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「連続小説」それいけ!!モグリール治療院②~お酒と聖水は誰しもが平等に買えるべきだ~

「君は素晴らしい能力の持ち主だ。それを街ではなく、迷宮で活かして欲しいんだけど、どうだい?」
そうやって僕を初めから過大評価してくれたのは、後にも先にもモグさん、冒険者のモグリールだけだ。

昔から頭がいいわけでも、体が大きいわけでも、なにか得意なことがあるわけでもなかった僕でも、なにか仕事にありつけるんじゃないかと思って、王都の東、複数の迷宮と隣接する現在進行形で作られている都市スルークハウゼンに15歳で移り住むことに決めた。
だけど、そこは暴力的なまでに活気と熱気に溢れていて、各地から一獲千金を夢見た荒くれ者たちが冒険者として、あるいは冒険者に武器や道具を売るために、目を血走らせた獣のように慌ただしく走り回っていた。
僕みたいな奴らは当然のように尻込みして仕事にあぶれて、飯屋で皿を洗ったり、道路で靴を磨いたり、でもそれも誰かと椅子を取り合うことになって、最後の最後に残った仕事が下水を漁ってくず鉄を拾う職業、どぶさらいだった。
耐え難いほど臭くて、信じられないほど汚い仕事でも、ひとりで地道にこつこつ作業をするのは、どこかで自分の性分に合っていたのか、たまに金持ちが落とした財布や貴族が落とした装飾品、冒険者が落とした短剣といった、水で洗い流せば十分な収入になるものを拾えるようになった。
郊外のボロ屋を借りてどぶさらいを3年ほど続けた頃、拾い物が得意な者を探していたモグさんと出会い、そこから彼とパーティーを組んで迷宮に挑むことになり、5年も経った頃には僕にも黒鉄という一人前の冒険者を意味する評価が与えられるようになった。


「そういうわけでヤーブロッコさん、黒鉄の冒険者であるあんたに、どうしても手伝ってもらいたい仕事がある」
冒険者たちがよく顔を突き合わせる食堂、そのテーブルに座って話しかけてくるのは、ウリーンと名乗る男だ。苗字はない。
この時代、苗字のない者は珍しくもない。平民である僕にも苗字はないし、苗字があるとしたら貴族か金持ちか、それとも見栄っ張りな詐欺師紛いの人間か、それとも没落でもしたか、そんなところだ。
「俺たちは商人に雇われて聖水を作っている。今度、かなりの高価で取引される聖水を作ることになったんだが、材料が迷宮の深いところまで行かないと手に入らない。そこで腕利きの、それも素材集めに定評のあるあんたに協力してほしい。もちろん報酬は弾むし、途中で危険だと思ったら引き返してもらっても構わない。その場合、渡す金は少し減っちまうけど」
なるほど、護衛か。僕自身の戦力は大したことはないけど、仲間には強さだけで黒鉄まで上ってきたのもいるし、迷宮を歩きなれた熟練者もいる。リーダーであるモグさん自身も、他の冒険者が思いもよらない方法で勝利を収めてきたし、彼らがいれば危険度も下がるだろう。
もちろん一緒にきてくれるならの話だけど。

「誤解のないように言っておくけど、僕自身は戦力としてはいまいちだ。多分そこら辺の青銅、駆け出しにも劣る。それでも良ければ、出来る範囲での協力はするけど」
「問題ない。というより、あんたには戦力としてじゃなく、迷宮の危険を避ける方に期待してる。無駄に戦って、貴重な素材を失うようなことは絶対に避けたい。もちろん腕っぷしに自慢のある連中にも声を掛けてるけど、戦いは本当に最後に最後の手段だ。あんたクラスの冒険者ならわかるだろう、なんせ聖水だ」

なるほど、聖水か……。
「一応聞いておくけど、その腕自慢の連中、ほんとに来てくれるのか? だって、聖水だよね?」
「大丈夫だと思うけど、絶対にとも言えない。ほら、なんせ聖水だから」
やっぱりモグさん達が来てくれるのが一番だ。戦いを避ける方針でも、やはり戦力は必要だ。
僕はどうしたものかと肩肘を突きながら頬を支え、妙案でも湧かないものかと喉に水を通らせた。


「絶対にやだー!」
案の定、ヤミーちゃんが猛反対してきた。理由は単純だ、聖水だからだ。
ヤミーちゃんはモグリール治療院の戦闘担当。かなり北の地域からやってきた女の子で、ナイフ1本で狼の群れの頭目を仕留めて、毛皮を剥いで一人前として認められ、ようやく村の外に出れる、という奇妙な因習のある場所から来た。僕よりも3つか4つは年若いけど、戦力という点では僕なんかより遥かに上だ。おそらく冒険者全体で見ても、両手で数えるほどしかいないと思う。
「ちなみに聖水の材料だけど、彼らはどのランクの聖水を作る予定なんだい?」
今にも暴れそうなヤミーちゃんを、まあまあとなだめながらモグさんが聞いてくる。

