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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第9話・少女と人魚と海の家~」

私の暮らす自由都市ノルシュトロムは、大陸5大都市のひとつで巨大な運河へと結ばれる水門そのものに、都市中枢に置いて拡大させた海の面した町だ。そのため本格的に夏になると、主に南部や内陸からの観光客でごった返し、観光港や市場は大賑わいの様相を呈するけれど、意外なことに遠浅の砂浜は少なく、遊泳可能ないわゆる海水浴場は限られている。
限られるということは、必然的にそこに集中する人数も増えるわけで、要するに忙しいわけだ。

「……暑い」

気温はすでに30度、比較的涼しく気候穏やかなこの町にしては、ひどく暴力的な暑さだ。
神が実在するのかどうか知らないけど、神がいよいよ人類に対して腹を立てて、嫌がらせで暖炉に薪をぶち込んで、その上から灯油をぶっかけて、家ごと燃やしているのではなかろうか、と疑いたくなるような状況が、ここ数日続いている。

こんな日は喫茶店で扇風機の風でも浴びながら、キンキンに冷えた珈琲でも飲んで過ごしたいものだけど、あいにく私は珍しく忙しい。労働に対して積極的でもないし、さほど意欲的なわけでもないのだけれど、生きていくにはお金がいる。
そこで短期就労、アルバイトだ。

この時期は観光港にある料理店、海の家、ビーチの監視員、リゾートホテル、密漁、その他もろもろ、海沿いの仕事は猫の手も借りたいどころか、猫でも犬でも手がある生き物は片っ端から雇いたくなる忙しさだ。
その分、給金も割高で、短期でまとまったお金を稼ぐには持ってこい。なにせ1時間400ハンパートだ。下宿の家賃が2万ハンパート、食費その他含めた生活費も同じくらい。ちなみに喫茶店の珈琲が1杯100ハンパート。
単純計算12日で1月分、倍働けば2月分は稼げる。今月頑張れば、来月は寝てても毎日許されることになる。

私の本業は狩狼官だけど、この暑さでは悪党も熱にやられて籠ってしまうというもの。真っ当にこの種のアルバイトをした方が、遥かに実入りがいいのだ。


私の名前はウルフリード・ブランシェット。16歳、狩狼官。もとい海の家のアルバイトだ。


そういうわけで今日も今日とて、朝から海の家に向かっている。
日傘越しでも目が眩みそうになる。北部の森の中で育った私には耐え難い暑さだ。他のみんなは、特に傘も差さずに走り回っている配達員なんかは、一体どうやってこの暑さを凌いでいるのか。

「気合いだよ、気合い! 暑さでバカにならないとやってられないよ!」
こう語るのは契約先のアングルヘリング自警団事務所の所長。借金が膨らみ過ぎて、この夏は少しでも減らそうと道路工事に精を出している。

「まあ、なんだ……長めで軽めの拷問だな」
瀧のような汗を流しながらそう語るのは、魔道士のグレムナード。40半ばの働き盛りの年齢だけど、特に働いている様子もないし、もちろん資産家なわけでもない。おそらく雨露を濾過して飲んでいるに違いない。

「なんだなんだ、このくらいの暑さで。俺は南部に遠征に行ったことがあるが、あっちと比べたら天国みたいなもんだぞ」
これは元騎士で自警団員のレイル・ド・ロウン、暑いと思うから暑く感じるという、いわゆる脳筋理論だ。今月は夜間の沿岸警備をしているらしい。

周りの大人たちは何の参考にもならないので、少しでも気が紛れるように、濡らしたタオルを頭に被せながら歩く。
夏と冬とどちらが好きかと問われたら、何度問われても夏だと答えるけど、それは右の頬を平手打ちされるのと左の頬を拳で殴打されるのと、どっちが痛くないか、という話なので、別に夏の暑さに強いわけではない。
出来ることならば毎日、最高気温22度、最低気温16度くらいで過ごしたい。


暴力的な太陽を日傘と濡れタオルで凌いで徒歩1時間、ようやく海の家フライドエッグが見えてくる。
屋根の上の巨大な目玉焼きを描いた看板が特徴で、人気メニューはビールと卵料理、あと海鮮塩焼きそば。この辺りは海の家はどこも似たようなものだ。
私の仕事は、ひたすら玉子焼きと焼きそばを焼くだけ。厨房は汗が止まらないくらい暑いけど、店の前で呼び込みをするよりは遥かにマシだ。水も飲めるし、うんざりした顔もし放題だ。
あと水着にならなくていい、これが一番大きい。

