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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第25話・少女と渡り鳥と空を飛ぶ夢~」

「わぁー、鳥だ! すごい!」
発動機付きの車に揺られる私たちの頭上で、空を埋め尽くすような鳥の群れが飛び去っていく。
冬が深まる季節になると、海からの寒波に晒されて辺り一面が白い雪に覆われる海岸線沿いから、山々に囲まれて雪雲の届かない大陸中心部へと渡りの鳥たちは旅を始める。そして雪が溶ける頃に山向こうから渡りたちが帰ってきて、鳥の群れと共に春の訪れを告げる。

今は渡りたちは往路の旅の真っ最中、目的地は私たちと同じ内陸部。

空を見上げる度に鳥を羨ましいと思う。
人間が集まって暮らすには、この大陸は狭すぎるし、世界は果てしなく平面だ。
人間はすぐにくだらない理由で争ったり奪い合ったりするけれど、それは暮らせる世界が平面で窮屈だからだと思う。もしも鳥のように高さの概念を持ち込めて暮らせたら、居場所とか人間関係とか誰かと比べ合うとか、そんなくだらない感情は全て消えて無くなるような気がする。
それでも争いをやめなかったら、人間は鳥よりもずっと愚かだという証明になるだけだ。

私と旅の相棒のファウスト・グレムナード、そして新しい旅の仲間シャロ・ブランシェット――生まれたばかりの子犬で雌、野生を感じさせる顔つきをしている。相棒曰く「こいつ、犬じゃなくて狼なんじゃない?」疑惑がある――子犬のシャロは、夕焼けの光の中へ消えていくような鳥たちの旅路を見送っている。
大陸東南部で滅びた巨人崇拝者の町で偶然手に入れた、王都から派遣されてきた魔道士部隊の残した発動機付きの車をガタガタと揺らしながら。

決して盗んだわけではない。
ただ持ち主たちは町の滅亡と共に、どこへ行ったかもわからない状態になったから、せめて車だけでも安全な場所へ避難させなければ、という善意の使命感だ。世間には『やらない善よりやる偽善』という言葉もある。これは偽善かもしれないけど人道に外れない避難なのだ。
ただ避難先がたまたま私たちの行き先と同じというだけで。

「それを世間では泥棒っていうのよ」
「じゃあ、それでもいいよ」
食糧と野営道具と燃料タンクを山ほど乗せた荷台の上で、ファウストが今さらながら指摘してくる。
しかし彼女の足元には、巨人崇拝者の町で手に入れた魔導書が何十冊も転がっている。彼女曰く、これは人類の価値を守るための緊急避難、ということらしい。
要するに、やる偽善だ。

それにしても発動機付きの車は実に便利だ。燃料がある限り動き続けるし、私たちが走るよりも何倍もの速度で大地を駆けて、おまけにそれほど疲れない。夜になって眠る時は、横風を防ぐ防壁にもなってくれる。
王都の権力者たちは民間人に、銃や通信機器や外洋航海と一緒に発動機付きの車の使用も禁じた。きっと自分たちのちっぽけな権威を守りたいからに違いない――


私の名前はウルフリード・ブランシェット。16歳、狩狼官。失踪した母と実家から持ち出された狩狼道具を回収する旅を続けている。
育ての親でもある実家のばあさんの命令で6月6日の誕生日に実家から出て以来、気がつけば半年以上。世界はそろそろ一年が終わる頃に差し掛かっている。
ちなみに車の運転は、他の機械の扱いや整備と一緒にばあさんに一通り仕込まれている。もし免許が存在するなら無免許ということになるけどね。



数回太陽が沈んでまた昇って、渡りの鳥たちの旅路を見送ってまた別の群れを出迎えて、よく揺れる山道を時折胃をむかむかさせながら乗り越えて、私たちは峠道沿いの小さく素朴な集落へと辿り着いた。
「ウァン! ウァン!」
私の手に握られたリードで繋がれたシャロが、空に向かって大きく威嚇するように吠え始める。
子犬はよく吠える。人間の赤ん坊が泣くのが仕事ならば、吠えるのが犬の仕事だ。
狼かもしれないんだった。でもどっちも似たようなものだ。かわいくて温かくてもふもふで、よく吠える。

