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小説「彼女は狼の腹を撫でる~最終回・狼の末裔は今日もよく吠える~」

可愛い子には旅をさせろ、なんて昔の人は言うけれど、今はとてもじゃないけどそんなこと言えないよね。
そう思ったのは、私の暮らす港町から旧王都へと向かう大陸横断鉄道の車窓から見える景色が、不穏極まりないというか、例えるならば今にも落ちそうな吊り橋の上をおっかなびっくり歩かされる時のような雰囲気を漂わせているからであって。

旧王都……そう、かつて王都だった都市【旧王都パルビダパターナ】が私の目的地だ。
王都はかつて大陸5大都市と並んで栄えていた大陸の中心地だった。しかし盛者必衰、昇った太陽は必ず沈む、上を向いて歩いていたら下から足関節極められる、世の中はいつでもどこでもそういう風に出来ていて、突如崩壊した5大都市のひとつからの大量の難民の流入、それと同時期に起きた主戦力の大量失踪事件などを経て、私が生まれる頃にはすでに内乱で滅んでしまっ
ていた。
それまで独裁にも等しい剛腕を振るっていた王は処刑されてしまい、残った王族や貴族は各地に散り散りになり、世の中はぎりぎり秩序を保てる程度には荒れると思いきや、意外なことにそうはならなかった。

特にすでに独自の経済圏を築いていた以前の自由都市、現在の【代理首都ノルシュトロム】や南部の【開拓都市ワシュマイラ】、中央ですでに孤立に等しい状態にあった【城塞都市ロッシュシュタイン】は、ちょっと物騒になったくらいで元々のいいんだか悪いんだか絶妙な治安を維持し、唯一犯罪都市とも呼ばれていた大陸東部の【地下都市ザイマグル】だけが王都壊滅の煽りを受けて犯罪率を更に引き上げる結果となった。

それからのことは詳しく知らないけど、なんやかんやあってノルシュトロムの商人たちが亡命してきた旧王族の私財を丸々頂く条件付きで彼らを受け入れ、市長が代理首都として宣言したのが丁度私が産まれた年、今から18年前のこと。
そんなきな臭い火種になりそうなことをしても許される理由が、この大陸に唯一残った騎士団の存在。

それが【狼の騎士団】、私の所属する派遣鎮圧組織だ。


「おおう、さっそく町が燃えてる……」

車窓の外から見える景色の中、あちらこちらで盛大に火の手が上がっている。
今回の仕事も大変そうだなあ、なんて思いながら終点までの残り時間を静かに過ごすために、ゆっくりと目を閉じたのだった。

狼の騎士団所属、団員番号666番。私の名前は……。
むにゃむにゃ……。



「次は終点パルビダパターナ、パルビダパターナ、暴徒の襲撃や強盗との遭遇などの恐れがあります。降りられましたら速やかに宿へと向かい、間違っても町中を歩く真似はしないようお願い申し上げます」
物騒な車内アナウンスで目を覚ますと、窓の外には瓦礫に廃墟に焼け跡に占拠された高層建築、おおよそ人間が生活する場所と思えないけど、これがかつて栄華を誇った都市の紛れもない現在の姿だ。
座席に座る体のすぐ隣に置いていた二振りの、布でぐるぐる巻きに中身を隠した長物を手に握りながら、念のため車両の中を見渡す。乗客に紛れて下車する一瞬の隙を狙う、そういう物盗りもいるという。

見たところ怪しそうな人物はいない。
年老いた男がひとり、若い男がひとり、中年の男女が一組、それと私。
しかしこんな治安の悪い場所にわざわざ赴く時点で全員怪しく見えるし、そんなことはなく真っ当に慈善団体の職員とかかもしれないし、やはりそんなわけはなく物盗りの類かもしれない。
さて、どうするか?