聖水にも段階がある。効果の薄い聖水は入手難易度もそれほど高くなく、商品としての値段も安い。
しかし今回、ウリーンたちが作ろうとしているのは、最高ランクの、とても一介の冒険者では買えないような高価な聖水だ。下から衛兵・塹壕・城塞・守護神と分類される聖水の、まさに守護神を作ろうとしている。ちなみに衛兵で全身甲冑と同じくらい、塹壕で名刀程度、城塞にもなると家を建てるほどの金が必要になるし、守護神にもなると王様の調度品だ。
効果も値段に見合っているわけではなく、衛兵でせいぜい野犬除け、塹壕で熊除け、城塞でようやく魔獣の接近を防いでくれる。しかし守護神ともなると、その名の通り守護神に守られているかの如く、ありとあらゆる生物からの危機を遠ざけてくれる力を持つ。

「守護神です」
「うわーん! 死んでもやだー!」
ヤミーちゃんが一際反対して、モグさんの抑え込む腕を払って、床を大きく蹴って跳躍し、素早く天井の梁にしがみつく。
食堂のおばちゃんに怒られるから、今すぐ降りてきてほしい。しかし頭から被った狼の毛皮をゆらゆらさせながら、まるで元々そういう姿勢だったかのように器用に掴まったまま降りてこない。
「ほら、ヤミーちゃんは半分獣みたいなものだから」
「ヤミーちゃん、降りてきなさい。そうだ、食堂のおばちゃんが隠してた蜂蜜をあげよう」
クアック・サルバーがどこからともなく蜂蜜の入った壺を持ち出して、銀製の匙で中身をすくいながら、ヤミーちゃんに向けている。
クアック・サルバーも僕たちモグリール治療院の一員。主に交渉や雑務を担当している。元々は白銀の冒険者として自前のパーティーも持っていたらしいけど、あまり踏み込んだ話をしたことがないので、その辺りはよくわからない。
ちなみにみんながクアックでもサルバーでも名前っぽくない、という理由でクアック・サルバーと呼んでるから、僕も流れでそう呼んでる。
この人を分類するとしたら、一言で表すと恐ろしい人で、なにがどう恐ろしいかって、
「そうだ、いいことを思いついた。せっかく聖水の材料を集めに行くんだ、私たちもその商売に1枚噛ませてもらおう」
こういうことを平気で言い出すし、言い出したら止まらないからだ。
聖水は現状、冒険者用の道具でありながら冒険者ギルドの管理下にはなく、ひとりの商人が独占的に販売している。値段の大幅な吊り上がりも、同業他社がいないせい、といえば聞こえはいいけど、参入しようとした商人を片っ端から邪魔しているとの噂もある。
聖水販売人のモチュ・ホブノ。一代で聖水の販売で成り上がり、足元を穴が開くほど凝視するような姿勢と手腕で、莫大な富を築いた男だ。ウリーンたちの上司でもある。
「こいつを引き摺り下ろしてしまおう。それがいい、なぜならお酒と聖水は誰もが平等に買えるべきだからね」
クアック・サルバーが不敵に笑ったのだった。


そういうわけで僕は迷宮にいる。
冒険者の街スルークハウゼンから南へ20キロに地点に位置する中層の迷宮、落涙の大地。落した涙も飲み込まれてしまう乾いた大地。黄色い砂の混じった風とどこまでも拡がる赤茶けた地面。けれど地形は極端に歪で、空まで伸びるほど高い丘から、地獄にまで届きそうな深い谷、それが隣り合ってあちらこちらに存在している奇妙な光景となっている。
人類踏破率は60%、生還率50%といったところ。
「やっぱり輸送隊は置いてきて正解だったな。この落差は無理だ」
迷宮入り口の、巨大な鍬で抉られたような窪地を見下ろしながら、モグさんが呟く。モグさんは今までに数々の迷宮に足を踏み入れた熟練どころじゃない冒険者だけど、振り返るってみると、こういう場所にはあまり出向かなかったように思う。