なんで大きくたっぷり育ったスイカの群れの中で、豆もやしみたいな姿を晒さなければならないのだ。
それに、そういう持つ者と持たざる者の格差を抜きにしても、幼少の頃からの訓練で切傷刺傷裂傷に縫い痕だらけな体は、あまり人前に出すものではない。そういう意味では、どうしても晒さずでは済まない顔と肘から先の傷を徹底して避けてくれたばあさんに感謝だ。
いや、普通は女子をそこまで鍛えないんだけど。

「うおー! うおー!」

なんだか騒々しいなと顔を上げると、港と海水浴場に繋がる道の前に黒山のような人だかり。
黒山の人だかりというか、鯖山の魚だかり。
そこには港で働く半魚人たちが『ハソギョヅンニモヅンケソラ』と、言いたいことはわかるけど微妙に間違った文字で殴り書きされたプラカードを抱えて、うおうおと激しく叫んでいる。


半魚人――文字通り半分魚で半分人間のような生き物だ。あながち間違いでもないから人魚とも呼ぶ。
魚をそのまま地面に立たせたような雑なフォルムで、顔はそのまま普通の魚、本来エラがある部分で顔が90度に曲がって、形だけ人間に近づけてみました感がある。二足歩行に対応した二股に別れた尾びれで歩き回り、ぬるっと飛び出た鱗に覆われた腕と先端の大小の2本指で物を掴む、水陸両用の単純労働者。
言葉は『うお』『ギョ』などの簡単な単語だけで会話し、表情から読み取れる情報は皆無。
そして意外と勤勉で働き者。

もしかしたら魚に憑りついた悪魔とかそういう類のものかもしれないけど、専門たちの数年に及ぶ調査の結果、彼ら彼女らがどこから来て、どんな進化を遂げてこうなったのか、いつから人間と共生しているのか、何ひとつとしてわからなかったため、害がなければいいやってことで市民として労働者登録もされている。
ちなみに雇い主たちも役場の人たちも、個体の区別はついていないらしい。


この暑さなら半魚人たちがストライキを起こしても不思議はない。
元々水の中でくらしていた生き物だし、夏の暴力的な暑さと刺すような陽射しは天敵だろう。

「なにやってんだ、お前ら! さっさと持ち場に着け!」
半魚人たちに怒鳴っているのは、フライドエッグの真向かいに店を構えるライバル店のDFCの店長。デリシャスフィッシュカリー、略してDFC。人気メニューはフィッシュフライカレーとエビ煮こみカレー、あとビール。
半魚人が魚を料理してることに違和感を覚えない人であれば、たぶん美味しく召し上がれる。私はちょっとグロテスクさを感じるから嫌だけど。

しょっちゅう従業員に怒鳴っていることもマイナス要素だ。
よく半魚人の尻――実際に尻なのかわからないけど人間でいうところの尻の位置――とにかく尻を蹴っている姿も目撃されている。要するに乱暴で、周囲からの不満を募りやすい類の人間だ。

ほら見たことか。今まさに半魚人たちへの鉄拳制裁を始めようとしている。
まったくの無関係とはいえ、目の前でそんな振る舞いをされても気分が悪い。別に自分が正義だなんて思わないけど、私は危害を加えられない限り、大概の動物に優しい人間でありたい。それが半魚人であってもだ。
人間? 人間は本当に相手による。
せめて一声かけておこうと一歩踏み出したその瞬間、

「ギョアアアアッ」

怪物の叫び声のような甲高い音が響き、DFCの店長の体が2度3度がくんと揺れたと思ったら、白目をむいて口からは泡を、耳からは血を垂れ流して倒れる。
半魚人たちは緑色のスピーカーを持ち上げて、ある者はうおうおと踊るように盛り上がり、またある者は尾びれでDFC店長を蹴り回し、また別の物は調理用の包丁でぐさぐさと背中や腰を刺している。

「ギョ?」

そして私を含む通行人、今まさに目の前で起きている事件の目撃者に顔を向けて、ドタバタと走りながら向かってくる。
表情からは何も読み取れない、目は点で口は線のままだ。
しかし彼らの手にした包丁やスコップやツルハシが、明確に人間の敵対者であることを告げている。