我が家の家訓にはこう記されている。
『油断大敵火が亡々』と。多分油断するなーとかそんな意味だ。
あと『壁の耳と鍵穴の目は潰せ』とも。おそらく目撃者がいなければよし、そんな意味だ。

このふたつの教訓からもたらされる答えはひとつ、先手必勝あるのみだ。
相手が複数人いる場合は戦力に劣る者から倒せ、というのは私の師である先生の教えだ。とにかく頭数を減らして、まずは人数の差を埋めていく。それが迅速であればあるほど自分の救けになってくれる。
そう考えるなら、まず狙うのは老人、次に中年の女、その女を障害物にしながら連れの男、最後に若い男か。

列車が停止する際の慣性でぐわんと地面が揺れる。
座ったままの状態で身を前に倒した老人の隣に静かに近づきながら、腰に巻いていた革ベルトを抜いて、彼の両腕にピシャリと巻き付けて一気に締め上げる。
続けざまに頭上の網棚に手を伸ばしている中年女の片腕にワイヤーを引っ掛けて、ぐっと全身の体重をかけて体勢を崩す。崩れたところを飛びかかり、もう片方の腕に背中越しにワイヤーを絡ませて拘束完了。
目を丸くする中年男に長物を一振り突き付けて、触れた瞬間に電流を流して痺れさせる。そのままワイヤーで両腕を縛り上げて3人目の拘束もやり遂げる。

若い男は慌てて鞄の中から何か、おそらく武器であろう物体を取り出そうとしているので、そのまま腕を自縄自縛してくれている隙に首に長物を当てて、バチリと電気を流す。
鞄の中から身分証明書が零れ落ちる。

『慈善団体ロータスハーミット三等職員 テイラー・ルコット』

ロータスハーミットは、被災地や難民キャンプを訪れて医療支援をしたり孤児の養子縁組を進めたりする団体だ。これといって黒い噂も聞かない。
なんだったら先月、偉い人に表彰されているのを新聞の15面くらいで読んだ気がする。

つまりはこうだ。
やっちまったぜーってやつだ。
しかしだ、しかしまだ相手が白と決まったわけではない。身分証を偽造している可能性もあるし、もしかしたらまだ世間にバレていない悪事を働いてるかもしれないし、これから悪の道に走るのかもしれないし、あとこれ以上それっぽい言い訳は思いつかない。

「お前たちの悪事はお見通しだ!」
黒いものも白と言いきれば白になる。世の中はそういうもので、どこかの調査会社によると5割がごり押し、4割が力押し、3割が開き直りで出来ている。合計が10割超えるけど、今はそんなことは気にするべき点ではない。
要ははったりだ。
私が黒だと言ったら黒なのだ。むしろそうあって欲しい。

「どうやって知った!? 我々が慈善団体の皮を被って、金持ちへの奴隷売買に手を染めていたことを!?」
「くそぅ! なぜだ!?」
「なぜ私たちが強盗夫婦ウッディーとジュリエットってバレたの!?」
「私がただの老人ではなく、前科28犯の猟奇殺人鬼ブッチャー・コルネリオだと見破っていたというのか!?」

……黒すぎて引くんだけど。
多少は黒ではあって欲しいなーと思ったけど、ここまで黒いのは正直どうなのか。世の中に善はないのか。おい、善、貴様どこにいったんだ? 便所か? それとも布団から出られないのか?


「車掌さん、狼の騎士団の者です。こいつら全員犯罪者なので、後はよろしくです」
駆けつけた車掌に、鎖に繋がれた首輪付きの狼の紋章の入った身分証を見せる。この野生動物と飼いならしの象徴とが組み合わさった紋章は、私たち狼の騎士団の象徴であり、大陸各地から王都から派遣されていた騎士団や傘下組織が失われた今となっては唯一の騎士団の証明なので、まあ誰しも1度や2度は見たことがある程度には有名だ。
「私は狼の騎士団、団員番号666番」
「あ、貴様! 逃げるな!」
名乗りの途中だけど、車掌が逃げようとした若い男を追いかけて走り出す。
列車の運転から治安維持まで大忙しだ。将来的に就きたくはない仕事のひとつではある、列車、乗ってて眠くなっちゃうし。

