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短編小説「メガカッパガールVSジャイアント尻子玉」

朝8時半、食パンかじりながら玄関開けたら、アパートの前に言葉にしたくない物体の大が落ちてた。
言葉にしたくない物体の大の横には、切れた縄を首に結んだおっさんが落ちてた。

こういう日は予期しない良いことが起きる、って考えるようにしてる。じゃないとバランスが悪いもん。
人生はきっと良いことと悪いことのバランスが取れるようになってて、きっと私みたいなクソ貧乏な小卒でも、きっとどこかで大金拾うような日が待ってる。

そう思える奴が長生きするし、そう思えない奴が首に縄掛けるんだ。
私はきっと長生きする方。親はとっくに死んだし、親戚は知らないって目も合わせてくれなかったし、小学校も途中で中退したし、貯金だって家賃払ったら820円しか残らないけど、きっと私は金持ちになって長生きするんだ。

だって不幸はもう山盛り味わったし、てことは不幸ももう売り切れってことで、そしたらあとは幸せが勝手に歩いてくるに決まってる。

今日もそう言い聞かせて、私、河波羽加(かなみわか)は朝から晩まで働くのだ。

    ◇

「おはようございまー……うわぁ、マジでー?」

朝9時、バイト先の寿司屋に行ったら、事務所で店長が頭をかち割られて死んでた。
脳みそは三角コーナーの魚のはらわたくらいキモいし、床はくっさい血でベッタベタ。
おおう、ゲロヘビーじゃんってことで、私はまだ他のバイトが来てないことを確認して、事務所の前とレジの上と店の入り口に設置された防犯カメラの向きを、明後日の方向に変えて録画データを全部消去した。

警察を呼ぼうとは思わなかった、だって取り調べがめんどくさいから。

驚きとか悲しさとか一切なかった、だってパワハラがえぐかったから。

それからレジの中のお金と金庫の中のお金、同じく金庫の中にあった拳銃とスタンガン、手当たり次第に配達で使うでっかくて四角いカバンに突っ込んで、とっとと現場からバイバイしてやるって決めたわけ。
店長が本社に隠れて横領してくれてたおかげで、ざっと数えただけで100万の束が30はあった。それだけあったら衝動的に持ち逃げしてしまっても許してもらえる金額だ。許すのは私の中の良心だけど。


とりあえず東京から脱出してー、ほとぼり冷めるまで独房みたいな安宿に泊まってー、あと豚丼にありったけの温玉乗っけたの食べてー……あとは知らないや。そんなもんは逃げた後で考えればいい。

とにかく今は15年は働かないと手に入らない金が手に入った、そういうこと。

「宿代2000円、飯代500円が1日3回、それが365日で、仮に20年それで暮らすとして、いくら? 2000万ちょっと? それに服とか歯磨き粉とか石鹸とか薬とか……やべっ、マジで20年いけるじゃん」

真面目に朝から晩まで働いてりゃいいことも起きるもんだ。
私は馬鹿みたいにくすくす笑いながら、店の入り口に鍵をかけて、臨時休業の札ぶら提げて、鍵は排水溝に捨てて、他のバイトが来る前に現場をエスケイプしてやったのだ。


さらば東京都!
さらばカッパーランドかっぱ橋道具街通り店!(※バイト先の名前)
お前らはそのままずっと働いてろ! 私はそんな生活からおさらばだ!

    ▷

薄給過ぎてファッキューって中指立てたくなる店を出て、とにかく1秒でも早く1メートルでも遠くへ逃げようと大通りに飛び出して、でも怪しまれないように平静を装って歩いていると、この辺の名物スポットでもある黄金のカッパの像、かっぱ河太郎の前で、2匹のカッパが空き缶を並べてボーリングをしていた。
空き缶はライフガードとドクペで、なぜか知らんけどボーリング玉をタオルで包んで、両手を交互に上下させながらピカピカに磨いてる。

ははーん、さてはこいつらサボりだな。
前掛けつけたままサボってる。って、あの前掛け、さっきまで私のバイト先だった店のやつだ。

「おーい、店しばらく休みだから、今日は戻らなくていいよ」
私はせめてもの親切で、カッパに教えてあげる。
なんで親切をするかって? カッパが確実に私よりかわいそうな境遇だから。

