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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第39話・だけど彼女の旅は終わらない~」

私の家で生まれた者が代々受け継ぐ名前ウルフリードは【狼を繋ぐ紐】を意味する称号だ。
初代ウルフリードは当時最高峰の狩狼官で、森の奥に潜む難敵、狼の悪魔を狩ることでその名を真実にした。
その後300年12代続いた歴代のウルフリードは、狼の悪魔の残した呪いに挑み続けた。
10代目ウルフリードは知識と検証を以って挑み、11代目ウルフリードは憎しみと暴力を以って挑み、12代目ウルフリードは偶然と運命によって、願いという呪いの真の姿を導き出した。

そして13代目ウルフリードにとっての狼を繋ぐ紐とは、狼を捕らえるものではなく、狼と誰かを繋ぐための紐だ。

狼はおそらく本来、人間にとってすごく近しい生き物だったのだ。あまりに近すぎて時には害を成すこともあるけど、人間ともっと近づこうとして怖がらせることもあったけど、人間と犬のように、もっとずっと近くで一緒にいたい生き物だったんじゃないかなって思う。
それがウルフリードが300年掛かって導き出せた現状の結論。

さあ、捕まえろ、ブランシェットの捕獲機、私の狼の紐よ。
ずっと欲しかったものは、ずっと会いたかった人間は、今ようやく目の前に現れてくれたぞ。

天から伸びる巨大な鎖が――私の考えた私のための狼を繋ぐ紐が――人ひとりすっぽりと閉じ込めるほどの大きな大きな金属製の吊り篭で獲物を捕まえて、鎖のさらに上に浮かぶ巨大な巻き取り機械によって天高く空高く持ち上げられる。
私は両手を伸ばして吊り篭を抱きしめるように掴み、ひんやりとした金属の感触を挟んで、吊り篭の中にいる相手の体温をゆっくりと感じ取った。


私の名前はフェンリス・ブランシェット。16歳、狩狼官。形だけとはいえブランシェット家の現在の当主で、13代目のウルフリード、狼と人間を繋ぐ紐。



「ウァン! ウァンウァン!」
地面に降ろされた吊り篭に向かって、愛犬で狼のシャロ・ブランシェットが尻尾をぶんぶんと振りながら吠える。シャロは世界一かわいいのは言うまでもないけど、狼の中では多分世界一賢い子でもあるので、吊り篭の中に閉じ込められている女が敵でも獲物でもないことを察してくれている。
尻尾の振り方からすると、どちらかというまでもなく案外好意的な様子だ。
それもそのはず、シャロの体がかつて人狼の少女だった時、少女は吊り篭の中の女と親しかったのだ。

そう、シャロ・ブランシェットはかつてフェンリス・ハーネスという狼の悪魔の娘で人狼の少女の遺体の一部から生まれた狼で、私は母に宿ったフェンリス・ハーネスの魂が赤ん坊となって生まれたのだ。
だから吊り篭の中の人物とは、物心つく前どころか生まれる前から関係があり繋がりがある。
それが母、12代目ウルフリード・ブランシェット。メイジー・ブランシェットが使った鋏を改良した狩狼道具を好んで使っていたことから、その異名は『白銀の二枚刃』或いは『剣の魔女』という。

母は私が幼い頃に狼の悪魔の血を引く種族『人狼』を産んだことを咎められて、ばあさんと文字通り血で血を洗うような争いを繰り広げ、戦いに敗れて姿を消した。ただし、ブランシェット家の狩狼道具のほとんどを持ち出して、というおまけ付きで。
ばあさんは道具無しでは母に勝てないと判断し、いつか決着を着けられるようにと私に狩狼道具の回収を命じ、その代わりに憎しみの対象であるはずの人狼の孫娘、即ち私が殺されることはなくなった。

やがて私という人狼の娘とシャロという奇跡の存在が家族となったことで、狼の悪魔の願いは成就されて呪いは消えた。
そして解呪と共に機を見計らって戻ってきた母は、これまでに出会った友達や大人たちの協力の下、私の手で捕らえられた。というのが、これまでの経緯だ。
母は吊り篭の中でなにを思っているのか、復讐されると判断して観念しているのか、それとも自分の行動を悔やんでいるのか、もしくは別の理由で思考が止まっているのか、単に空中で振り回されて三半規管が弱っているのか、ぐったりと金属の格子を握りしめたまま微動だにせず、そのまま顔を地面に向けたままだ。