仕事など楽なものに限る。
出来れば日がな一日ぼーっと座ってるだけで終わるような仕事にこそ就くべきだ。
私の師である先生も若い頃には随分と苦労したそうで、余計な苦労はしない方がいい、という結論に至ったのだと以前語ってくれた。


・・・・・・


「荒れ果てた大地、崩れた建物、ひび割れた路地、空は曇天、人々の顔は真っ暗……最高だね」

駅から降り立った旧王都パルビダパターナは、まさに先程口にせずにはいられなかった皮肉の通り、町全体が廃墟化したところに無理矢理に人が居座り続けて、力尽くで経済活動を行っている。そんな具合だ。
かつての栄華は寝転んでいる間に爪先で蹴飛ばされて、今はもう見る影もない酷い陥落具合。それでも人は動いているし、人が動けば生活が営まれる、生活が営まれれば物と金が動いて仕事が生まれる、仕事が生まれたら自然と労働力が集まって町が形成されていくのだ。
「おおよそ町とは程遠いものの」
それでも宿があり、パン屋があり、食糧品店があり、露天商が連なり、
「ヒャッハァーッ!」
不法に占拠した廃墟を根城にする野盗の集団がいる。

野盗たちは自分たちの縄張りを主張するかのように、各々の顔や腕や胸や背中に蜂を模した刺青を彫り、王都壊滅までは民間人には所持も使用も禁じられていた発動機付きの四輪車や二輪車に乗り、砂煙を上げながら暴れ回っている。王都を荒らし略奪と弾圧を繰り返す武装集団【蜂の巣】、こいつらの実態調査、あわよくば現在の頭目アビスポン・コルメーナの捕縛が今回の私に課せられた任務だ。

「そこの野盗崩れ達、止まりなさい! 私は狼の騎士団、団員番号666番……」
「なにやってる! どけっ!」
長物に巻かれた布を取り払おうと構える私を、突如として横から割り込んできた腕が突き飛ばし、もう片方の腕に構えた拳銃で目の前を数メートルの距離にまで迫った野盗に狙いを定めて、ガァンガァンと2発、胸と腹の辺りに撃ち込む。
安定感を失った二輪車を転倒させて、血を流しながら倒れる野盗を見て、他の野盗たちが慌てて方向転換して走り去っていく。

「あー! ちょっと待ちなさい!」
「ちっ、逃げられたか……」
逃げられたか、じゃない。いきなり拳銃なんて撃てば、相手も驚いて逃げるに決まってる。せっかく二輪車に乗った野盗を捕縛して人質にし、さらに二輪車も奪ってしまおうという作戦を考え付いたのに、台無しになったじゃないか。
これでは調査どころではない、こいつの関係者だと思われて余計な襲撃を受けかねない。となると、自分の身を守るためにはこっちから先に仕掛けるしかないわけで。

まったく余計なことを、と内心愚痴りながら、改めて割り込んできた男に視線を向ける。
思ったよりも若い。青年どころか、まだ少年といっても差し支えない年齢だ。もしかしたら18歳の私よりも年少かもしれない。
背は私よりは高いけれど、成長期なのかそれほど大きくない。体の線もどちらかというと細い。
そんな割とどこにでも居るような少年だ。

「ねえ、あなた、なんで邪魔したの?」
「邪魔? 俺はお前が危ないと思ってだな」
なるほど、どうやら私を助けたつもりのようだ。善意があればなんでも許されると思うなよ、少年。
「お前じゃない。私にはちゃんと名前が……マズル・グレイプニルっていう名前があるの」
私は咄嗟に偽りの名前を語る。車掌のような立場がはっきりした者には正直に本名を名乗ってもいいけど、目の前の少年はまだ立場がはっきりしていない。敵とも味方ともどちらでもないとも判断できない相手には、偽りの名前を語るべきだ。
これも師である先生から教えられたことで、先生は割と正直に名乗っていたせいで名前が広まり過ぎて困ったらしい。

「マズル・グレイプニル? 変な名前だな」
「変な名前で悪かったね」
“口輪”なんて変な名前が実在してたまるものか。そんな名前つける親がいたら、物心ついた子どもに階段の上から飛び蹴りされて、首の骨をへし折られてしまうに違いない。
「そういうあなたはどうなのよ? 名前、なんていうの?」
「ベオウルフ・エバーソン、狩狼官だ」