今時分はカッパも大変だ。
カッパはいわゆるカッパで、頭に皿が乗って背中には甲があって手足には水かきがある。身長は150センチくらいで、好きな食べ物はキュウリ。機嫌がいいとカッパッパーって歌いだす。
カッパは極端な少子高齢化とかいうやつで労働者が足りないから、カッパの国から無理矢理連れてこられて、皿の下にICチップを埋め込まれて働かされてる。

しかも給料は1日キュウリ3本、職場にもよるけど週休0日も当たり前。怪我の日も風邪の日も一切関係なし、文字通り死ぬまで働かされてる。
寿司屋カッパーランド、衣料品店カッパムラ、コンビニのカッパーマート、他にも浅草皿やしきに百均のカパソーにその他いろいろ。
世の中には奴隷みたいな顔のカッパが溢れている。

でもたまにICチップの設定が狂うのか、こいつらみたいに仕事中にサボったりするするのも出てくる。
そういう時は皿に電気を浴びせて調子を戻すらしく、私の元バイト先の地下でも店長がよくカッパにスタンガンを押し付けてゲラゲラ笑ってた。
店長をいつかぶっ✖してやろうと思ったのは、それを見た時が最初だった。

だからせめて親切にしよう、そう心がけている。
その寝起きの目やにくらいの量の道徳を失ったら、人間はどうしようもなくクソに塗れてしまう。そんな気がするから。
で、クソに塗れたやつらが死ぬまでこき使ったり、ゴミみたいな給料しか払わないのにちゃっかり新車買ったり、人がこつこつ溜めたお金を奪ったりするんだ。

私はそんな奴らと同じになりたくないから、なるべく人にもカッパにも親切にするように決めて生きてる。

するとカッパは、ちょっと思いもよらない言葉を返してきた。

「知ってるよ。だってあの店長、俺たちがぶっ✖してやったんだからなぁ!」
ボーリング玉を磨き続けてる方のカッパが、ギャハギャハと笑っている。さもこれで割ってやったんだぜーって言わんばかりの勢いで。

「おい、馬鹿。余計なこと話すんじゃねえよ」
「誰がバカだってー? バカってのはなぁー、他人にバカって言ったやつがバカなんだぜ、このバカがよぉ!」
もうひとりの空き缶を並べてた方のカッパと、ボーリング玉を磨いてるカッパが口論を始める。

そういえばカッパはすっかり見慣れてるけど、カッパのケンカとか初めて見た。そもそも元気なカッパ見るのも初めてかも、たいていのカッパは無気力で死んだ魚の目をしてるから。

ここで私はひとつの仮説に辿り着いたのだ。
「お前ら、さてはICチップ壊れただろ?」
「正解! あんた頭いいんだなぁー」
カッパに褒められても嬉しくないけど、どうやら私の仮説は当たったらしい。

「今朝起きたらよぉー、なんか神様が話しかけてきてよぉー」
「神様?」
「なんか髭がすっげー長いジジイで、タンクトップにフルチンでビーさん履いてて、フリーダムって叫んでてよぉー」
カッパの神様はどうやら相当にクレイジーな神様らしい。それか皿と頭の間でICチップが壊れた影響で、変な幻覚見ちゃったのか。

「じゃあ自由になんねえとなーって思ったから、尻子玉くらわしてやったんだよ」
カッパが頭の上にボーリング玉、だとさっきまで勘違いしてた尻子玉を掲げて踊っている。
尻子玉って想像してたよりでかいな。
なんて超くだらないことを思いながら、じゃあこいつらのおかげで私は大金手に入ったわけか、とお礼をするべきか考えてた。

    ◁

お礼をするにしても黄金のカッパ像の前は目立ちすぎるし、立ち話してる時間もないから女ひとりカッパふたりで川に向かうことにした。
東京からは陸路では脱出できない。

これも超少子高齢化の影響とかなんとかで、東京の周りには外に若者を逃がさないような言葉通りの壁が出来て、壁の向こうに出るには通行手形を買わないといけない。
で、その通行手形が1000万もするもんだから、うっかり東京に旅行に来たりした日にはそのまま帰れなくなって、東京都民の暮らしを支える労働者になるしか道はないというわけ。

そんなあくどい手口で毎年地方から若者を吸い上げていくことで、東京はなんとか首都としての人口とインフラを保ってる、ってこの前、道端でギャーギャー騒いでる暇そうな人たちが言ってた。

