブランシェットという赤いビロードの頭巾が似合う女の子を助けるため、悪名高き狼の悪魔の腹を切り裂いて石を詰めて殺した。
そんな残酷な所業に手を染めたものだから、血筋を介して受け継がれる呪いを掛けられてしまった。子々孫々まで受け継がれるその呪いは、子どもが生涯1人しか産めず、その子どもは必ず女の子である、というもの。
今となっては別にどうってことない呪いだけど、当時はお家断絶や血筋の途絶にまで発展しうる重大な呪いで、初代ウルフリードは自らの家名を捨ててブランシェット家に婿入りして、やがてふたりの間には美しい娘が生まれた。
狼の呪いの通り、その娘からもひとりだけしか娘が生まれず、そのさらに娘からも娘がひとりだけ、そうやって300年ブランシェット家に生まれた娘はウルフリードの名前と狼の呪いを継承し、呪いに抗う方法を探しながら狩狼官として働くことを余儀なくされてきた。

私の祖母、つまり実家のばあさんは狼の悪魔の血を引くと語られる人狼と呼ばれる者たちと戦い続け、その娘である私の母は対照的に北の森に隠れ住む人狼の娘フェンリス・ハーネスや南部の人狼の少女たちルーポ・フレキとリュコス・ゲリと心を通わせた。
特にフェンリス・ハーネスは私と同じ名前――産まれた順番からすれば私が彼女と同じ名前を与えられたということになる――フェンリスという名前は母から産まれた一人娘へと受け継がれ、戯言みたいな話ではあるけれど彼女の魂は私へと、彼女の残された肉体の一部は十数年の時を経て1匹の狼、世界一かわいいモフモフでもあるシャロ・ブランシェットとして生まれ変わった。

そして今、私の目の前には鬼のような形相をしたばあさんが立ちはだかっている。
鬼の方がまだずっと救いがあるかもしれない。なにせばあさんは私の育ての親で、暴力と暴言を煮詰めたような存在の人だ。
68歳と全盛期には程遠く衰えてはいるものの、177センチの長身と熟達した打撃術、暴力はもちろん殺傷のための技術の行使でさえも一切躊躇わない精神性は、現役を退いて何十年も経った現在でもおそらく変わっていない。

なにより問題なのは、厳しく鍛えられ続けた日々が私の体にも心にもしっかりと刻み込まれて、嵐の日の不安や陰鬱のように今も全身に纏わりついていることだ。
要するに本能が恐怖してしまうという――


私の名前はウルフリード・ブランシェット。16歳、13代目の当主で狩狼官。当主とはいうもののウルフリードの名を継いだだけで、実際は目の前の鬼や悪魔がかわいく見える暴力装置の命令で、失踪した母と実家から持ち出された狩狼道具の回収をさせられている身だ。
こんな家に生まれてなかったら、今頃は喫茶店か映画館で働いていたと思う。
だけど現実というものはいつだって冷酷で、非情で、残酷で、私の都合なんてなにも鑑みてはくれないのだ。



話は少し前に遡る。
私とシャロは大陸南部から南東部、そして中央へと進む旅を終えて、数か月ぶりに大陸5大都市のひとつで居住場所の下宿がある【自由都市ノルシュトロム】への帰還を果たした。
下宿が動物を飼っていいのか確かめてなかったけど、いざとなれば引っ越してしまえばいいと腹を括って下宿の扉を開くと、そこには手紙1枚送った後は一切連絡もせずに呑気な旅を続けていた孫への怒りを溜め込んだ老婆がひとり。
普段は強気な女将さんも、さすがに困った顔を私に向けてくる。なんとかしてくれ、と云わんばかりの。

その奥でも突然来訪してきた厳つい老婆に困惑しているのか、同じ下宿に住んでいる女学生たち、セシリア・オルコットにクロエ・オルティス、魔道士育成機関に通うアリス・ノートリア、さらに近所の立体移動競技選手を志すランペイジ三姉妹までもが、ひょっこりと顔をわずかに覗かせて様子を窺っている。