狩狼官、かつてこの大陸に存在した職業。
昔は人里に近づいてきた狼を狩って、周囲の住人たちから報酬を得るという押しかけ狩人のような仕事で、狼が絶滅危惧種となった昨今では、代わりに悪党や犯罪者を捕らえて報奨金を得ていた。
しかし王都が壊滅して報奨金制度そのものがあやふやになってしまった現在、かつての名立たる狩狼官たちは自警団員や傭兵、治安維持に関する仕事へと鞍替えし、狼以上に絶滅危惧種な職業となった。
あと狩狼官はシュローカンって書くと、なんかパサパサしたお菓子っぽい名前だけど、これは完全に余談だ。

「へー、現役の狩狼官なんて初めて会ったよ」
現役でなければ会ったこともなくはない。

そう、例えば狼の騎士団の創設者であるとか。


狼の騎士団は王都で内乱が起きた丁度その頃に、まだ自由都市と呼ばれていたノルシュトロムで誕生した私設の自警団だ。
剣の魔女と呼ばれた腕利きの狩狼官の女と、その夫で毒蛇を従える魔道士が創設し、当時の最高峰と呼んで差し支えない人材を大陸各地から集めて結成された。その中には魔道士育成機関で教鞭を振るっていた者や最強の狩狼官と位置付けられていた騎士なども含まれ、かくいう私の両親もそんな凄腕の面々と肩を並べ、数多の武勇伝を打ち立てた。
その後、大陸で唯一残った騎士団となり、圧倒的な攻撃力と制圧力で勢力を拡大。今では治安維持や現地調査のために各地に派遣されている。
創設者の思考回路に強く影響されて、騎士団は徹底した効率重視主義。団員たちは隊長格以外は番号で呼ばれるものの、その一方で自由主義的な側面もあり、私のように名乗りを上げる者もまあまあ割と結構かなり実は半数近く居たりもする。

私はまだ立場的には番号で呼ばれる見習い的なところにいるけれど、最近は先生から専用の道具も受領したし、頭角を現す日もそう遠くないと思ってる。
その道具の見せ場は、今しがた狩狼官の少年に奪われた。なんてこったである。

「そうだ、ベオウルフ少年。仕事を手伝ってよ」
「なんでだよ……」
「思うに君は悪党、とりわけさっきの連中を倒してお金を得たい。私はあいつらを捕まえたい。目的は一致してると思うけどね」
私はベオウルフにぐいっと1歩近づいて、まだあどけなさの残る顔を見上げ、じーっとその瞳を見つめる。
少年は気恥ずかしいのか、ふいっと目を逸らして交わる視線を解く。
こういう勝負は先に目を逸らした方が負けだ。
そして私は自分の魅力を自覚している。肩まで伸ばした栗色の髪、鋭さの中に穏やかさも含んだ瞳、157センチとやや小柄ながらも年相応に成長した張りのある体、全体の造形は嫌味でもなんでもなく89点は堅い。顔だけでいえば90点を楽に超えるだろう。
事実、今この場では勝ったわけだから、この自覚は自惚れではないと証明されたわけだ。
単に鬱陶しかっただけという可能性は永久にゴミ箱にでも投げ込んでおくとする。

「さあ、蜂の駆除と行こうか」
「いや、手伝うとは一言も……」
ベオウルフの言葉は無視して、連中の逃げた方向に再び目を向ける。
駅から離れたその区画は大いに荒れていて、ごくわずかに店もぽつりぽつりと佇んでいるものの、お世辞にも行儀が良さそうな面構えとは言えない。乱雑な路地の中で特定の店の前だけがゴミが落ちていないのだ。こういう場合、店は犯罪組織と結びつきが強いか、もしくは危険な輩が常駐するような度胸の強さを持っているか、どちらにせよわかりやすい。わかりやすく悪党の情報はここにありますよ、と謳ってくれているのだ。
そんなわかりやすい目標が目の前にあったら選択肢は当然ひとつ、先手必勝しかないことは言うまでもない。