でも1個だけ抜け道があって、海からなら出れるんだなこれが。
手段は金持ち用のクルーズ船や物流用の船に密航するか、個人がやってる漁師に乗せてもらうか。
漁師の相場は1回100万らしい。
今の私なら余裕だ、私は船で逃げてやるんだ。

カッパ? カッパは泳げるからどうにかなるでしょ。

    △

というわけで私たちは川に向かってる。
私の記憶が間違ってなければ、隅田川沿いには結構船があった。その中には個人でやってる漁師もいそうだし、最悪ちょっと割高になるけどチャーター船ならあるはず。

距離は歩いても20分かからないくらい。寄り道しても30分。
つまり30分以内に事件が発覚しなければ、発覚しても金持ってるのがバレなければ、私は逃げおおせるってわけ。

そして幸いなことに私の服はカパムラで売ってる、今では貧乏人はだいたいみんな1枚は持ってるカッパロゴのTシャツだし、頭は激安理容カッパーカットがやってくれる量産型おかっぱスタイルだし、カバンはこの世で最も職質されない配達用の四角いカバンだ。
不幸過ぎて目がいつの間にか蛇の目模様みたいなぐるぐるになってるけど、パッと見はモブ配達のモブアルバイトにしか見えない。

変に顔にタトゥーとか入れてたらアウトだったけど、この地味過ぎる面白みのない労働迷彩ルックもたまには役に立つ。
無理して着飾らなかった過去の私を札束でビンタしてあげたい。

「んでよぉ、俺たちは尻子玉集める旅に出ることにしたんだ。尻子玉ってすげーんだぜぇー、7つ集めるとよぉ、なんでも願いが叶うんだぜぇー」
「おい、余計なこと言うな馬鹿」
「バカじゃねえつってんだろぉ、バカがよぉ!」
カッパふたりが口喧嘩しながら私の後ろを歩いている。

カッパはよく喋る口が悪い方がラブ、あまり喋らない口が悪い方がピース。
ふたりそろってラブ&ピ―ス、雇い主の頭をかち割ったコンビには勿体ない素敵な名前だ。

まったく見分けがつかないから、頭の皿に油性マジックでハートマークを描いてあるのがラブ、ピースサインを描いてあるのがピースってことにした。
ちなみにふたりとも馬鹿だから、なんか皿がおしゃれになったって喜んでる。


「お前ら、ちょっと待ってて。買い物してくるから」

そう、私には寄るところがある。東京を出るわけだけど、世の中がこんな世の中なので、手に入るものはすぐに手に入れた方がいいし、用心に用心を重ねても絶対損はしない。
牛丼に紅ショウガと温玉乗せるように、用心(気持ち)に用心(物理)を重ねるのだ。

ここ、かっぱ橋道具街通りは昔こそ、調理器具や食器なんかの店が並んでいたけど、世の中がこんな感じになってしまってからは別の意味での道具屋が増えて、すっかりそういう街になってしまった。

「ヘイ、オヤジ、頑丈なマグライトとそれ用の電池、ナイフとカバンに入るサイズのバール、あとこいつと同じ弾を200程」
「強盗でも行くのかい、お嬢ちゃん。ま、うちは詮索はしない主義だ」
道具屋はこういう事なかれ主義者が多い。相手が子どもでも誰の使いかわからない、じゃあ俺はなにも聞きません、って態度を取るのが長く商売をする秘訣だ。
って前に寿司屋で朝から日本酒キメてたおじさんが言ってた。

「それとレインポンチョとスイカが入るくらいのカバン2つ」
「おやおや、今度は強盗の次はキャンプかい?」
雨具は私のだけど、カバンはあいつらのだ。尻子玉剥き出しで運ぶのも大変だろうってことで、お礼をするならカバンに決めた。

カッパはキュウリが好きだけど、キュウリなんてもう食べ飽きただろうし、かといってあんな物騒なカッパに武器なんて渡せない。
となると消去法で酒かカバンになって、下戸だったらって気遣いでカバンを選んだ。