「じゃあ、今から採集場所に向かう。安全なルートは開拓済みなので、俺たちの後をついてきてくれ」
ウリーンとその仲間たちが、各々両肩に桶を担いで歩き始める。その様子は水の行商人みたいだけど、実態はまるで違う。
この世の中で最悪な仕事は何かと聞かれれば、僕は鉱山労働者だと答える。暗くて狭い坑道を掘り進めて、何日も太陽の光を見ることもなく、いつ訪れるかわからない落盤や有毒なガスの脅威に晒される、この世で最も過酷な労働。国によっては重犯罪者の刑罰であったり、反抗的な奴隷の最後に行きつく場所なんて呼ばれたりもしている。平均寿命は半年、この地上に存在する目に見える地獄だ。
しかし一時的な危険度でいえば、それを大きく上回る地獄のような仕事が存在する。それが聖水の素材集め、縄張り漁りだ。
聖水の材料は獣の尿や分泌物。獣がマーキングしそうな部分に布を仕掛け、回収して水分を搾りだして煮沸し、毒性を薄めて臭いだけを残したもの、或いはマーキングされた土や木の皮を削り取って水に溶かしたもの、それが聖水の正体だ。
その獣の強さや分泌物の純度で品質が変わるが、衛兵・塹壕・城塞・守護神ではそれぞれに大きな差がある。
衛兵と塹壕は狼や熊といった獣のものでいいが、城塞は強力な魔獣のものでなければならないし、守護神ともなれば迷宮四大巨獣の中で最も凶暴で危険とされる百獣でなければならない。
他者を寄せ付けない強さを持つ、その名の通り獣の頂点に君臨する百獣が、自らの縄張りを誇示するために、この落涙の大地のあちらこちらに飛ばした分泌物。それを採取するには、百獣の縄張りに入り込み、おまけにマーキングした場所を漁るという、明確な敵対行動を取るわけなのだ。
労働者の平均生還率は10人に1人、それも運まかせな数字ではなく、他の連中を犠牲にしている間に逃げ戻ってこれた数字がこれだ。
ウリーンの言う安全なルートも、なんのことはない。百獣の縄張りで他の獣が避ける傾向にある場所を通るというだけだ。

「ねえ、ちゃっちゃと取るもの取って帰ろうよ」
渋りながらも同行してくれるヤミーちゃんが、風に乗って漂ってくる獣の臭いに鼻を摘まむ。
そうだ、長居は禁物だ。
迷宮の危険は百獣だけじゃない。百獣の餌にされる原生物も人間には脅威だ、さらに死骸を漁るために空を舞う猛禽、もしかしたら遠く半獣半人の亜人の国からだって、武装した人間並みに知能の高い連中が狩りにきているかもしれない。
「ところでウリーンだっけ? 君たちはなんで、こんな危ない仕事してるんだ? ルートが開拓できるほど来てるってことは、そんなに実入りもよくないんだろう?」
「ああ、色々と訳ありでね。もちろんあんたたちへの報酬はちゃんと払うから心配しないでくれ」
モグさんの問いかけにウリーンが表情を曇らせる。
その後に続いた言葉は、またひとつの辛酸を舐める半生だった。

いわく、彼らは奥地の村から口減らし同然に出てきた出稼ぎ労働者で、運悪く扱いの悪い雇用主の下で、薄い水のような粥を啜りながら生活していた。そこを丸ごと買い取ったのが例の商人モチュ・ホブノだった。奴はウリーンたちに豪華な食事に温かい寝床、さらに服や生活のための道具も支給した。もちろん善意ではなく有償でだ。その何ヶ月にも渡る善意に見せかけた施しは、借金という形で彼らの頭上に乗りかかり、常識では考えられない暴利に借金は雪だるま式に増え続け、こんな仕事にでも就かない限り返せない額にまで膨れ上がったそうだ。
当然、逃げようにも逃げ出せないように、商人の雇った腕自慢の荒くれ者に四六時中監視もされている。
「なるほど、ひどいこと考える奴もいたもんだ」
「でもモグリール、あんたも似たようなことしてるよね」
今日は地形的な理由で連れてきていないけど、モグリールの輸送隊は彼に命を救われた元冒険者たちだ。迷宮で死にかけたところを救われ、治療を施され、莫大な治療費を返すために働いている。しかも迷宮を踏破して名を上げたい、そうでなくても歴史的な発見や栄誉ある怪物の討伐に立ち会いたい、という冒険者の本能をくすぐるおまけつきだ。諦めきれない夢に付け入る姿勢は、モチュ・ホブノよりも最悪かもしれない。
「僕は高利貸しのような真似はしてないよ」
「でも似たようなもんでしょー」
ヤミーちゃんの言うとおりだ。悪の種類が違うだけで、おそらく根っこの部分では一緒なのだ。ただ種類が違うから、肩を並べて歩けることもある。そういうものなのだ。