「少年、ちょっとそれ貸して」
ベオウルフが背中に背負っていた筒状の火器、先程の野盗に放った拳銃とは別の、護身用には過剰すぎる明確に攻撃のための武器を拝借し、そのまま路地を建物沿いに素早く駆けて、目測500メートル先の塵ひとつ無さそうなお綺麗な店に砲口を向ける。
銃火器の扱いは騎士団で一通り教わっている。師である先生からは必要以上の殺傷力を持った武器の携帯を勧められていないものの、腕前は同世代の中では頭一つ抜けているとの自負がある。
要するにそれなりのものはある、正確に狙って撃って当てる程度のことが出来て、その距離を性能の目一杯のところまで伸ばせるわけで。

放たれた弾は店の窓へと突き刺さり、防弾仕様の硝子を使っていたのか一瞬だけ入店を躊躇うように足を止め、すぐに勇気を以って中へと飛び込んでいく。数瞬後には爆発と同時にわらわらと蜂の刺青を彫った野盗達が出てきて、まさに害虫駆除の様相を呈してきたなあ等と思ったり。

「そうだ、少年。自分の身は自分で守ってね」

私は今度こそ長物に巻かれた布を取り払い、全体的にゴツゴツした六角形の身の丈ほどの棒を構える。
これが先生から受領した私専用の道具、俗称『やきもち焼きの蛇』だ。


【ジェリーボア】
拘束に特化した棒状の武器。形状は六角形の蛇腹式の杖で普段はスタンロッドとして用いる。
状況に応じて蛇腹を延伸させて、相手に引っ掛けたり絡みつかせたりして拘束する。1箇所を強く拘束することも、複数箇所を立て続けに拘束することも、さらにロープで牽引することも出来る。
なお蛇腹は接続部分が複雑な機構になっており、蛇腹同士が絡みついたら内側から外すのは不可能に近い。


野盗の腕に伸ばした蛇腹を絡ませて、ぐいっと引っ張り寄せて重たく頑強な柄で殴りつける。
基本はこれだけだ。体勢を崩せそうな部位に絡ませ、引き寄せながら崩し、側頭部や頸椎や顎を殴って砕く。倒した野盗を障害物にして、その陰から蛇腹を展開して次の獲物を捕獲する。それを淡々と黙々と、時折爪先に鉄板を仕込んだ靴を用いた蹴りを混ぜながら、なるべく俊敏に無駄なく繰り返す。
野盗たちの動きは遅く鈍い。といっても普通に人並みの速度はあるのだろうけど、私の訓練相手はもっとずっと素早い生き物だ。

そう、私は狼と訓練を積んでいる。それもただの狼ではない、やたらと人の癖を熟知した賢く強い狼だ。狼の中では老齢と呼んで差し支えない年月を生きているのに、不思議と毛並みは若々しく、足取りも力強く身のこなしは風に舞う葉のように軽い。
そんな狼と毎日のように訓練を繰り返すと、人間の力任せの大振りなど緩慢で避けてくださいと言っているも同じだ。

「この調子だと、もう一振りは使うまでもないかな」
ふっと息を吐きながら十数人目の野盗の喉を蹴り抜いたところで少年に目を向けると、拳銃の弾が切れたのか短剣を握って必死に応戦している。銃の扱いは堂に入っていたけど、格闘の腕前はさほどでもないみたい。
狩狼官と聞いたからもう少し腕が立つかと期待したけど、まあ少年だし幼少の頃から訓練でも積んでなければこんなものだろうなと思う。
「少年、大丈夫かい?」
「大丈夫だ!」
元気はまだ有り余っている。元気な内は大丈夫、勢いはあっても元気のない野盗なんかはその逆。あっという間に蛇腹に絡み取られて、こめかみ蹴られて倒れてしまう。