ちなみに旅の相棒でもあり、同居人の天才美少女魔道士ファウスト・グレムナードは久しぶりに父の顔が見たいからと、すぐ近所にある実家に寄っているために不在。どう考えても私もそっちについていくべきだった。
後悔はいつだって先に立たない、後から後から獲物を狙う狩人のように這い寄ってくるのだ。

「やあ、ばあさん。元気だった……?」
「元気だったじゃないよ、このウスラボケは! 手紙1枚送って後は音沙汰もなし! てっきり出来損ないのアバズレみたいに逃げ出したのかと思ったよ、お前にはあの馬鹿娘の血が流れてるからね!」
久しぶりに会ったというのに、開口一番これなのだ。だからばあさんにはなるべく会いたくないし、出来れば直接的な接触は避けたいのだ。
私の中での認識はだいたい災害や通り魔と同じだ。

「……うん? なんだい、なんだか臭いねえ! 薄汚い獣の臭いがプンプンするよ! ナマケモノすぎて人間やめたのかい!?」
ばあさんが鼻をひくひく動かしながら、私にじりじりと近づいてくる。
私は後ろ手で扉の外にいるシャロが近づかないように合図して、ばあさんから距離を開けるためにゆっくりと後退る。

ばあさんは狩狼官だ。私や現代の狩狼官は、狼が絶滅危惧種の保護動物となったために実際に狼を狩ることはない、その代わりに人間の悪党や腕次第では悪魔を捕まえたりして報奨を得ている。だから狼を仕留めたことなどないし、可愛げのある生き物を害しようだなんて思わない。

けれど、ばあさんは過去に狼を狩ってきたのだ。
シャロを見ただけで何をしてくるかわからない、そういう脅威がある。
シャロが出会った頃みたいに子犬と違わない姿であれば、まだ子犬と言い張って誤魔化せたかもしれないけど、生後2ヶ月以上経った今では子犬と言うには少し無理がある。狼らしさがしっかり出てきているのだ。
狼を見たことない者であれば騙せるだろうけど、狩狼官だったばあさんを騙すにはちょっと無理がある。

「ほら、この辺り犬が多いから」
「犬とは違う臭いだよ! まさかお前、狼を連れてきたんじゃないだろうね!?」
これだから五感が鋭い奴は嫌いだ。いつまでも現役じゃないんだから、鼻でも詰まってしまえばいいのに。
私は腕を前に突き出して更にぐいっと顔を寄せるばあさんを遠ざけながら、死角で足先をプラプラと揺らしてシャロに隠れるように合図を出す。しかしシャロはまだ生後2ヶ月、動く物があれば遊び道具だと思っちゃうし飼い主が近くにいれば傍に寄りたがる時期なのだ。
「ウァン!」
シャロの鳴き声を聞き、ばあさんがただでさえ凄みのある人相を厳しく歪め、眉間を寄せて深い皺を刻み込む。

「なんだい、そこのチビ狼は? まさかお前が飼ってるんじゃないだろうね!?」
「シャロ! 逃げるよ!」
「ウァンウァン!」
こういう時の選択肢は正解が事態の通り過ぎた後も不明のままであることが多い。けれど大事なのは、選択肢をひとつ選ぶこと、選んだ選択肢を疑わずに実行することだ。
戦うにしても誤魔化すにしても、そこに躊躇や疑念を持ち込んだら正解であっても失敗へと繋がる。
私は逃げの一手を選び、なんの躊躇いもなく踵を返して大きく跳躍し、そのままシャロを抱えて路地を駆け抜ける。

当然ばあさんは鬼のような形相で追いかけてくる。
しかし相手は68歳の老婆だ、体力においては私たちとは大きな差がある。殴り合うには線が細いけど、その分軽くて足の速さには自信がある。加えて私にはこれまでに回収した移動補助具もあるのだ。
全力で逃げ続ける限りは決して追いつけない。
ばあさんとの距離が徐々に開いていく。

この際だから、あの下宿は廃棄してしまおう。自分なりに頑張って女学生たちや女将さんと仲良くなっていた点は捨てるのに惜しいけど、自分の命と天秤に掛けた時に選ぶべきは命に決まっている。