一方その頃、クアック・サルバーは書類の束を抱えて、冒険者ギルドに顔を出していた。
正確にはスルークハウゼン都市計画部・迷宮課・冒険者管理係。
冒険者ギルドという名前から、伝説の冒険者が取り仕切る独立した組織だと思われがちで、僕もこの街に住むまではそう思っていたけど、実際は手続きと書類作りに追われるお役所仕事だ。
しかし、そういう組織がないと、ただでさえ悪い治安がさらに悪化するし、ただでさえ悪徳な商売が多い街で、パン一切れ買うのに人買いに家族を売るくらいまで、世の中がおかしくなるだろう。
だから簡単に失われがちな良心を制度で保つための組織が必要となるし、そうなると必然的に手続きが増えてくる。
だけども、そこはクアック・サルバー。モグリール治療院の交渉・書類作成担当で、少なくとも僕よりは遥かに頭も回るし、口もよく回る。
おまけにこれまでに数々の書類を偽造してきた実績と技術があり、冒険者ギルドも頭を悩ませる人材である反面、お互いの利益になる場合も多いため黙認せざるを得ない、持ちつ持たれつな良好な関係も築いている。
「それで、今日は何の用でしょう?」
「まあ、そう構えるでないよ。今日は真っ当な話をしに来たんだよ。ひとつ商売に手を出そうと思ってね」
顔を引きつらせる受付のお姉さんに書類の束を渡し、まったく問題がなくすんなりと申請を済ませたらしい。らしいというのも、クアック・サルバーから後で聞いた話なので、もしかしたら金を握らせたり弱みを握ったり、そういう紙の裏の駆け引きがあったのかもしれない。
とにかく、僕にはよくわからないけど、聖水販売の下準備はこの時点で終えていたのだった。


「そろそろ百獣が現れやすい地点だ。とにかく下手に刺激をしないこと、目を合わせないこと、上出来なのは百獣に見つからないこと」
砂まみれの崖を慎重に登りながら、ウリーンが動いて流れた汗とは別の、不安と緊張に満ちた脂汗を額に浮かべている。
僕たちは崖の下で待機して、彼らが採集した分泌物を受け取り、出来るだけ急いで縄張りの外に離脱する。その間、ウリーンたちは地形を利用して、細かく隠れながら逃げ続け、場合によっては誰かが身を呈して犠牲になって、他の仲間を逃がす。そういう作戦だ。
「なあ、ウリーン。この仕事が終わったら、今の商人のところから逃げ出して、新しい仕事を始めるとかどうかな。僕たちだったら街の外に運び出すことも出来るし、ほとぼりが覚めるまで輸送隊に身を隠してもいいし。ねえ、モグさん」
「ん? ああ、別に構わないけど、ヤーブロッコが肩入れするなんて珍しいな」
僕にだって欠片くらいの良心は残ってる。自業自得で身を落したのなら、別に誰がどうなっても構わないと思うけど、その身の不幸が第三者の悪意によるものだったら救ってあげたい。どぶさらいに身を落した僕だからこそ、モグさんに声を掛けられたように、誰かの運命を変えたいと思うのかもしれない。

「馬鹿なことを言うな! そんなこと許されるか!」
僕らの背後から、空気を読めない大声が矢のように突き刺さってくる。
振り向いた瞬間、崖を登るウリーンたちを狙った鎖付きの碇のような歪曲した鉄の塊が、空気を引き裂くように宙を走り、崖を登る仲間の頭上に脅すかのように突き刺さる。
鎖の先にいるのは大柄な熊だ。いや、熊の毛皮を頭から被った大柄の筋骨たくましい男だ。
ビョルンセルク、熊の毛皮を被った狂戦士。以前ヤミーちゃんから聞いたことがある。故郷の北の地域には狼を狩って一人前と見なされるウルフヘズナルと、熊を狩って一人前と認められるビョルンセルクがいて、隣の集落にはやたらと声が大きい剛腕のカルフという戦士がいて、何度か勝負したけど決着はつかなかったらしい。
とにかくやりづらい相手のようで、ウルフヘズナルは狼の群れのような多数との戦いが基本となるので、ある程度の間合いを保つ戦い方を好み、ビョルンセルクは対照的に1対1が専門。そのため、ウルフヘズナルでは選択しないような、のしかかったり抑え込んだりの、間合いを潰していく戦い方を好んでいるらしい。
まさか、そんな因縁の相手ではないだろう。迷宮は広い、それに世界はもっと広いのだ。
「ぬっ! 貴様はヤミーではないか! ここで会ったが百年目、今日こそ、この剛腕のカルフの力を」
「うるさい! 百獣に聞えたらどうするんだ!」
どうやら剛腕のカルフその人らしい。そしてヤミーちゃんが、更に上回る大声で怒鳴り返す。
その瞬間、大地が揺れるような咆哮が響き渡って、崖の上から船を港に繋ぐ綱のように太い蛇のような生き物が頭を振り乱し、岩肌を砕き、雨のように石の礫を降らせ、縄張りを荒らす愚か者たちを地面に叩き落とした。