「なんだぁ、ベオウルフ! 今度は用心棒なんか連れてきたのかぁ!?」

不健康そうな野盗の中で、一際不健康そうだけど元気な男が大声を発する。
目の下には真っ黒い隈、髪は金と黒が歪に混ざり合った独特の色味で、体格は筋肉質で上背もある。背中に獰猛そうな蜂が描かれた革の上着を纏い、蜂の目の部分が恐ろしく赤い。
不健康そうなのに元気、というのは相反するように聞こえるけれど、決して相容れない性質ではない。先生なんか、どちらかというと物静かで元気そうではないのに、信じられないくらい健康だ。健康過ぎてもう10年以上風邪を引いたことがないと言っていた。
ということは、目の前の大野盗が元気なのもおかしくないのだ。
それだけじゃない、男には暴力性だけではない雰囲気もある。おそらくこの男が、野盗たちの頭目アビスポン・コルメーナだろう。

「女に頼るとは落ちるとこまで落ちたなあ、エバーソン家のお坊ちゃん!」
「黙れ! 貴様のせいで父は死に、家族は行方不明! 俺はお前に復讐するために狩狼官になったんだ!」
なんか始まった。前に先生と見に行ったハズレ映画でこういうのあったなあ、などと考えながら残りの野盗を捕まえては蹴り、崩しては殴りしてふたりの口論に聞き耳を立てる。
もちろん途中で話が終わらないように、要所要所で『なるほど!』とか『それで?』とか『どういうこと?』と合いの手を入れながら。
その間も野盗に蛇腹を絡みつかせて引き倒したりは欠かさずにだ。


ベオウルフ少年の家系は王都の小貴族のひとつで、高貴なるものの務めと荒れ果てた王都に残って治安維持や町の復興に尽力していた。
そんなある日、少年の屋敷が襲撃に遭った。
それを手招きしたのが、かつてエバーソン家の従僕でありながら主人に愛想を尽かし、野盗へと身を崩したアビスポンと彼を拾った武装集団、蜂の巣。
運命はそこで大きく分かれる。エバーソン家は当主が亡くなり、母と妹は人買いに売られ、兄たちは行方不明となり、少年は身寄りを失った。アビスポンは頭角を現し、その後は野盗の頭目まで上り詰めた。
少年は報復を誓いながら町を飛び出し、大陸中央の城塞都市ロッシュシュタインまで逃げ延びて、父の形見の銃という力を活かすために日々腕を磨き、滞在費が尽きたので復讐のために舞い戻ってきた。

なるほど、格闘が全然なのは銃の練習しかしてなかったからか。銃は的さえあれば腕を磨けるけど、格闘も短剣も相手がいなければ基礎的な部分を形成出来ない。

まあ今のご時勢、路地に落ちている古新聞や軍手程度にはよくある話だ。
狼の騎士団にもそういった事情で入ってくる元貴族や元商人は少なくない。もちろんなんとなくの就職先にと入団を希望する者もいれば、放蕩息子を鍛え直すためにと預けられる場合もある。
私は両親が団員だったから、ちょっとだけ珍しい部類だ。

それにしてもエバーソン家、どこかで聞いたことがあるような……あっ。

「銃がなければ全然ですなあ、坊ちゃま!」
ベオウルフ少年が体格差を利用されて馬乗りで抑え込まれ、上からボコボコと殴りつけられている。ひ弱そうな少年が大柄の男に屈服させられるという、凌辱愛好家なら涎を垂らすような状況なのだろうけど、あいにく私にそんな趣味はないし、少年は完全に意識が飛んで白目を剥いている。
よし、少年、あとはお姉さんに任せなさい。

静かに蛇腹をアビスポンへと伸ばす。しかし彼はそれを読んでいたのか、非道にも少年を盾にして蛇腹を巻きつかせたのだ。おまけに蛇腹の上から革の上着を被せて、縛り上げて蛇腹の動きを封じてしまったのだ。
なんて卑怯な男だ、人間を盾にするなんて信じられない。