脳内でそう決断して悔しさで歯を食いしばり、移動補助具も駆使して立体的に立ち回り、ばあさんの追跡から逃れる。
鬼ババアめ、今日は久しぶりにふかふかのベッドの上で眠れると思ったのに……


・・・・・・


「というわけで、実家のばあさんが訪ねてきたら私は来てないって答えて欲しいの」
「お嬢ちゃん、久しぶりに顔を見せたと思ったら、またわけのわからないことになっているね」

【アングルヘリング自警団事務所】は私が狩狼官として契約している事務所だ。寂びれ労働者街の一角にポツンとそびえ立っていて、事務所の看板は30度ほど傾いているし、ドアノブは締りが悪く握っただけでガチャガチャと揺れるくらいに草臥れている。そんな今にも潰れそうなところだ。
受付に紅茶を淹れるのが得意なじいさんがひとり、カウンターの中には日々借金取りから隠れる以外はギャンブルしかしていない所長のフィッシャー・ヘリング。
「おじさん、間違っても金に釣られないでね!」
「お嬢ちゃん、ぼくをなんだと思ってるんだい? 仮にも所長だよ、そんな契約相手を売るような……誰か来た!」
おじさんが私の頭を掴んで、ぐいっとカウンターの中に自分の身と共に押し込む。おじさんは借金取りに追われすぎて、路地を歩く人の気配で扉が開くか開かないかを瞬時に予測できる。そしてその予測は百発百中、もはや生存に欠かせないといったレベルの的中率で、数多の借金取りから逃げ続けているのだ。
神懸かり的な能力だけど、肝心のギャンブルはさっぱり当たらないので宝の持ち腐れだ。でも腐っていても、時には役に立つものなのだ。

「ここにウルフリードって名前の小娘が来てないかい!? 背が低くて細い貧相な体型の娘だよ!」
ばあさんが受付のじいさんに怒鳴りかけながら、きょろきょろと室内を見渡して鼻を微かに鳴らす。
「ケダモノの臭いがするよ! どこに隠してるんだい!? 白状しないと叩き切るよ!」
我が身内ながら滅茶苦茶な発言だ。いきなり来て怒鳴り出して、しかも叩き切るなどと言っているのだ。
普通に考えたら社会不適合者以外の何物でもない、残念ながら私の祖母なんだけど。

「あのー、おばあさん、ウルフリードさんは今日は来てなくて……ひぃっ!」
おじさんが丁重に追い返そうと答えながら顔を出すと、耳を掠めるように回転しながら手斧が飛んできて、プシュッと音を立てて鮮血がわずかに飛び散る。手斧はそのまま奥の戸棚へと突き刺さり、じいさんのお気に入りの食器を粉々に叩き割った。
「さっさと出しな! 次は眉間を狙うからね、このボンクラが!」
普段から暴力的で口の悪いばあさんだけど、今日はいつにも増して酷い。言動は完全にホラー映画に出てくる殺人鬼のそれだ。
そろそろ手斧から電鋸に持ち替えても不思議ではない。

私とシャロはカウンターの中にこっそりと作られた逃走用の地下通路へと身を潜らせて、ばあさんがおじさんを問い詰めている間に逃げ出した。
ちなみにいつのまに先回りしたのか、私の数メートル先をじいさんがそそくさと逃げている。
「お嬢ちゃん、年寄りのいいところは穏やかさと落ち着きなのだがね」
「ごめんなさい、うちの駄目な身内が」
「まるで強盗だね。まあ事務所が壊されるのはいつものことだから」
あのおじさんがどうやって修繕費を捻り出しているのか不思議だけど、事務所は頻繁に壊れている。確かによく借金取りが暴れて帰るし、今さら皿の1枚や2枚割れたところでボロボロ具合は特に変わらない。

「ごめん、お嬢ちゃん! 100ハンパートくれるって言うから! 100ハンパートくれるって言うから!」
地下道の入り口からおじさんの叫び声が流れてくる。どうやら秒で買収されてしまったらしい、ちなみに100ハンパートは喫茶店の珈琲代になるかならないかの金額。私の命も随分と安く見積もられたものだ。
「待ちな、ボンクラ! 止まらないと撃つよ!」
「じいさん、やばい! 急いで!」
私はばあさんの警告を聞いた途端にじいさんの背中をぐいぐいと押して、曲がり角まで全速力で走った。