さて、捕まえたもののどうしたものか。
なんせ10年以上ぶりの再会だ。ずっと会いたかったし、時には恨んだり怒ったりもしたし、捕まえるまでは色々と言いたいことばかり浮かんでたものの、いざ再会するとなるとなにを言うべきなのかさっぱりわからない。

久しぶり? なんかちょっと軽い気がする。
元気だった? これはむしろ言われる側だ。
どうして出ていったの? 理由は知ってる。

私のこと今でも好き? 流石に重た過ぎる。

掛ける言葉を決めあぐねて吊り篭の前に立ち尽くしていると、背後から尻の辺りに思わずよろけてしまう程度の衝撃が加わり、そのまま姿勢を前倒しに崩して籠に額をぶつけてしまう。
「なにやってんのよ! とっとと言いたいこと言いなさいよ!」
相棒で自他共に認める天才美少女魔道士のファウスト・グレムナードの激が飛ぶ。ファウストも母に言いたいことはいくつもあるのだろうけど、それを全部ぐっと飲み込んで私に華を持たせようとしてくれているのだ。
「ウル、自分に素直になりなさい! じゃないと私が全部代弁するわよ!」
「……わかった」
13歳の少女に尻を叩かれる16歳なんて情けない限りだけど、ここまでお膳立てされたら前に進むしかない。言葉なんてなにが出ても構わない、仮に間違えてもきっと数秒後の自分がどうにかしてくれる。
覚悟を決めて籠の扉を開いて、俯く母の腕を取ろうとすると、

「ねえ、おか――」
「勝負しなさい。あなたが祖母に勝てるかどうか、私が確かめてあげる」

なんだ、それ? この母親はこの期に及んで、まだそんなことしか言ってくれないのか。

「あんたねえ! ウルが今までどんな気持ちで――」
怒りで猫のように毛を逆立てるファウストの前に腕を伸ばして言葉を遮り、私も怒りにも落胆にも似た気持ちを胸でぐちゃぐちゃに混ぜ合わせながら、静かに頷いてみせる。
母は母でなにか目論見があるのだろうけど、その選択は私にとって最悪だ。
だけど狩狼官としての技量を疑われるのなら、私も黙っているわけにはいかない。狩狼官なんていつでも辞めて構わない仕事でしかないけど、母が姿を消してからこれまでブランシェット家の狩狼官としてやってきた自負がある。
自負じゃないな、意地だ。母と離れ離れにされた娘の、惨めでちっぽけな意地だ。

「いいけど、武器なんて無いんじゃない?」
「あるよ。万が一に母に見つかった時用の切り札はちゃんと手元に残してる」
母の両腕に巻き付いていた腕輪が展開し、左右に1本ずつ巨大な槍状の武装を備えた大型ユニットが姿を現す。
ブランシェット家の歴史の中でも最大にして最強、それぞれに慈愛と祝福を込めた聖女の聖槍。怪物めいた祖母を圧倒できる程の狩狼道具。


【聖女ヘンリエッタ】
変わり者の兄弟の弟に嫁いだ聖女の槍を改造した、左右の一撃必殺の爆裂式の投射槍を発射する大型ユニット。
槍は発射までに時間を有するものの破壊力と射程共に申し分なく、時間さえ稼げば他の道具すべてを圧倒する程に武器としての性能差がある。


展開した途端に、地割れのような起動音が鳴り響く。ヘンリエッタの発射時間は正確に把握してないけど、時間を費やした分だけ不利になるのはこちらだ。
即座に攻撃に対処できるように私も右腕に纏っていた道具を起動する。


【マスティフⅢ型ケルベロス】
ブランシェット家の訓練用道具であり、基本兵装である盾と牙状の武器が一体化したマスティフA型。それを改良して捕獲用のフックを内蔵したⅡ型を、更に私の体格や身体能力に合わせて改良したⅢ型兵装、通称ケルベロス。
フックを改良した中間距離まで伸びて噛みつく先端装甲に射突式のパイル、さらに一対の有線式の電撃装備も備えた、近距離から中間距離で力を発揮する武器。


道具の展開と同時に一気に距離を詰め、後ろへと下がろうとする母に向けて装甲を伸ばす。
ケルベロスは母が失踪してから作られた道具だ。
だから当然母は知らない。
先端の装甲がただ伸びるだけでなく、ただ攻撃のためにあるわけでもなく、捕まえたい私の気持ちを表現したものなのだなんて。
肩が抜けそうになるくらい右腕を投げ出して、矢のように鎖で繋がれた先端装甲を飛ばす。