「この卑怯者め!」
「お前も散々やってただろうが!」

ぐうの音も出ないとはこのことだ。
強引に蛇腹を解けばベオウルフ、もとい足手まとい少年に過剰に怪我を負わせてしまう。それはそれで構わないのだけど、どのみち蛇腹を解く、革を弾き飛ばすで二手ほど無駄にしてしまうので望ましくない。
その上、アビスポンは人間の盾を構えながら、もう片方の手で太い針のような三角錘状の棘を生やした金属製の太い棒を振りかざしている。

躊躇していると一気に形勢逆転の可能性もある。
となると、私の取るべき選択肢はひとつだ。

私は腰に提げたもう一振りの長物の布を取り払い、左手で鞘を握り、右手を柄に近づけ、一気に獲物へと距離を詰めた。
駆ける勢いを上半身に伝えて、上半身を捻って右腕に遠心力を加えて振り回し、金属棒の柄の部分、握るために細く造られた重い金属の塊を支えるには頼りなくも感じる箇所を一気に斬り飛ばす。
刃を握る手を返し、切っ先の重量を活かして叩きつけるように、アビスポンの両腕へと振り下ろすと、するりと喫茶店のケーキのスポンジでも割るかのように太い腕が地面へと落ちる。


【オオワザモノ】
先生から譲り受けた東大陸製の刀という伝統的な武器。何度も刃毀れを起こす程に酷使されたため、数年前により硬く強い金属を混ぜ合わせて鍛え直し、その際に柄や束などの拵えは騎士団仕様に変更された。
切れ味は見ての通り、肉も骨もするりと落とす。


ホラー映画に出てくる生娘のような悲鳴を上げながらのたうち回る野盗の頭目を見下ろし、さあ少年よ復讐を果たすのだ、とベオウルフに目線を向けると、私のお膳立ても空しく白目を剥いたまま天を仰いでいる。
「少年、少年! しょーおーねーん!」
べちべちと頬を叩いてみても返事がない、まるで屍のようだ。
起きるまで待ってもいいけど、その間にアビスポンは失血で命を落とすだろう。なんせ血を止めようにも腕がないのだから。
「しょうがない、とどめ差しちゃうか」
サクッと音を立てて刀を突き立てると、ドパッと頭蓋から穴という穴から血を噴き出す。この流れ落ちる血液は魂そのものであり、その流れる量が多いほどに罪深い。それが例え悪党であってもだ。

「またひとつ、罪深いものを斬ってしまった……」
「うるさい」
独りごちた私の頭を、ペチンとひんやりとした指の感触が叩いてくる。
びっくりして振り返ると、私の所属する狼の騎士団の、今回の遠征の指揮官でもある隊長が呆れた顔で立っている。

アリス・ノートリア。
狼の騎士団第8遠征小隊、小隊長。39歳、独身。
ノルシュトロムで唯一の旧王都直轄の、現在は魔道士組合運営の魔道士育成機関メフィストフェレス魔道学院を首席で卒業した秀才で、『頭は常に冷静であれ、心は常に冷徹であれ』と徹底し、実直な努力を積み重ねて冷静な判断力と魔道の腕を磨いた氷の才女。
おまけに氷の彫像のような瑞々しさと美しさを持った美女ときた。
余談だけど、長く付き合っている恋人はいるものの、個人主義者であるために未だに独身。

「隊長! 無事に蜂の巣を壊滅させました!」
「させましたじゃない。列車から降りたかと思ったら、急にどこかに行って、なんだか騒がしいと様子を見に来てみたら……」
アリス隊長が呆れたように細く長い溜息を吐き、私の頭をがしっと掴み、
「君の先生には報告させてもらうからね」
「それだけは! それだけは勘弁して! ばあさん直伝地獄の訓練コースだけは! ばあさん直伝地獄の訓練コース血反吐と臓腑捏ね繰り回しリミックスだけは!」
先生の訓練には色んな意味でやさしいコースとか格闘術特化コースとか機械戦闘コースといった、用途や受講者の能力による様々な分類があるのだけど、その中でも最強最悪なのが通称ばあさん直伝地獄の訓練コース血反吐と臓腑捏ね繰り回しリミックスだ。
その名の通り、血反吐さえも枯れて何も出なくなるまで鍛え上げられる過酷な訓練で、1回試しに受けてみた正規の騎士団員が幼児退行するくらい追い込まれていた。私も罰として受けさせられた時は、1週間はまともに立てない程に消耗させられたのだ。
あれだけは絶対に嫌だ。絶対に嫌なのだ。