一瞬遅れて、周囲から次々と悲鳴が湧き上がる。
そして港にいた全員が慌てて走り出し、あっという間に港と海水浴場は半魚人たちに占拠されてしまったのだ。

ちなみに彼らは足が非常に遅く、走っても人間の徒歩に及ばないため、件の店長以外の被害者は今のところゼロ。



「というわけでバイトが急遽休みになったわけ」

事件発生から2時間後、私はアングルヘリング自警団事務所でソファーに腰かけ、受付のじいさんが淹れてくれたアイスティーを飲んでいる。
こういう荒事こそ自警団の出番のはずだけど、自警団は騎士団直轄の警察隊に人数でも予算でも大幅に負けているため、特にこれといった出番も無し。
今頃、警察隊が半魚人たちと交渉しているだろう。

「半魚人たち、どうなるのかな」
「どうだろうね。漁協にせよ加工会社にせよ、彼ら無しでは成り立たなくなってるからね。案外大した罰もなく、なあなあで終わる気もするよ」
「それはそれで釈然としないものがあるけど」

じいさんの言うことも理解はできる。
人件費の安い半魚人たちを使うことで利益を出している会社は、今さら彼らを切ることも出来ない。もし切るのであれば、大幅な方向転換をする羽目になるし、結果次第ではそれこそ心中のようなものだ。
馬鹿な乱暴者が1人犠牲になりました、半魚人をもう少し優しく扱いましょう、で終わる予感は確かにある。

グラスに残った氷を齧りながら窓の外に目を向けると、ドンドンと太鼓やラッパを鳴らしながら、プラカードを掲げた半魚人たちが群れを成して歩いている。
港でのストライキは街中でのデモに発展したらしい。

それにしても数が多い、圧倒的とも凄まじいともいえる数だ。

窓から見える範囲だけでも、路地を覆い尽くす程の半魚人。
魚は産卵数が多く、例えばマンボウは1度に3億個近い数の卵を産むらしい。仮に半魚人の産卵数がマンボウ並だとしたら、ノルシュトロムの人口を遥かに上回る数が押し寄せても不思議ではない。いや、全然不思議なんだけど。

「ノルシュトロム広報車からのおしらせです! 現在、半魚人によるデモパレードが発生しています。住民の方々は屋内に退避して、彼らを刺激しないようにしてください。交渉に当たっていた警察隊は壊滅しましたが、幸いにも怪我人はいません」

塵も積もればというかなんというか、港に出向いた警察隊は半魚人たちの圧倒的な物量に圧し潰されて、ゆっくりとではあるが壊滅させられてしまった。
つまり、公権力でもどうにもならない、ということだ。
私たち一般市民に出来ることは彼らの怒りが収まるまでやり過すか、それとも有志を募って立ち向かうか。

事務所の入っている雑居ビルの屋上に上がって、町の様子を眺める。
視界内にある道路はすべて半魚人で埋め尽くされている。さらに港の方向からは、絶えることのない半魚人の増援が無限に等しいくらいに現われ、生物としての能力さを数の優位性でもって覆している。
あ、文句を言いに行った角の煙草屋のおばさんが、半魚人の群れに飲み込まれた。

これではもうどうしようもない、嵐みたいなものだ。嵐が相手となれば、出来ることなど限られている。
そう、通り過ぎるのを待つしかないのだ。
随分とのろまでぬぼーっとした嵐だけど。



事件発生から3時間、半魚人たちによる暴動は、戦士と魚を掛けてウオーリア事件と名付けられた。騎士団も自棄になっているのか、また随分と妙な名前を付けたものだ。

半魚人たちは更にその数を増やし、プラカードに『チソギンアップ』『ボリョクハソタト』と書き殴り、その他様々な要望も加わって勢いも桁違い。おまけに警察隊が止めに入ろうにも、妙な音を発するスピーカーに邪魔されて手が出せない。

しかも厄介なことに、あのスピーカーは失踪した母の持ち出した狩狼道具【カタスレニア】と思われる。
不快な叫び声のような音を巨大な、それこそ空気の壁をぶつけるように放ち、距離によっては相手の鼓膜を破壊する指向性のスピーカー。距離が離れていても、あの大音量に本能的に避けてしまう不快感、それを半魚人が群れの中で使うときた。
文字通り手の出しようもない。