カバンを受け取ったカッパふたりは、なんか忠誠心が湧いたのか私のことをアネゴと呼び始めて、尻子玉を入れて胴の前に掛けて、上機嫌で歌なんて口ずさんでいる。

カッパッパー、カッパッパー
とかくこの世は業深し つらい涙で頬染めて
母ちゃんの作った泥の粥 弁当箱に詰めて泣く
3歩歩いて人情忘れ 3歩戻って義理拾い
悲しみは背中で語り お天道様に笑顔向ける
風にまかせて 旅まかせ やがて波止場の女の元へ
ようやく旅の終着点 今日もキュウリが塩辛い

いや、そんな渋い演歌調だったんかい。イントロおかしいだろ。
なんて心の中でツッコミ入れてると、人生の荒波で顔面を煮しめたようなスーツ姿の男が近づいてくる。

その手には日本刀が握られていて、顔が濃すぎてなに考えてるかわからないけど、こういう人とは絶対にすれ違っちゃいけないって親の遺書に書いてあった気がする。

「そこのお嬢さん……連れているカッパ2匹、こちらに渡しなさい」
たっぷりの間を取り過ぎて、間延びしきった言葉とは裏腹に、素早く刀を抜いて振りかぶったのだった。


「なんだぁ、てめえ、ボケコラァ! この顔面煮浸し野郎がよぉ、俺の自由を奪おうだなんてなぁ! 寝ぼけたことほざいてんじゃねえぞ、このダボハゼがぁ!」

ラブがスーツの男に向かって、語彙力たっぷりな罵倒を返す。やっぱりこいつに愛なんて名前はふさわしくないけど、今はそんなことより、私が巻き込まれている方が問題だ。
ここで騒ぎになっても困るし、足止めされて時間を食っても困る。

となると、選択肢はひとつしかない。

「じゃ、私はこれで!」
そう、走って逃げるだ。

私はラブとピースに別れを告げて、細い路地に飛び込み、そのまま全速力で駆ける。

しかし私の後ろをアネゴと連呼しながら追いかけてくるカッパ2匹、さらに刀を振りかぶったまま走ってくる煮しめ男。
私の足が遅いのか、それともカッパが速いのか、多分どっちもだと思うけど、一向に距離が離せない。

仕方なく足を斜めに踏み出してくるっと反転して、カバンからバールを抜き取りながらピースの胴を抱えて、背中の甲羅で刀を受け止めながら軌道を逸らし、がら空きになった下腹部にバールを突き込む。

甲羅の丸みを利用して攻撃を捌き、その隙に手に持った武器で突く。
これが私が小学校時代に父親から叩き込まれた琉球武術、ティンベーとローチンの基本的戦術だ! ローチンないけど!

「アネゴ、酷くないか!?」
いきなり盾にされて怒っているのか、ピースが非難めいた叫びを上げている。
確かにいくらカッパとはいえ、盾にするのはよくない。よくないし、盾の代わりにするには大きすぎて使いにくい。

ならばと甲羅をがしっと掴み、ピースの頭を押さえて引っ張ると、そのままするっと甲羅が外れてしまった。
ごめん、冗談のつもりだったのに。

「アネゴ、酷くないか!?」
ピースの非難もごもっともだけど、さっきよりだいぶ扱いやすい。甲羅は分厚く硬く、でもサイズの割に軽いし、甲羅と背中を引っ付けていた取手みたいな出っ張りも持ちやすい。

「うおぉー! すげぇ、ピースが盾になっちまった!」
相棒の変化に興奮してはしゃぐラブの腕を、股間を押さえて悶える煮しめ男が掴み、せめてカッパひとりだけでも道連れにしようと引っ張ろうとする。

すると胴の位置はそのままに、掴まれていた腕がずるんと音を立てて伸びて、もう片方の腕が肩に飲み込まれるようにずれていく。
「なんなんだ、これはよぉ! 俺の腕がズレちまったじゃねえかぁ!」
それは私が言いたい。ピースといいお前といい、カッパの体はどうなってるんだ。

当然だけど煮しめ男も驚いて、慌てて掴んでいた手を放す。
カッパからも距離を取られた、刀も手元から離れた、下腹部を怪我して立ち上がれない。煮しめ男も力づくは諦めたのか、今度はポケットから財布を取り出して、
「お嬢さん、そこのカッパを渡してくれないか。もちろん礼金も払おう」
たぶん最後の手段のお金を使った交渉に出てきた。
私はこういう話が大嫌いだ。