前へ、もっと前へ。
速く、もっと速く。

届け、二度と放さないように。

母の袖に食らいついた装甲を一気に引き寄せる。
ヘンリエッタが起動し切る前に懐に飛び込み、想定以上の速度に面食らった母の隙を突く。周りから聞いた母は技術や知識こそ秀でていたものの、精神面に脆さがあった。
事実、今もさっき捕獲機で捕らえた時も、予想外の出来事に対して一瞬思考が止まる。それは僅かな間を開けることで確実に立て直しを図ろうとする癖なのだろうけど、それはやっぱり脆さであり弱さだ。

だって、ほら、こんなにも簡単に手が届く。

私は飛びつくように上半身を前に投げ出して、ケルベロスを外して母の腰に両腕を回す。
そのまま母のお腹に頭を寄せながら、地面に両膝を着いて体重も余力も思いもなにもかも全て丸ごとに預ける。
正直なところ、ブランシェットの捕獲機の使用で私の体力は底を尽いてしまっていた。まともに戦っても話にならない状態だ。
それに……なんで離ればなれになっていた母娘が戦わないといけないのか。
そんな馬鹿な話があってたまるか。やっと捕まえたのに、これ以上私以外の誰かの意思に振り回されてたまるか。

両腕に力を込めて、さらに頭を押し付ける。
みっともないことに涙が出てくる。我慢しようにも自分の中の堰がぶつりと切れていて、情けない感情が垂れ流しになる。


「ウル、もうやめろ。どうするべきかわかってるだろ?」
声は私と母、どちらに掛けられたのか。
声の主、かつて母と組んで仕事をしていて、今は私にも色々と気を使ってくれるカール・エフライム・グレムナードの言葉が、静かに優しく私の背中に沁み込むように流れてくる。
「そうだね、ごめんね……」
ガシャリと母から機械が外れる音がする。
細く少しひんやりとした指が、私の頭の上に静かに置かれる。

「ただいま」

その言葉を聞いて、再び私の中で堰が切れて、涙だとか嗚咽だとかそういったものが止め処なく溢れてしまうのだ。


――――――


そうそう、私が情けない姿を晒している間に彼も頑張ってくれていた。
レイル・ド・ロウン、元騎士で私の大切な仲間のひとり。母の帰還に際して、郊外でたったひとり、激昂したばあさんを止める役目を買って出てくれた。
ばあさんは老齢の域にいながら怪物のような生き物だけど、それでもいつかは誰かに敗れるし、どこかで衰えてしまう時が来る。
それが今なのかどうかわからない。でもレイルは全身ずたぼろになりながらも、しっかり止めてくれたのだ。

「くそっ、全身が痛え……じゃあな、ばあさん。今度ウルを連れてあんたを訪ねるから、その時は菓子でも用意してくれ」
「生意気な小僧だよ。孫娘がお前を連れてきたら、その時は頭をかち割ってやるよ」
「なんだ、しっかりとウルの親なんじゃねえか。だったら今後は仲良くしてやれよな」

レイルは地面に伏すばあさんを見下ろしながら鼻で笑って、あちこち折れたりひび割れたりした体を引きずりながら、私たちのところへ戻ってきたのだった。


――――――


その日の午後は町全体が、まるでお祭りのような騒ぎだった。
以前町を滅茶苦茶に破壊した悪夢のような老婆を追い払った勇敢な青年の帰還、町一番の人相も顔色も悪い魔道士が美人の女を連れて歩いている、頭上に出現した謎の巨大機械の出現と消失、これはブランシェットの捕獲機のことだけど、とにかく色々なことが起き過ぎて、もうとりあえず飲んで歌って踊って騒げみたいな流れになったのだ。
そんな喧騒から外れたように、いつもの喫茶店は今日も静かだ。

目の前には珈琲がひとつ、深煎りで苦めの濃いめ、砂糖も牛乳もなし。それとコーヒーゼリーにホイップクリームを多め。席は店奥の窓の前、とびきり眺めのいいところ。
向かい側の席にも珈琲がひとつ。角砂糖ふたつ、牛乳はなし。それと苦めのチョコレートをひとつふたつ。席は店奥の窓際。
その隣にも珈琲、角砂糖はひとつ、牛乳は小さじ1杯。それと紙巻の煙草、でも今日は火を付けず。
その向かい、私の隣にはレモネードがひとつ。チョコレートの欠片が散りばめられたクッキーは、すでに齧られている。