その直後だ。ばあさんが身に着けていた籠手を巨大な機械へと展開させて――原理はわからないけどブランシェット家の狩狼道具は普段は小型に装飾品の大きさにまで収納し、自らの力を注ぎ込むことで本来の大きさにまで展開できる――高熱と膨大な破壊力を伴なった光が地下道を突き抜けて、そのまま地上に向けて地面を引き裂くように跳ね上がり、空を割るように市街地のど真ん中に巨大な光の柱を打ち立てる。
ばあさんの所有する必殺の狩狼道具だ。もはや武器の範疇を大幅に逸脱しているそれは、これまでに数多の悪魔を地上から消したという。


【ミュルクヴィズの赤帽子の乙女】
ばあさん専用の超大型狩狼道具。巨大な柱を思わせる砲身と接続された巨大なジェネレーターから成り、超長距離に向けて鉄をも瞬時に熔解させるほどの熱を帯びた光弾を発射する一撃必殺の兵器。


その巨大さと強大さゆえに1発でも撃てば体力を根こそぎ持っていかれるはずだけど、ばあさんは膝を着くこともなく、猛禽のように鋭く研ぎ澄ませた瞳で周囲を探っている。
まったく、直撃していたらどうするつもりだったのか。私とシャロは100メートルほど先に作られた破壊の跡を眺めて愕然としながら、いよいよ話が通じる相手ではないことを悟る。
話が通じないというよりは、狩狼官の本能か性質なのか、狼の気配を浴びて正気を失っているというべきか。
どっちみち迷惑な話だ。

私たちはこっそりと地下道から抜け出して、破壊を免れた路地を静かに進んでいく。
見たところ地面が抉られただけで建物は表面的な被害しか受けていない。幸いにも平日で人がいなかったからか、人的被害がなさそうなのも不幸中の幸いだ。
単純にお互いに運がよかったということでしかないけども。


「なんだ、そこの老婆!」
「さっきの爆発はお前の仕業か!」
町の治安維持を担う騎士団直轄の警察隊の面々が、あっという間に集まってばあさんを包囲していく。
警察隊だけでは戦力不足と判断されたのか、普段は連携することがない自警団員たちも集まってくる。

「おい、ウル! いったい何の騒ぎだ!?」
駆けつけた自警団員たちの中に、顔見知りの青年がひとり混じっていた。
レイル・ド・ロウン、26歳。元聖堂騎士団序列4位で現在は自警団員として働いている。その腕は未だに健在で、何度か一緒に死線を潜り抜けたこともある。
「えーと、恥ずかしながらうちのばあさんが暴れてる」
「例の鬼みたいなばあさんか……縁側で茶でも啜っててもらいたいな」
同感だ。でもそんな穏やかな老婆だったら、こんな状況になっていないのだ。あくまでもあのばあさんは鬼で暴力的で危険で、その上で狂戦士のようにイカレているのだ。

「逃げるんじゃないよ、このウスノロ! 泣くまで打たれたいのかい!」
取り押さえようと群がる警察隊を片っ端からぎゅるんぎゅるんと投げ飛ばしながら、怒りに満ちた1匹の鬼が私たちを視界に捉える。
それは同時に隣に立っているレイルの姿を捉えたことでもあり、
「誰だい、その男は! あのアバズレみたいに誑かされてるんじゃないだろうね!」
暴言を吐いたと思えば、大きく前足を踏み出して身を屈めながらレイルの足元に絡みつき、そのまま足を掛けて腰を折り畳むように殴りつけて、あっという間に地面に倒してしまう。
そのまま面食らっているレイルの頭を両手でがっちりと固め、その額に頭突きを撃ち込んだのだ。

ばあさんの頭は鉄より硬い。鉄とまで言ってしまえば嘘くさく聞こえてしまうけど、骨密度が高いのか何かしらの変な物質がぎちぎちに詰まっているのか、とにかく嫌になるほど硬いのだ。
硬いのは頭だけではない。拳も肘も膝も脛も爪先も踵も、打撃に使う部位すべてがみっちみちに圧縮したように硬い。
そのとんでもない硬い膝が、身を屈めたレイルの額に突き刺さる。