「こら、子犬みたいな目をしながら抱き着くんじゃない。ところで、そこの少年は誰?」
「あー、ベオウルフ・エバーソン少年、本人曰く狩狼官です」
アリス隊長の眉がピクリと動き、少年の目を覚まさせるように殴られた箇所に手を当てて、冷気を流して腫れを引かせる。
少年は突如として触れられた氷のような冷たさに驚いて目を開き、即座に上体を起こして両手を顔の前に持ち上げて、アビスポンへと意識と体の軸を向ける。
「え? 死んでる?」
「ごめん、君が起きないから代わりにやっといた」
私は少年に対して申し訳なさと余計なことをした若干の罪悪感から、はにかむように微笑んでみせる。もちろん形だけの動作だ、でも形だけでも誠意を示していた方がいいではないか。

「なにを笑ってるの?」
「隊長、蜂の巣はハニカム構造っていうじゃないですか……あだだだだだ! 待って! 本気で掴むの無し!」

隊長には私なりの誠意は伝わらず、頭を割られるんじゃないかって勢いで、思い切りこめかみに指を食いこまれたのだった。


・・・・・・


可愛い子には旅をさせろ、なんて昔の人は言ったけれど、旅先で何かあったらどう責任を取るつもりなのか。
私たちを乗せた列車が揺れる。私たちというのは、こめかみの鈍痛が収まらない私と、その犯人のアリス隊長とついでにベオウルフ少年と、おまけで隊長の指揮下の狼の騎士団が数名。

「そういえば少年、なんで狩狼官になったの?」
「俺の家系が元々狩狼官の家系だったからだが」


エバーソン家はかつて有能な狩狼官を何人も輩出する名門だった。
それが300年以上前、【狼を繋ぐ紐】の異名を持つ当時の大陸最高峰の狩狼官が突如として出奔し、そのままどこぞの辺境の村娘の家に婿入りしてしまい、エバーソン家の最高峰の技術のすべてが村娘の家系ブランシェット家に受け継がれ、代々の当主が狩狼官として歴史に名を刻むこととなった。
一方、最高傑作を失ったエバーソン家はそこそこ優秀な弟が家督を継いだものの、人を育てる能力に欠けていたのか元々狩狼官の仕事への熱意を失っていたのか、後継者の育成に失敗。
追い打ちをかけるように代々のブランシェット家の娘が有能であったために狩狼官の稼業から徐々に身を引き、その結果多くの技術が失われてしまったのだ。

少年が銃の腕だけは有能なのは、貴族の嗜みとして鷹狩りや野牛狩りが流行っていたために銃器の技術だけ残ったから。


「なるほど。道理で聞き覚えがある名前だなーって思ったわけだ」
少年が怪訝そうな顔をするので、早急に本題に入ってあげようと人差し指をピンと立てる。

「少年、ブランシェット家の人間に会ってみたい?」
「はぁ?」

まったく予期していなかった提案に目を丸くする少年に、私はふふんと物を含むような笑みを浮かべてみせた。


ちなみに少年は狼の騎士団に入団して、一緒に先生の訓練を受けることになるのだけど、それはまた別のお話だ。


(おしまい)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、最終回です。
最終回には後日談を持ってくるのが通例ですが、後日談の時間が飛びすぎなのよと思わなくもないです。

先生が誰なのかは大体察しが付くと思います。
マズル・グレイプニルが誰の娘なのかは想像にお任せしますし、誰の子どもでもいけそうな感じにしてみました。なんだったら出てきてない者の子かもしれませんし、そうでないかもしれません。

ちなみにアリスの年齢から逆算したら、本編終了後のだいたい20年後のお話です。
なのでウルは37歳ですね。まだまだ働かされ盛りです。


ご愛読ありがとうございました。
しばらくは短編を書こうかななどと思ってるです。

ではまた近いうちに。