無神経な話をする奴が時々いる。
例えば、女なんだから風俗に行けばもっと楽に稼げるだろ、とか、金持ってる男捕まえて養ってもらえよ、とか。
その度に思うのは、なんで金のために時間と労働力以外のものを使わなきゃいけないんだってこと。
それともう一つ、

「だったら、そのお金も貰ってカッパは渡さないってのが一番得だよね」

何も失わずに全部手に入れるのが一番お得なハッピーセットってこと。
「アネゴ、鬼やべえ! このまま邪魔する奴ら全員ぶっ✖しちまおうぜ!」

煮しめ男の斜め下からティンベーを押し当てて上半身を浮かせ、カバンの肩ベルトを片方だけ外して、スライディングの要領で股間に踵を押し込む。

父いわく、一部の沖縄県民は昔取った杵柄ってやつで、車の下とかに滑り込むのが先祖代々ものすごく上手い。
それを応用して、ティンベー術と融合させた武術が、ごく一部に伝わっているとかいないとか。

これが琉球武術亜流、ティンベーと非合法スライディングの基本的戦術だ!

    ▢

なんて、いつまでもはしゃいでる場合じゃないので、余計な騒ぎが起きる前に早く川へ。

悶絶する煮しめ男を建物と建物の間に逆さに突っ込んで、私たちは慌てず、だけど気持ちの上では急いで、墨田川への道を進む。
ちなみにラブの腕とピースの甲羅は、すんなり元通りになった。カッパの構造はどうやらかなりいい加減みたい。

それはいいんだけど、なんか嫌な予感がする。
さっきこっそり煮しめ男の財布から、お金と一緒に抜き取った名刺には
【カッパ保護委員会】
ICチップの壊れたカッパの回収致します。不要になったカッパにも再雇用と社会復帰を!
とか書いてある。

多分だけど、ふたりのICチップが壊れてるのはわかっていて、その上で回収に来たのだと思う。ふたりの今後は正直どうでもいいけど、なんか妙に懐かれてしまったから、また何かあったらどうせ巻き込まれるに決まってる。

そんな予感はやっぱり的中して、私たちの前から大型トラックくらいの高さの白い球体とスーツ姿の黒髪ロング眼鏡が近づいてくる。
絶対さっきの煮しめ男の仲間だ。

「私はカッパ保護委員会の者です。そこのカッパ2匹、おとなしくこっちに来なさい」
白い球体から繋がったマイクを通して、黒髪ロング眼鏡が通達してくる。

さらに私の後ろにいるカッパふたりに目を向け、手に持ったスマホとカッパを何度か見比べて、餌付けのつもりかキュウリを地面に放り投げる。
ラブとピースがキュウリをじーっと眺めるけど、散々こき使われてきたカッパが今更キュウリで釣られるわけがない。

黒髪ロング眼鏡がキュウリをさらに放り投げる。
いや、数の問題じゃないんだよ。カッパはキュウリじゃ釣れないの。
黒髪ロング眼鏡が太めのキュウリを放り投げる。
いや、形が気に入らないとかじゃないの。キュウリじゃ釣れないの。
黒髪ロング眼鏡がキュウリに塩を振って放り投げる。
いや、味がどうとかじゃないの。もうね、キュウリじゃ釣れないの。
黒髪ロング眼鏡がキュウリの下に皿を滑り込ませる。
いや、盛り付け方の問題とかじゃないの。キュウリじゃ釣れないの。
黒髪ロング眼鏡がキュウリを取り出

「馬鹿なの!?」
あわよくば無視しようと思ったけど、ここまで馬鹿だとツッコまずにもいられない。私は思わず黒髪ロング眼鏡に声をかけてしまう。
黒髪でロングで眼鏡でスーツの女が馬鹿ってどういうことだよ。

黒髪ロング眼鏡がつかつかと近づいてきて、私の顔の間近く、至近距離の位置まで眼鏡を寄せてくる。
来るなよ、馬鹿の仲間だと思われるだろ。

「誰が馬鹿だ、ぐるぐる目! テメー、ドコ中だ、こらぁ!」
「小学校中退だ!」
「おいおい、ドコ中ってなんだよ? 食いもんかぁ? フィッシュ&キューカンバーよりうめーのかぁ?」
「中ってことは中毒の中だろ? どこって、どんこ汁のことか?」
私の肩越しにラブとピースも顔を突き出してくる。