「シャロ、また鳥でも見つけたの?」
そう笑いながら顔を上げる私の目の前に現れたのは、空に浮かぶ大量の、なんだろう、三角形の鳥のような空飛ぶエイのような巨大な瞳をふたつ持った生き物だ。
空中をゆっくりと動いているけど、風に吹かれているだけなので生き物ではないかもしれない。とにかくよくわからないものだ。
シャロがいつになく吠えるのも仕方ない。

「おやおや、わんちゃんは凧を見るのは初めてかね?」
背後からの声の主は、空を漂う三角形と似たような形のものを持ったおばあさんだ。
「蛸? 蛸は海の生き物でしょう?」
「お嬢さんも初めて見るのかい? これもねえ、凧というんだよ、海は泳がないけどね」
そう言って手を振りながら凧とやらをぶわっと放つと、凧はひらひらと風に舞いながら、手元の糸をどんどんと伸ばしていって空高く昇っていく。

この辺りの集落には『凧揚げ』という独自の習慣があるのだそうだ。
渡りの鳥たちの通り道にある集落では、新年になると鳥たちの安全を祈り鳥たちと同じ場所で旅路を見送るために、生き物のように目を描いた三角形や四角形の凧を空に浮かばせる。そうすることで新しい一年の始まりを喜び、自分たちの生活を鳥たちにも見守ってもらう。
そういう民間信仰の儀式にも似た遊びをしているのだ。

「ねえ、おばあさん。あれも蛸なの?」
ファウストが遠くの切り立った崖を指さすと、巨大な渓谷の片割れでもある崖の上から三角形の凧をそのまま大きくしたような道具を背負って、ひとりの男が全速力で道を下りながらそのまま空中へと飛び出す。
「あれはねえ、違うわねえ」
「……それはそうよね」
空中に飛び出した男は、わずかな時間だけ風に乗れたものの、翼が人間の重さに耐えきれないのか、巨大さが風の受け方を歪めてしまうのか、骨組みをバラバラにしながら無残にも谷底へと墜落していく。

「落ちたけど、大丈夫なの?」
「いや、普通は死ぬでしょ」
「ウァン!」
見知らぬ人間だけど、目の前で死なれたら明日の寝起きが悪くなる。心配して落下地点に目を向けていると、しばらくして谷底から人影が自力で這い上がってくる。

おばあさんは特に気にするそぶりも見せず、呑気に凧を揚げている。
どうやらこの集落では見慣れた光景のようで、つまり頻繁に崖の上から飛んで墜落しているということだ。


男の名はゲイラ。
集落で生まれ育った若者で、人力での飛行を夢見ている。ちなみに年齢は私の倍以上で、おおよそ若者と言えない年齢に達しているけど、集落ではまだまだ若い部類に入る。
元々は王都に出稼ぎに行って研究者をしていたけど、数年前に帰ってきて製材所と旅人向けの宿に従事している。



『どうして空を飛ぶ夢を見るのかって? 馬鹿げた質問だ、俺たちは生まれた頃からずっと渡りの鳥たちを見上げて暮らしてきたじゃないか。鳥のように生きてみたいと思うのは、当然の成り行きだろう?』
これは毎月100部ほど刷られている集落の広報誌の取材に対して、かつてゲイラが答えた長い長い演説の一説だ。
王都から帰ってきて人力飛行の研究を繰り返す変わり者、広報紙の取材対象としては100点だし、答えも郷土愛を感じさせて100点満点だ。
旅人用の宿の客室に、自己主張たっぷりに飾ってあるのは0点だけど。

この山道の途中の集落に宿があるのは、ここが渡りの鳥たちを見れる絶好の場所であるのと、大陸東南部と中央部の大都市間の丁度真ん中という絶妙な距離に位置していることで、研究者や画家、野鳥愛好家に登山家たちにとって絶好の旅行場所となっているから。