岩肌を砕いて回った蛇はさらに巨大な生き物の一部で、その姿は獅子の頭に虎の前足、下半身は象、背中にはヤマアラシのような棘、毒蛇の尾と鷲の翼を持った巨大な獣が、崖の上に威風堂々とした姿で、まるですべての生物の王のように君臨している。
百獣だ。最悪のタイミングだ。最悪にしたのは、背後の熊男とヤミーちゃんなんだけど。
そんな冒険者らしからぬ失態を犯した当事者たちは、なにか血沸き肉躍る戦士の本能が目覚めたのか、瞬きほどの猶予も許さない速さで殴り合いを始めている。ヤミーちゃんが顎を下から撃ち抜けば、カルフが上から肩口に拳を振り下ろす。ヤミーちゃんが腹筋を蹴り上げれば、カルフが掴みかかって地面に叩きつける。
驚いた、ヤミーちゃんと殴り合える人間がいるのか。ヤミーちゃんは元より狼の群れをひとりで倒すくらいに強い。その強さに加えて、身に着けた者の筋力を高める、怪力の指輪10個に剛腕の腕輪2個、剛力の足輪2個を装備し、単純計算で豪傑30人分以上の力を上乗せしている。先日は迷宮四大巨獣のひとつ、大いなる蹄の討伐にも成功したほどだ。
「なんで倒れないの!」
「馬鹿め! 貴様のような力だけの女とは違うのだ! 俺はだな、雇い主のモチュ・ホブノ様の妙案で、活力の指輪10個に忍耐の腕輪2個、不屈の足枷2個を身に着けて、まさに鉄壁の盾と呼ぶにふさわしい強靭さを手に入れたのだ」
なるほど、似たような生き方の人間は意外と身近にいるし、似たような発想をする人間も身近にいるようだ。もしかしたらモグさんと件の商人も、酒でも酌み交わせば気が合うのかもしれない。

「ヤーブロッコさん、百獣が自分に全然気づいていないあの二人を、じっと眺めている。みんな怪我を負ったけど無事だ。今のうちに一旦退いて、体勢を整えよう」
「そうだね。モグさん、ここは一旦……」
モグさんに指示を仰ごうと顔を向けると、怪我人を肩に担いで駆け出している後ろ姿が見える。いや、これは僕たちが悪いんだけど。対処しきれない危険が迫ったら、とにかくその場から遠ざかる。負傷者が出たら、落ち着いて治療できる場所まで運ぶ。普段から耳にタコができるくらい、何度も繰り返して聞かされていることだ。
「ヤミーちゃんも逃げるよ」
「わかった!」
ヤミーちゃんが腰にぶら提げた大型の半月状の武器を握りしめて、カルフの顔面を正面から撃ち抜く。さすがに少しは効いたのか、がくがくと膝を笑わせて、その場に片膝を落とす。
「もー! もっといいお披露目の仕方が良かったのに!」
「あー、それが例の新米つぶし?」
新米つぶし。名前は悪いけど、ヤミーちゃんの新しい武器だ。数々の新米冒険者を葬ってきた大いなる蹄の蹄鉄をそのまま利用した半月状の武器で、拳打に重量と硬さを上乗せして殴るのが主な使い方。
折角の新しい武器も、こんな使われ方をしたら不本意だろう。お気の毒様だけど、今は慰めている暇はない。
「あとでいっぱい褒めてあげるから逃げるよ」
剛腕のカルフを置き去りにして、僕たちは肺から空気が無くなるんじゃないかって勢いで走った。尊い犠牲となった勇敢なビョルンセルクに黙祷を捧げながら。


一方その頃、クアック・サルバーは冒険者ギルドの裏の建物、都市計画部・治安課・犯罪対策係、いわゆる警吏の詰め所に足を運んでいた。当然商人の足元を揺るがすため、あわよくばそのまま両手に縄を掛けさせるため。
「げっ、偽造師のクアック・サルバー。今日は何の用だ」
「もちろん街の治安維持のために決まってるじゃないか」
そう笑いながら警吏に向かって、書類の束を押し付ける。それが偽造なのか本物なのか、その場にいなかった僕にはわからないし、おそらく警吏にも判断はできないだろう。
この街に限らず、文字の読み書きが出来る者はそう多くない。もちろん僕もろくに文字は読めないし、ヤミーちゃんに至っては故郷に文字という文化がない。住人の多くが一獲千金目論む移民で構成されるこの街の識字率は、おそらく1割にも到達しない。モグさんのような医者や冒険者ギルドの連中は当然読み書きが出来るけど、腕力仕事の下っ端警吏が、偽造にまで気付けるかは正直難しいと思う。
「君たちでも百獣は聞いたことあるだろう。その尿を採取して溜め込んでいる商人がいる。ちなみに百獣の尿だけど、土と混ぜ合わせると通常の数倍の速さで、大量の硝石を生み出す性質があるのは知ってるかな。ところでその商人は、鉱山奴隷も手配しているって噂があったような。おや、硝石と鉱山、例えば硫黄とか? あとは木炭でもあれば火薬が作れそうだね」
「おい、それは本当なのか?」
「さあねえ。でも調べてみて損はないと思うよ」
クアック・サルバーは警吏の胸元に書類を押し当て、にやりと笑ったのだった。