鈍い音を響かせながら意識を飛ばされたレイルを投げ捨てて、ばあさんがじりじりと間合いを詰めてくる。
あまりの暴虐ぶりに私だけでなくシャロも思わず後退る。
怒った老婆って怖いよね、私も怖い。


「なんの騒ぎだ、さっきから……おいおい、あれはなんだ、あのババアは?」
「やっぱりあんたの関係者だったのね……」
路地の角から顔を出したのは相棒のファウストと、彼女の養父であり、かつて狩狼官時代の母と組んで仕事をしていた魔道士、カール・エフライム・グレムナードだ。誰から見ても美少女と称されるような養女とは対照的に、目つきと顔色と人相が悪く、その反面で意外と面倒見がよい。私のことも気にかけてくれるのだけど、そのおかげで養女からは嫉妬に近い感情を抱かれた
こともあった。
ちなみに母とは私が生まれた後で男女の関係になっているので、一時はこの男が父親なんじゃないかと疑ったりもした。

「お前は本能的に許してはいけない気がするよ! ロクデナシの臭いがするからね!」
ばあさんが勘を働かせたのか母娘だから娘の趣味がわかるのか、有無を言わさずにグレムナードへと手斧を放り投げる。
咄嗟に路地の陰に身を隠して手斧を避けながら、グレムナードが契約している知恵のある毒蛇の悪魔を呼び出す。
「グレムナード、気をつけて! ただのばあさんじゃないから!」
「ただのババアは手斧なんて投げてこないからな」
グレムナードが指で示した方向へと蛇が走る。蛇を先行させて、ナイフを抜いた魔道士が一気に駆け寄る。
魔道士は悪魔と契約するだけではない、そのあまりに非効率的な力に拘ることはせず、武器術・体術・果ては銃火器の使用まで、ありとあらゆる技術を習得している者が多い。
当然この男もそういう魔道士のひとりだ。特にナイフの扱いは私より数段高い域にある。

あるのだけど、雑草でも狩るように蛇の首を刎ねられ、ナイフを振るった後の一瞬の切り返しの隙間を狙って、拳で顎を撃ち抜けるような化け物を前にしては成す術もない。
「パパになにするのよ、このババア!」
倒れた養父を助けようとファウストもフンガムンガなる卍型の投擲用ナイフを放つも、弧を描くように飛ぶそれをいとも簡単に正面から受け止めて、そのまま単純な握力だけで握り砕いてしまう。
「嘘でしょ……」
私も嘘だと思いたい。でも残念なことに現実なのだ。

最初から十分にわかっていたことだけど、相変わらず老婆とは思えない怪物だ。

「手間かけさせるんじゃないよ、ゴミカス共!」
ばあさんの目が不気味に赤く光る。その目が定める次の獲物は、当然私とシャロだ。


一言で表すならば死に物狂いだ。
間一髪のところで避けるので精一杯、一瞬でも気を抜くと致命的な深手を負ってしまう。そういう攻撃だけを繰り出してくる。
目を、耳を、眉間を、喉を、肋骨の隙間を、猛禽が獲物を仕留めるような勢いで、鉄のように硬い拳を振り回すのだ。
180センチ近い長身のばあさんと152センチの私とでは、拳の射程距離が、攻撃の間合いが違いすぎる。おまけに心身にカビのように染みついた恐怖心が、ただでさえ遠い間合いをさらに1歩も2歩も遠ざけてしまう。
懐が遠い。実力差と経験値の差以上に、あの拳の向こうにいるばあさんが遠い。

「忌々しいガキだよ、お前は! 穢らわしい狼の悪魔の血が流れていると判った時に、首を刎ねておくべきだったよ! 10年前の自分をぶん殴ってやりたいね!」
振り回す拳の勢いが上乗せされて感情が昂るのか、ばあさんが激情にも似た感情を含んだ言葉を吐きだす。
その言葉に反応したのは私ではなく、レイルとグレムナードとファウストだった。背後から飛び掛かるように走ってレイルが両足を抱え、強引に解こうと振り下ろした拳をグレムナードが受け止める。
さらにファウストの契約悪魔メフィストフェレスが、空の裂け目から猫のような瞳を覗かせながら地面に向けて糸を伸ばし、その先に繋がれた道化人形がばあさんの脇腹から腰に掛けてしがみつく。