とぷんとぷんと角砂糖を溶かす音。
からりからりとかき混ぜられた珈琲から流れる甘い匂い。
窓の外では夏を迎えるような水気たっぷりの重たい雲。
ぱらぱらと地面を叩く軽い雨。

「久しぶりだね、フェンリス」

私は手元から立ち上る珈琲の香りをゆっくりと吸い込み、目の前に座る私とよく似た顔の女に視線を投げる。

「色々言いたいことはあるけど……まずはおかえり、お母さん」
「ただいま」
「私は色々聞きたいことある! ねえ、パパ! さっきこの女に何か言ってたよね!?」
私の隣の席でファウストが身を乗り出して、グレムナードの胸倉を掴みながら問い詰めている。
そうだった、私もそれは聞いてみたかった。捕獲機で捕まえる直前、母はグレムナードの言葉を聞いて固まり耳まで赤くして思考を止めていたのだ。
「あー、それはだな……痛っ!」
グレムナードの隣で母が焦った顔をして、彼の二の腕を掴んでぎゅっと指に力を込めている。
それはまるで年甲斐もなく狼狽える乙女のようで、私とファウストは大体おおよそ何があったのか察してしまい、私は珈琲をゆっくりと飲み込み、ファウストは春先の猫みたいに大声で喚いたのだった。

「絶対やだぁぁぁぁ!」

私は別に構わないけどね。私とファウストは、もう姉妹のようなものだから。

私の足元でシャロがふわあと大きく間の抜けた欠伸をする。
少し蒸し暑い湿気混じりの陽気が思わず眠気を誘う。私も大きな欠伸をしながらシャロの頭を撫で回し、いつまでも喚く相棒の横顔を呆れながら眺めていたのだった。


・・・・・・


それから?
それからは特に今までと一緒だよ。

私は相変わらず下宿に住んでるし、ファウストは相変わらずメフィストフェレス魔道学院で高等部生に混じって魔王の如く振る舞っている。
レイルは怪我を治して今日もどこかの警備に駆り出されていて、グレムナードは口酸っぱく注意されても煙草を止められない。
アングルヘリング自警団事務所はいつまでも借金取りが後を絶えず、所長は今日ものらりくらりと逃げ回っている。
ノルシュトロムの町は今日もどこかで騒動が起きて、だけど今日もいつも通りにバタバタとみんな動き回っている。

お母さんは下宿からそう遠くない区画に小さめの一軒家を借りていて、今日は私の誕生日だからとあまり得意でもない料理の用意をしてくれている。その後は動物園に行って、夜まで面白いのかどうかもわからないと評判の映画を観る予定。
「なにが食べれるだろうねー?」
「ウァン!」
シャロは随分と大きくなったけど、世界一のもふもふなのでどれだけ大きくなってもかわいい。かわいいは最強だ、最強の武器だし最強の防具で最強の癒しだ。
シャロがいなかったら、私はとっくに色んなものを諦めてたし、色々と捻くれて世の中とか運命とかを恨んでいたと思う。
もちろんファウストやレイルたちのおかげでもあるけど。

「私は恵まれてるねー、シャロ!」
「ウゥー?」

そうでもないらしい。
私もそう思う。幼い頃からさんざん苦労させられたんだから、動物と人間にくらい恵まれてないとちっとも割に合わない。
今までは回収に忙しかったけど、これからは色々取り返すので大忙しだ。

普通の親子らしい生活、普通の17歳の送るべき生活、喫茶店か映画館で働く生活、もふもふとかわいいに囲まれる生活、取り返すものがいっぱい過ぎて目が回りそうになる。


さあ、幸せになろうか――



今回の回収物
・聖女ヘンリエッタ
変わり者の兄弟の弟に嫁いだ聖女の槍を改造。左右の一撃必殺の槍(ミサイル)を発射する大型ユニット。
ミサイルは破壊力・射程共に申し分ないが、その巨大さゆえに動きが鈍く発射まで時間を有する。ベースカラーは銀色。
威力:S 射程:A 速度:D 防御:C 弾数:2 追加:爆風ダメージA

・母


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第39話です。
母と再会編です。これが最終回でいいじゃんって感じの内容ですが、後日談的な話をしなきゃなので、明日から頑張って書きます!
最近割と元気なので多分楽勝で書けるでしょう!

楽勝は嘘です、毎回頭から煙が出そうです!