そして私たちも例にもれず、同じように宿に泊まって寒さを凌ぎ、温かいスープと名物の鹿料理に舌鼓を打ち、例によって集落一番の変わり者から話を聞かされている。

「そういうわけで、俺はここで人力飛行の実験を繰り返してると、いうわけさ」
私とファウストの目の前で、ゲイラと彼の支援者たちがテーブルを挟んで熱弁を繰り広げている。
シャロは話途中で完全に飽きたのか、私の膝の上で丸まって眠っている。隣のファウストも移動疲れが祟っているのか、うつらうつらと頭を上下に揺らして船を漕いでいる。
私も正直まったく話を聞いていなかったので、そういうわけでと言われてもどういうわけなのかさっぱり解っていない。
だって膝の上の子犬を起こさないように、しかし心ゆくまで満足出来るように撫でるので忙しいから。

「王都の権力者たちは自分たちの権威と軍事力を維持するために、非文明化政策を進めているのは君たちもよく知る話だろう。奴らは民間人には地上3メートル以上の高さの飛行を禁止しているが、自分たちは気球や飛行船を使っている」
気球や飛行船の存在は知ってる。まだ見たことはないけど、王都の一部では気球を飛ばして周囲を観測し、暗殺を恐れて飛行船で移動している、というのは結構有名な話だ。
禁止はするけど隠蔽はしない。あえて見せびらかすことで自分たちの技術力を誇示し、堂々と禁止することで特別感を知らしめている。
発動機付きの車や銃を禁止しているのと似たような理由だ。

「奴らは一般市民が空の領域に手を出すことを恐れている! しかし人間はいつの時代も鳥に憧れ、空を飛ぶ夢を見るものだ!」
酒が入っているのか、新年のめでたさに呑まれているのか、ゲイラは立ち上がって大げさな身振り手振りで夢を語りだした。
都会の大通りでやったら拍手を貰えるだろうし、もしかしたら皿に小銭を投げてもらえるかもしれない。それくらいの勢いだ。
序盤こそ発動機付きの車を見て王都の調査員かなにかだと警戒していたのに、それがただの盗品で私たちがただの旅人だとわかると途端に饒舌になり、この大演説だ。すごいな、本でも出せばいいのに。

「俺は元々は王都の労働者だったが、あんな場所で働くより、ここで空を飛ぶ夢を見続ける方がずっと幸せだ! そこでだ、機械使いのお嬢さんと魔道士のお嬢さん、俺に協力してくれないか!」
掌を向けて腕を伸ばしながら、私たちに飛行実験の手伝いをするよう誘ってくる。
ちなみに機械使いは私で、魔道士は隣で船を漕いでいる相棒だ。あと膝の上にいるのは世界で最もかわいい生き物だ。


ゲイラの造った人力飛行機は、飛行機というよりは滑空機と呼ぶべき代物で、空を飛ぶのではなく落ち方を制御して高所から低地へと移動する類のものだ。
すでに過去ある程度以上の確率での滑空を成功させているものの、滑空はあくまで滑空。風に乗って多少上へと進むこともあるけれど、基本的に下へ下へと向かうのが道理だ。そこに変形の概念を取り入れて、風を捉えるまでは三角形の翼、安定軌道に移ったら直線の幅広い翼、さらに上向きの風へと飛び移るための可動式翼と複数の変形機構を実装しようとしたもの。
その変形機構が上手くいかず、実験は連戦連敗中ということらしい。

「機械部品なら王都からたっぷり持ち出してきた! 俺は向こうでジャンク屋だったからな!」

といわれても、私は機械に多少心得があるものの飛行機械を造ったことはないし、空を飛ぶ理屈は正直あまりわかっていない。
変形機構に関しては、ブランシェット家の狩狼道具は基本的に小さな収納形状から変形して大型に展開するので、前半の収納はさておき、中盤以降の展開構造はある程度理解している。

「頼む! 宿代は食事込みで無料にするから!」
「やるだけやってみようかな……」

鳥と違って様々なものに縛られている人間は、必然的にある種の言葉に弱い生き物へと進化した。割引と無料と奢りだ。あと期間限定とか今だけとか感謝祭にも弱い。
そんな弱い生き物なのだから、私が手伝ってしまうのも特段おかしな話ではないのだ。