持つべきものはというやつだ。私はぐっと全身に力を込めて、目の前の雁字搦めになった怪物に飛び掛かる。
走りながら上体を屈めて矢のように放たれた拳を間一髪で避けて、伸びきった腕にシャロが噛みついて追撃を封じたその刹那、私は前方へと流れる体に捻りと回転を加えて蹴りを繰り出した。
いくらばあさんが怪物といえど、下半身と両腕を押さえられて、わずかに上半身を反らすだけでは避けきれず、顎先を踵で掠められて糸が切れた人形のようにぐにゃりと膝を崩す。
そのまま追撃の拳を繰り出そうとしたけれど、こんなのでも私の祖母なのだ。そこまで冷徹にも非情にも徹することは出来ない。

その代わりと言ってはなんだけど、シャロが噛みつきを放して地面を蹴って跳び上がり、ばあさんの横っ面めがけて器用に両の後ろ足での一撃を炸裂させた。

ばあさんがぎろりと怒りを含んだ瞳で私を見上げながら、手足を押さえるレイルとグレムナードを振り解き、埃と共に疲れを払うように衣服をバタバタと叩く。
「……興が醒めた。もうお前の好きにするがいいよ」
「最初からそうするよ」
「年は取りたくないね。こんなヘナチョコ共に一杯食わされるなんて、あーあ、ほんと嫌になるよ!」
そう言い捨てながら、ばあさんは一度も後ろを振り返ることなく立ち去っていった。後から追いかけてくる警察隊を千切っては投げ、投げては千切り、しっかりと怪我人の山を築きながら。


「やれやれ、季節外れの台風みたいなババアだったな」
「まだ頭が微妙に揺れてる。頭蓋骨がズレたかもしれない……」
「情けないわね、うちの大人組は」
グレムナードとレイルが地面に寝そべって空を仰ぎながら、災害のような厄介事が去ったことに安堵して、ゆっくりと息を吐く。
その様子を呆れた顔をしたファウストが見下ろしている。
私もみんなの隣に腰かけて、シャロを撫で回しながら地面へと体重を預ける。

空が馬鹿みたいに青い。
久しぶりにゆっくりと眺める、懐かしきノルシュトロムの空だ。

「いやあ、やっぱりお嬢ちゃんがいると騒がしくなるね」
いつの間に来ていたのか最初から覗き見ていたのか、端金で私を売り渡した薄情なおじさんが、誤魔化したいのか適当なのか強引にまとめようと軽率に言葉を発する。

今日はついでにもう一蹴りくらいしておこうか。
私はゆっくりと体を起こし、思い切り地面を蹴ったのだった。


ちなみに下宿でシャロを飼えるかどうかだけど、そもそも女将さんが隣の自宅で大きな犬を飼っているらしく、他の住人たちを噛まなければ別に構わないと実にあっさりと許可が出て、あっという間にシャロは下宿の番犬兼癒し担当兼モフモフ担当大臣に任命された。
わかる、だって賢くて癒し成分に満ちてて世界一のモフモフだから。



今回の登場武器
・ミュルクヴィズの赤帽子の乙女
先々代ウルフリードが所持する超大型狩狼道具。巨大な柱を思わせる超大型の大砲と巨大なジェネレーター。
超長距離に向けて鉄を瞬時に溶断する程の熱を帯びた光を放てる。色は赤と黒。
一撃必殺の威力を持つが、その巨大さゆえに使用後に大部分の体力を消耗する。
威力:S 射程:S 速度:A 防御:― 弾数:2 追加:貫通・切断


今回の回収物
なし(強いていえば自由)


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第31話です。
いわゆる久しぶりに勢揃いな回です。ウルの周り全員出そうとしたら、こんな〇ーミネーターから逃げるみたいな話になっちゃいました。
暴れる老婆って怖いですね。

暴れる老婆って怖いですね。
大事なことなので2回言いました。

ではでは、次回もお付き合いくださいませ。