やめろやめろ、これ以上馬鹿の人口密度を増やすな。

黒髪ロング眼鏡はプライドが傷ついたのか、ぎりぎりと歯ぎしりしながら手に持ったスマホの画面を、ダダダダダッと音が出そうな勢いでタップして、後ろから歩道を占拠する白い球体のことで文句を言われて、振り返って罵声を浴びせて、通りすがりのおばさんから強烈なビンタを1発2発。

半泣きになりながらスマホを叩き続け、白い球体の表面に直角に曲がり続ける赤いラインが浮かび上がり、白い煙を吐き出しながら、地面から少しだけ浮かび上がる。

「尻子玉メカ、起動……!」


尻子玉メカと呼ばれた白い球体は、大型トラックくらいの高さで、背面になるのかどうかわからないけど、私たちから見て向こう側に4つの白い球体が引っ付いている。その4つの球体から風が吹き出て、浮かんだり進んだりできるみたい。

「ぐるぐるおかっぱ女、この尻子玉メカは私の頭脳の結晶! 仮に戦闘メカコンテストがあったら決勝まで余裕で勝ち上がれるくらいの技術の結晶なのだ!」

尻子玉メカの表面の一部が開いて一瞬光ったかと思うと、車道の上を光の線が走って、向こうの路地に面した店の壁が少しだけ焼け焦げる。
「なんとレーザーもついているのだ!」

黒髪ロング眼鏡が勝ち誇ったようににやりと笑って、私たちに指先を向けて、もう片方の手でスマホの画面をタップした。

ガッシャンガッシャンと尻子玉メカの4つの球体が動き、本体から掃除機のホースみたいなのが出てきて、4つの球体を押し出して手足みたいになる。
尻子玉メカは手足をぶんぶんと振り回して、道路沿いの街路樹をへし折ったり看板を叩き割ったりして、そのパワーを見せつけてくるように動いている。
「しかも変形だって出来る!」

なんで変形したのかわからないけど、あの動きからして仕掛けてくるのはきっと上からのパンチだ。

「いけ、尻子玉メカ! レーザー照射!」
「パンチしろよ!」

慌ててピースの甲羅をひん剥いて、ラブの腕を引っこ抜いて、身を屈めてレーザーに備える。
カッパの甲羅でレーザー防げるか知らないけど、店の壁をちょっと燃やしたくらいだし、そこまでの威力はないと思う。
それに、私には学がないからレーザーがなんなのかわからないけど、刀でも槍でも捌けるのがティンベーだ。
レーザーだって捌ける。

幼い頃から叩きこまれた技術を信じろ!
レーザーは曲がる!

甲羅越しに光と熱を感じて、軌道を曲げるように甲羅を持つ角度を変えて、重心を斜め前へと走らせる。
レーザーは甲羅の表面を滑るように横へと流れ、驚いて隙だらけになった黒髪ロング眼鏡のスマホを、ラブの両腕をヌンチャクのように振り下ろして叩き落す。

これが琉球武術、ティンベーとヌンチャクの科学的戦術だ!

スマホが地面に叩きつけられたと同時に、尻子玉メカもレーザーに驚いたトラックドライバーにぶつけられて、表面に大きな凹みを作りながら道路を転がり、球体の手足を撒き散らしながらコンビニのカッパーマートに突っ込んだ。

「なにやっとんじゃ、おらぁ!」
折れた指を押さえている黒髪ロング眼鏡を、壁を焼かれた店主のおっさんと、看板を割られた店のおばさんと、驚かされたトラック運転手のおじさんが囲んで、ばっちばちに叩いていく。

この世で最も怖いのは、ヒステリックなおばさんとやばい系のおっさんだ。
あいつらは怒らせてはいけない。
女でも容赦なく殴ってくるし、平気で顔とか蹴ってくる。隙あらば前歯だって折ろうとする。

眼鏡が飛んだあたりで、私たちは絡まれただけの無関係で善良な配達員と手伝いのカッパです、って言い訳しながらその場を離れる。
私はよくわからない変人だのメカだのに関わってる場合ではないのだ。

とっとと東京から脱出して、20年食って寝るだけの生活をしてやるんだ!