試行回数‐1
手元の紐を引くだけで変形できる機構を実装した。しかし可動式翼の操作が紐だけでは困難で墜落。

試行回数‐4
複数の形態を自在に操れるように人間を支える棒部分に操作盤を、翼の関節部分に制御装置を装備した。重量が重くなり過ぎて変形時に安定性を欠いて墜落。

試行回数‐9
風に乗り切れなければ風を起こせばいいじゃない、という理屈で複数の扇状の副翼を追加。滑空速度は増したものの墜落。

試行回数‐15
もういっそ火力で飛ばしてしまおうと発動機と火箭、それに火力調節用の装置を追加。空中で爆発、墜落。


試行回数――


「うおおおおおお!! わはははははははは!!!!」

実験開始から約半月、人間やってみれば出来てしまうものだ。
ゲイラがいつものように高所から滑空し、三角翼で風を捉え、そのまま直線翼で安定軌道に入り、上方向への風向きを察知して可動式翼へと変形して中度から高度への飛行を成功させ、大きく弧を描きながら元の位置に戻ってくる。
彼はひとつの偉業を成し遂げたのだ。
文字通り爆笑したくなるほどの大成功だ。今も頭上で大声で狂ったように笑いながら、歓喜の舞を繰り広げている。

私たちはゲイラが基礎設計をして、私が変形機構と制御盤に手を加え、ファウストが魔法の力で強度を高めた、狩狼道具のように人間のエネルギーで稼働する飛行機械に名前を付けた。


【イカロス‐マイグラトリー仕様】
自在展開式の飛行ユニット。風を捉える三角翼、安定飛行を持続させる長距離用の直線翼、風から風へと移り渡るための可動式翼の三種の形態を自在に移行出来る。
滑空原理を基礎としているため、地上から空中への飛行は突風でも吹かない限り難しいものの、高所からの飛行は十分に可能だ。


「ありがとう! ありがとう!!」
ゲイラが私たちの手を取って、実験の数々で全体的にくたびれた体を子どものように飛び跳ねさせている。
たまには善行を積むものだ。私は純粋に彼の喜ぶ姿にそう思ったし、お礼にと頂いた使えそうな機械を荷台に乗せながら、改めてそう思ったのだった。


そして誉れ高き私たちの飛行装置は、今は車の荷台で折り畳まれて山道を下っている――


そう、ゲイラは飛行装置を手放したのだ。

思うに人間は夢を見ている時が一番輝いている。夢が現実に変わった時に、人間は輝きを失ってしまうのだ。
空を飛ぶ夢を見続けた男は、現実に空を飛んだ後、急激に老け込んだ。老け込んだというよりは、全身の、頭の天辺から足の指先まで連なる無数の怪我が悪化して、半ば寝たきりの状態になってしまった。
あれだけ墜落を繰り返して無事なわけがなかったのだ。

全身の傷が癒えてダメージが抜けるまでは、歩くのも難儀するだろう。
でもしばらくすれば、また次の夢を見るように思うし、夢を見ていた頃を懐かしんで凧でも揚げているかもしれない。

「無理をするものじゃないなって思ったね」
「ウァン!」
「良いこと言ってやった風を装ってるけど、あの機械、今後も使うんでしょうね?」

助手席でじろりと猫のように目を細めるファウストを横目に、車は大陸中央の大岩壁地帯へ。そこで河川から海に向かって進む定期船に乗って、私たちの暮らしていた大陸北西部の自由都市ノルシュトロムへとしばらくぶりの帰還を果たす。
そんな予定の長い旅路。

頭上は晴天、時々渡りの鳥の群れたち。
地面では今日も大地を駆ける車と私たち。

快適な空の旅路とのんびりとした陸の旅路。
私たちはそれぞれの旅人が無事辿り着けるように祈って、再びそれぞれの旅へと歩みを進めたのだった。


ちなみに数年後、人力での外洋渡航に挑む男の噂話を耳にすることになるのだけど、それはまた別のもっと未来の話だ。



今回の回収物
・イカロス(マイグラトリー仕様)
自在展開式の飛行ユニット。飛行距離に応じて直線翼、三角形翼、部分可動式翼と形状を変化させる。翠色。
威力:― 射程:― 速度:B 防御:D 弾数:5 追加:飛行


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第25話です。
シリアスが続いたので、のんびり回です。のんびり回はあまり起伏がないですが、書いてて好きです。のんびりの概念はおいしいの次に強いので。

次回も多分のんびり回です。のんびりはしないかもしれない。

ゲイラは最初ゲイラ・カイトって名前にしようと思ってたのですが、商品名だしなーってことでやめました。