「放せ! 噛むな!」
剛腕のカルフが全身を大きく捩らせて、百獣の牙から逃れようとしている。極限まで強靭さを高めると、百獣に噛みつかれても耐えられる。これはすごい発見かもしれない。筋力を極限まで上乗せすれば巨大な獣の頭蓋を割れるけど、それを防御に回したらこうなるのか。
まさに最強の矛と盾だ。
百獣を振りほどいて、その勢いでヤミーちゃんに飛び掛かり、そのまま不毛な殴り合いを始める。これもつい先ほど判明したことだけど、筋力を高めると体そのものも強くなるのか、打たれ強さも高まるようだ。
つまり今のヤミーちゃんはカルフの素の攻撃力では通用しない程度には打たれ強くなっていて、けれどヤミーちゃんの攻撃もカルフの強靭な肉体を撃ち抜けない。互いの攻撃力と防御力が拮抗してしまい、どれだけ殴り合ってもまったくダメージが通らない状況に陥っている。
最強の矛と盾が戦うと勝負にならない。これもある意味で発見だ。

「いい加減に倒れてよ!」
「馬鹿め! 今の俺は鋼の体を持っているのだ!」
硬直を打破したのはヤミーちゃんだった。お互いに殴っても効かない、しかし力そのものはヤミーちゃんの方が遥かに勝っている。だったら力任せに遠くに放り投げてしまえばいい。
「おりゃあー!」
ヤミーちゃんがカルフの腕を両手で掴んで、頭上でぐるぐると振り回し、百獣めがけて放り投げる。
しかし百獣の噛む力ではカルフの肉体を貫けないので、やがてカルフは戻ってくる。
そこをまた投げる。戻ってくる。投げる。戻ってくる。投げる。戻ってくる。
何度そんな争いを繰り返しただろうか、この真面目に捉えていいのか、不真面目に苦笑すればいいのかわからない状況に、僕もウリーンも彼の仲間たちも、彼らを治療するモグさんも呆然と眺めるしかなくなっていた。
そして何度目かの投げが繰り出されたその時、百獣が口を大きく開いた。
「もうそいつ、いらないから!」

百獣は喋れる。ウリーンたちも初めて耳にしたのか、口を半開きにしたまま百獣を見上げている。この中では誰よりも迷宮に精通したモグさんも、驚きを滲ませた表情で眺めている。
「貴様らなあ、勝手に人の縄張りに来てだなあ! 大声で騒いだ挙句、我を無視して喧嘩を始めて、しかも齧っても齧っても全然味がしないし! なのにすっごい投げてくるし! なんなんだ!?」
カルフが飛んでくるのが相当嫌だったらしく、百獣が手足と尻尾の蛇をばたばたと振り回しながら、非難めいた言葉を乗せた雄叫びを上げている。
「だって、こいつが全然倒れないから!」
「俺のせいにするな! 投げたのは貴様だろうが!」
「どっちも悪い! 座れ!」
百獣に怒鳴られて、さすがに罰が悪いのかヤミーちゃんとカルフが地面に座り込んで、肩を小さく狭めて頭を下に傾ける。
身につけた毛皮のせいでその後ろ姿は、獣の王に怒られる狼と熊のようにしか見えない。
「それで、用件はなんだ! さっさと要件を言って帰れ!」
「え? 帰らせてくれるの?」
「帰れ! 正直ちょっと傷ついてるんだ!」
百獣にも誇りがある。そう、獣というのは誇り高い生き物なのだ。自身の牙や爪に絶対の自信を持ち、他者を仕留めて喰らって生きてきた。その牙が通じない生き物、しかも熊の毛皮を被った人間がいたのだから、百獣の内心は混乱に満ちているに違いない。
もしかしたら自分は熊より弱いのかも、と思ってるのかもしれない。
「ごめんなさい。じゃあ、用件なんだけど」
「なんだ? 早く言え」
ヤミーちゃんが気恥ずかしそうに百獣の前で口ごもり、しばらく逡巡した後、
「おしっこちょうだい」
「貴様、馬鹿なのか?」
恥を忍んで発せられた頼みに、百獣が呆れた声を上げた。