「うお! うお!」
窓を半魚人たちが叩いている。
路地をみっちみちに詰める半魚人たちの重さで、ただでさえボロな事務所が軋むような悲鳴を上げている。
壁が壊されるのも時間の問題だ。



事件発生から4時間、いよいよ終わりだと観念したその時、外ではある変化が起きていた。

太陽は真上に昇り、陽射しは矢のように鋭く、密集した半魚人たちの影響もあって、ただでさえ暑い真夏日を、蒸し風呂のような地獄へと変えていた。
扇風機の風を間近で受けながら窓の外に視線を向けると、半魚人たちがバタバタと倒れている。

そうか、暑さに弱いからか。
魚は元々水の中で生きるものだ。魚の適温なんて知らないけれど、当然湯の中で生きれるわけもない、それが猛暑の石畳の路地の上ではなおさら。

「うおー、うおー」
ぴちぴちと尾びれを揺らす半魚人たちの表情は、相変わらず魚そのものでさっぱりわからないけど、その姿があまりに可哀想なので、バケツを持ってきてパシャパシャと水をかけてみる。

「ほら、こんなとこで寝てると死ぬよ。海に帰りな」
「ギョ」
「言葉、通じてるのかな?」

半魚人は文字通り水を得た魚のように元気を取り戻し、立ち上がって何度か頭を上下に揺らして、うおうおと喋りながら港の方へと帰っていく。
他の半魚人たちも、ある者は自分の尾びれで、またある者は倒れた仲間を抱えながら、あるいは荷物のように運ばれながら、川へと飛び込み港の方へと帰っていく。

私は半魚人の気持ちはわからないけど、多分きっとおそらく、暑くてやってらんねー、そんなところじゃないかな。

だって、実際うんざりするくらいに暑いから。

バケツに残った水を頭から被る。蒸し暑さで煮えそうだった頭の天辺に、ひんやりと冷たい感覚がまとわりつく。

生き返る。きっとこの感覚は、人間も半魚人も一緒に違いない。



翌日、朝から滝のような汗を流しながら海の家フライドエッグに行くと、なぜか店内では半魚人たちが忙しなく働いていた。
フライドエッグだけではない。店長不在のDFCはもちろん、他の飲食店もビーチの監視員もリゾートホテルも密漁業者に至るまで、観光港と海水浴場のあらゆる機能が半魚人たちに奪われてしまったのだ。
昨日の騒動で経営者たちが全員逃げてしまったのか、それともどさくさに紛れて海の底にでも運ばれてしまったのか。

真相はわからないけれど、港には『魚ーリア海水浴場』と謎の看板が掲げられ、意外と普通に人間たちもバカンスを満喫している。

ん? 誰も困ってなければ特に問題ないのかな?

現状で困っているのは、同僚がいきなり全員半魚人になった私くらいだ。「うお、うお」
半魚人の店長が何か指示を出しているけど、言ってることはさっぱりわからない。
かといって帰るわけにもいかないので、いつものようにエプロンを腰に巻いて、ひたすら海鮮焼きそばを焼き続けたのだった。


ちなみに数日後、就労期間が終わってアルバイト代を渡された私は、半魚人を助けてあげた謝礼として緑色の奇妙な音を出すスピーカーを賞与として頂くことになる。
やはり生き物には優しくするものだ、それが仮に半魚人であっても――



今回の回収物
・カタスレニア
不快な音の壁をぶつけて相手の動きを制する指向性スピーカー。緑色。
カタスレニアは睡眠時に呻き声を発する症状。
威力:E 射程:A 速度:A 防御:― 弾数:30 追加:鼓膜破壊


(終わり)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第9話です。
フライドエッグもDFCも貧乳を指すスラングだそうです。私も普段は海の家うすっぺらで働いてるので、同系統の名前にしてみました。
時々描写してますけど、ウルちゃんも細いですからね。

最初は生足魅惑のマーメイド的に切断された足が発見される事件に半魚人が関与してる、みたいなミステリーを書こうと思いましたが、寒さで脳が停止寸前なので、ほのぼのゆるふわホラーにしました。
魚がいっぱい歩いてたら怖いですね。

でも食欲が勝つかもしれません。


キンメダイの煮つけとか食べたいでっす!