――――――


「なんか無駄に疲れた」

私たちは隅田川から海へと下る船の上で、青く透き通った空を見上げている。
あの後すぐに川沿いに向かって、偶然にも船を整備してた漁師のおじさんと交渉して、ひとり100万円(カッパは手荷物なのでふたりで10万円)で東京湾から旧アクアラインを潜り抜けて、相模湾に入って、熱海とかいう静岡って県の端っこの街まで運んでもらえることになった。

神奈川は東京の隣だからちょっと怪しいけど、静岡まで行けばわざわざ追いかけてくることもないと思う。
という漁師の勘を信用することにした。

どうせ途中で信用できないと思ったら、銃で脅して船を奪っちゃえばいいだけだし。

「そういえばさー、お前らどうすんの?」
操船席の後ろの椅子に腰かけながら、弁当をがっつくラブとピースに聞いてみる。
カッパのこと正直よく知らないけど、やっぱりカッパの国に帰りたいのかなとか、それとも他に行ってみたい場所があるのかなとか、ちょっと聞いてみたくなった。

だって船の上は暇で何もすることがない。しかも小刻みに揺れるから、油断したらゲロ袋が何枚あってもキリが無くなっちゃう。

「わかんねえけど、せっかく自由になったんだからよぉー、今まで出来なかったことしてみてえなぁー」
「出来なかったこと?」
ラブは米の上に乗った白身魚フライを飲み込み、指を折りながら夢を数えていく。

「魚をゲロ吐くくらい腹いっぱい食ってみてえとか、酒と煙草とかしてみてえとか、映画ってのをちゃんと映画館で見たりとか、遊園地ってのも行ってみてえし。でも一番は尻子玉7つ集めてカッパの国を独立国家だなぁー……やっべぇ、そしたら俺、カッパの国の大統領になっちまうのかぁ?」
思ったよりまともな夢を持ってるな、このカッパ。カッパの国が独立できるのか知らないけど。

「俺はこいつみたいに馬鹿じゃないから、ちっちゃくてもいいから自分の家持って、毎日アジフライとか食べて、貧乏なのは仕方ないし諦めるから、せめてきれいな海でも見ながらのんびり暮らしたいなあ」
ピースが米の上に乗ったコロッケを齧りながら淡々と語る。

その夢がカッパの国の独立より現実的なのかわからないけど、ふたりとも結構ちゃんと未来のことを考えてる。

「誰がバカだって、このバカがよぉ!」
「うるせーな、家建てても住まわせてやんねーぞ!」
こらこら、ケンカはやめろ。船が余計に揺れるから。


カッパって生き物は思ったよりもちゃんとしてる。
もし夢カードバトルとかあったら、私の『毎日仕事もしないで朝から晩までダラダラしながら暮らしたい』デッキなんて秒殺できるくらい強そう。

だからって私は自分の未来を変えたりなんてしないけど。


――――――――


朝8時半、カップ麺すすりながら窓を開けたら、廃墟ギリギリな安宿の前の道路にでっかいマグロが落ちてた。
さすがに港町だけあって、首括ったおっさんよりは良いものが落ちてるなあって感心してると、ギャアギャアと騒がしくカッパがふたり走り回っている。
「あいつら、まだいたんだ……」

こういう騒々しい日は静かに過ごすのが一番だって昔から決まってる。じゃないとバランスが悪いもん。
今まで不幸が多過ぎた分、私は朝から寝て過ごすんだ。


私は部屋の隅でぬるくなった焼酎をマグに注ぎながら、騒々しさを吹き込ませてくる窓をピシャリと閉めた。


(おわり。でも逃亡生活はまだまだ続く)

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

というわけで短編を書きました。
カッパのお話です。カッパと少女と尻子玉の話です。
私は創作の中でくらいハードボイルドであれ、とか思ってるのですが、これはきっとハードボイルドじゃないなとか思いました。

以下は、特に本編で書く必要がなかった設定などです

Q.カッパの国はどこにあるんですか?
A.日本全国あちこちにありますが、有名なところでは岩手と群馬です。

Q.メカが暴れてるのに警察は出てこないんですか?
A.少子化ですので……

Q.東京以外の都道府県はどうなってるんですか?
A.面積の半分が限界ニュータウンみたいな感じ。

Q.羽加(←ちなみに主人公)が泊っている宿の名前は?
A.カパホテルです。店主以外の従業員は河童です。羽加が時々アジフライとか分けてあげるから、サービスはかなりよいです。サービスだけなら星3つ。