一方その頃、街は大騒ぎになっていた。
国家反逆罪でモチュ・ホブノが捕まったのだ。火薬の違法製造容疑とか危険物の管理に落ち度があるとかそういうのではなく、功を焦った警吏によって法律の中でも最も重い罪、国家反逆罪を適用されたらしい。
治安のよろしくない荒くれ者の巣窟で、普段どこで何をしているのかと問いただされるような人数の警吏や衛兵、果ては異端審問官や博打の元締めといった荒事には関係ありそうだけど、今回の件には何の関係もない連中までもが次々と乗り出して、まるで土砂崩れが起きたかのように街路を荒くれ者たちが覆い尽くし、巨大な濁流のような流れとなり、商人の店と倉庫を圧し潰していった。
潰れた倉庫の中に硫黄の鉱石と木炭が少量とはいえ出てきたのが疑惑を深め、さらに表に出してはいけないような人物との関係を示す取引の証拠、武力による革命を目論む連中への武器の売却、上納金の誤魔化しや下請け業者への度重なる賃金の未払い、その内のどこまでが偽造されたものでどこまでが身から出た錆なのかはわからないけど、悪徳商人は両手に縄を掛けられることになった。
「ちょっと高い出費をした成果が出てよかったよ」
というのは、後で酒を飲みながら顛末を話してくれたクアック・サルバーの言葉だ。


どどどどどどどどっ。
滝の音ではない、百獣のマーキングの音だ。
あれから結局、用件が済んだら素直に帰る、という条件で百獣が折れて、その代わりに味付けした人間社会の肉料理を届ける、というお礼を返す約束で、無事に商談が成立した。
百獣は今回の件で、これまで一方的に蹂躙されるだけの弱くて小さくて取るに足らない餌同然の存在だった人間に興味を持ち、ヤミーちゃんと関係者に限っては友好的に接することを約束してくれた。どうやら乾いた大地を友もなく好敵手もなくたった一頭で暮らすのは、獣の王として仕方なくはあるものの、内心どこかで寂しく退屈なことでもあるようだ。
「おお、これが百獣の尿」
「百獣の王みたいな言い方をするな! なんでこんな物を欲しがるのかわからんが、人間というのは変わった生き物だ」
ウリーンたちが抱える手桶いっぱいに溜まった分泌物を見つめながら、ヤミーちゃんが鼻を摘まみ、これを材料に聖水が作られることを説明した。百獣は強い、その強さゆえにあらゆる獣が忌避する、それを人間が利用しているのだと。
「なるほど。確かに縄張りを主張することには、そういった意味合いもあるが。そうかそうか、我はやはり最強か」
「そうだよ、王どころか守護神だよ。おしっこはめちゃくちゃ臭いけどね」
ヤミーちゃんが鼻を摘まみながら、百獣の前足をちょんと触り、また来るねと別れの挨拶を交わす。
「俺もまた来よう」
「貴様は二度と来るな!」
カルフもまた挨拶を交わすと、百獣が前足を大きく振り回し、地平の果てまで吹き飛ばした。どうやら二度と顔を見たくないくらい、誇りと尊厳を傷つけられたらしい。

強烈な臭いに耐えながら、砂混じりの風の中をひたすら歩きながら、僕はウリーンに提案してみた。
もしよかったら、このまま商人になったらどうだ、と。
百獣との友好関係という、他の商人にも冒険者にも無い大きな武器を持ったのだから、これ以上理不尽に虐げられることもないのだ、と。
「それに、いざとなったら僕もこいつを持って戦うよ」
と、背中に背負ったまま取り出す機会のなかった新しい武器を構える。大いなる蹄の角から削り出して鍛えた名槍、その名も人間万事塞翁が馬。ヤミーちゃんの新米つぶしに並ぶ強力で頑丈な槍で、どちらもヤミーちゃんが命名した。僕程度の腕には勿体ないけど、モグさんは意外と似合ってるからそのまま貰ったらいい、と勧めてくれた。
「おおー、ヤーブロッコの新しい武器、強いそうだね」
ヤミーちゃんが目を輝かせている。
しかし残念なことなのか喜ぶべきなのか、迷宮から戻った僕たちを待っていたのは、すっかり騒動の収まった商人の椅子がひとつ、ぽっかりと空いた街の姿だったのだ。


「いらっしゃいませー」
冒険者ギルドのすぐ真向かい、いわゆる一等地に新しく出来た店『冒険者御用達の店ウリーン』は初日から大盛況だ。
聖水を初めとした各種獣除け道具に、迷宮での採集や採掘に不可欠な鋏や鎌やツルハシ、大容量の革鞄に野営用のテントに炭置台に鍋に網といった金物全般。駆け出しから一人前まで、街中の冒険者たちが行列を作って商品を求めている。
さらに冒険者に限らず、野営をしながら長期間山にこもる修験者、新しい発見を求めて各地を旅する学者、趣味で野宿をして楽しむ野宿人にまで、幅広く愛用される店になる予感が漂っている。
「順調ですよ。奴の下で働かされていた頃が嘘みたいに楽しいです」
そう答える店主のウリーンを初めとした、屈強で逞しい店員たち。絶対かわいい女の子も雇ったほうがいいとヤミーちゃんが勧めていたけど、この男くさい本格派な店はそれはそれで需要があると思う。
まあどのみち、聖水が安価で販売されている時点で、冒険者が立ち寄らないわけがないんだけど。

「聖水が普及すれば冒険者の生還率も大幅に上がりますからね。あの悪徳商人がいなくなったことで、迷宮の探索は今まで以上に捗るでしょう」
「それはよかった、苦労した甲斐があったよ」
「正直あなたが、モチュ・ホブノに代わって聖水を独占するのかと思ってましたけど、まさか他の人に出店させるとは正直意外でした」
「他の冒険者たちはどうか知らないけど、椅子に腰かけて金を数えるより、迷宮を歩く方が好きなんでね」
冒険者ギルドの受付のお姉さんとクアック・サルバーが店の隅で話し込んでいる。その隣では、今回特に出番らしい出番のなかったモグさんが、店員に医療用の道具のおすすめを教えている。
そしてもうひとり、
「こら、そこ! 清算前の商品は外に持ち出すな! おい! ツルハシを俺の脇腹で試すな! シャベルも駄目に決まってるだろ!」
店の入り口で警備をしているのは、百獣に吹き飛ばされて行方不明になったものの、半月ほどかけて自力で街への生還を果たした剛腕のカルフだ。
街に戻ってきたら雇い主のモチュ・ホブノが捕まっていたので、新たにウリーンたちと契約を結び直したらしい。相変わらずの頑丈さと熊の毛皮を被った独特な恰好で、ちょっとした街の人気者になってしまった。
「ねえ、ヤーブロッコ。ウリーンたちの店、上手くいきそうでよかったね」
「そうだね。いざとなったら、僕たちも働かせてもらおうかな」
それは冗談だけど。僕たちには僕たちで、ちゃんと力を振るう場所がある。それが迷宮であり、新しい冒険の予定はもうすでに決まっているのだ。
次の冒険の地。百獣との友好関係を築いたことで落涙の大地を抜けることが可能になった冒険者たちは、今まさに前人未到の迷宮に足を踏み入れようとしているのだ。


(続く)

第1話「輸送隊は武器いっぱいあるから本気出せば強い」

第3話「騎士がちやほやされるんだから馬の種類は問うまいよな」

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前回も言いましたが、正道より邪道が好きです。なので、ちょっとひねくれた考え方をしていて、聖水が女神の加護とか聖なる魔法とかそんなわけないじゃん、きっと獣の尿だよ。って思ったので、今回こんな感じの獣臭たっぷりなお話になってしまいました。
そして縄張り漁りという、実際に存在してるのかわからないけど、あったら嫌な職業が生まれたのです。でも狼の尿は獣除けとして売られているので、多分この世のどこかにあるのでしょう。

前回同様、RPGっぽく、装備画面的なものを載せておきます。
???な部分はそのうち明かされると思うです。その予定なんだけど、今回の明かし方(ヤミーちゃんとヤーブロッコの新しい武器)がちょっとやっつけ感があるので、ちょっと不安です。私の匙加減次第なんですけどね!

モグリール
輸送隊指揮官(サブクラス:医師)
輸送隊   大量の機械弓で面制圧が出来る
医療キット 簡易的な医療キット
大型道具箱 ????
連装道具箱 ????

ヤミー
ウルフヘズナル(サブクラス:???)
新米つぶし 大いなる蹄の蹄鉄をそのまま利用した半月状の打撃武器
狼の毛皮  板金と鎖帷子を仕込んだ背面防具
豪傑セット 怪力の指輪10個・剛腕の腕輪2個・剛力の足輪
      豪傑30人分以上の強化

ヤーブロッコ
どぶさらい(サブクラス:???)
四突万能     歯が4つに分かれた大型のクワ、今回は出てこない
人間万事塞翁が馬 大いなる蹄の角から削りだした頑丈な槍
         今回は使われなかった。
顔面保護具    ガラス製のゴーグル+顔の下半分を覆う布
         臭いに強い耐性がある

クアック・サルバー
偽造師(サブクラス:???)
???    武器、今回は出てきてない
偽造書類   本物と見間違うレベルの偽造書類、ギルドも黙認
ペストマスク 嘴状の仮面、毒耐性+臭い耐性

ウリーン
縄張り漁り(サブクラス:商人)
樫木の桶   平凡な何の変哲もない桶、かなり臭う
聖水・守護神 あらゆる生物から忌避される聖水、臭いも非常に強烈

剛腕のカルフ
ビョルンセルク(サブクラス:警備員)
鬼熊嵐   鎖付きの碇、リーチも長く攻撃力も高いけど色々と大雑把
熊の毛皮  熊の毛皮、特になにも仕込んでいないが熊を倒した証明
強靭セット 活力の指輪10個・忍耐の腕輪2個・不屈の足枷2個
      まさに鉄壁の盾