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短編小説「酒と泪と博打と平手打ち」

昔から欲深くてだらしない人間だった。
算術も仕事もさっぱりだったが、剣と喧嘩の才はそれなりにあったようで、名門の剣術道場で五本指に数えられる腕にもなったものの、酒癖が悪くて破門になった。
行く当てもないから博徒の用心棒になったら、幸いなことに酒も博打もやりたい放題だった。
その代わり揉め事が起きたら戦った。戦って戦って戦いまくって、最後は笹川の親分に加勢して80人と斬り合った。
8人を斬ったところで刀が折れちまったが、まだ折れた刃が残ってるし、腕も足もある。手足もなくなったら喉笛噛み千切ってやればいい。
歯を剥き出しにして口を開けたら首を刎ねられちまって、俺の魂みたいなものと30年ほど連れ添った体は、飛んだ頭と倒れた胴みたいに別れちまって、そのまま川に落ちちまった。

畜生め、俺はもっと生き足りねえ。博打も酒も全然やり足りねえ。
なんもかんも足りねえんだ。


・・-・- --- ・-・-・


昔から理由もなく虐められてきた。
勉強も体育もさっぱりだったから? 気が弱くて体も小さかったから? 教室のどこにも居場所がないのに学校には行けって
怒られるから、保健室で過ごすようになった。
勉強に全くついていけなくなったら、いよいよ家にも居場所がなくなった。
部屋にも引き籠らせてもらえないから、泣いて吐いて逃げまくって、最後は虐めてきた奴らに見つかって川に落とされた。
こんな人生もう嫌だ。学校も親もみんな嫌いだ。なにもかも嫌だ。
そう思いながら溺れ死んだら、川の底からどす黒い化け物みたいな赤い目玉をぎょろっとさせた魚が現れて、こう言った。


「だったら俺にその体を寄越せ」


・-・-- ・-・-・ ・---・ ・-


「冷てえっ……!」

気がついたら川に落ちてたし、全身ずぶ濡れだ。
ものすごく長い夢を見ていたような気もするし、ついさっき首を刎ねられたような名残もある。よくわからんけど、とにかく命はあるようだ。

にしてもだ。
なんか随分と町の様子が変わってしまってて、地面は土じゃないし、建物もコンクリートとかいうので出来てる。川の向こうでは車っていう鉄の塊が走ってるし、道に沿って妙な柱が何本も並んでる。
俺が知ってるこの辺は何にもない草っぱらだったはずだが、不思議とそんなに驚きはないし、むしろ驚きがないことに驚いてる。
変わってるのは町の様子だけじゃない。着ているものも着流しじゃないし、なんかぴたっとしてるし、腕もやたらと細い。

近くに便所があったから小便でも済ませるかと用を足したら、本来あるべきものがないし、鏡に映っていたのは生白い顔をした、片方の目玉が妙に赤く、目の周りに大きな傷がある小娘だ。
「誰だ、この弱そうな小娘? あ? もしかして俺か?」

なるほど、どうやら俺は女に生まれ変わったらしい。
そうかー、女かー……。
「まあ命があるだけ儲けもんだな」
なっちまったものはしょうがない。とりあえず今どうにかすべきは、替えの服と飯と酒だ。


便所から出て、再び町の様子を見回してみる。どこがどこだかさっぱりだ。
この様子だと笹川の親分がいるとは思えないし、服を探っても金らしきものがない。
となると泥棒するしかないわけだが、俺は金は好きだが泥棒は嫌いだ。
手癖の悪いスリなんか何人ぶちのめしたか覚えてないが、あいつらは正々堂々としてねえからダメだ。
金が欲しかったら、もっと正々堂々と悪い奴から奪うべきだ。
都合よくぶちのめしても心が痛まない悪い奴でも出てきてくれないものか、と考えていると、少し驚いた顔をした見るからに頭の悪そうな女が近づいてきた。

「なんだ、おめー。まだ生きてたのかよ」

そう話しかけてきたのは、耳になんかじゃらじゃらと飾りを付けた、頭が茶色い小娘だ。どうやら俺の知り合いのようだが、俺はこんな小娘は知らんし、まるで見覚えもない。いや、あるような気もするが、頭に靄がかかってるようにどうにも思い出せない。
小娘はぐじゃぐじゃと小汚い言葉を垂れ流しながら、俺も周りをうろうろと歩き、いきなり足蹴にしてくるではないか。
なるほどなるほど。こいつが誰だかわからんけど、喧嘩を売ってきているわけだ。

売られたものは仕方ない。
右手で胸倉を掴んできたところを、外から左の平手で耳のあたりを思い切り叩く。
博徒の喧嘩は即時決着を旨とする。だらだらと胸倉掴むような真似はしない。そんな間抜けは、どうぞ旦那のお好きなように殴ってくだせえ、って言ってるようなものだ。
頭を下げたところを髪を掴んで膝で蹴り上げ、そのまま地面に倒したら馬乗りになって握った拳の小指側の面で鉄槌打ち。これで気を失うまで顔を叩き続ける。
10かそこら叩いたところで『やめて』と聞こえた気がしたので、なんだまだ意識があるのかとさらに叩き続けると、またも『やめて』と聞こえるが、あたりに人はいない。

『もうやめてって言ってるでしょ!』

俺に喧嘩を売ってきた小娘は、鼻と前歯を折られて完全に気を失ってる。あたりに他に人はいない。
ということは、今聞こえている女の声は俺の頭の中から響いている、そういうことのようだ。まだ酒に酔ってもないのに奇妙なことも起こるもんだ。

「さっきからやめろやめろとやかましいが、お前は誰だ?」
『そういうあなたこそ誰なの! なんで私の体を動かしてるの!?』

おおう、頭の中で会話が出来るぞ。しかもこの女、この体は自分のものだと言い張りやがる。しかし今は俺の体だ。俺のものは俺のものだ。
が、俺も聞く耳持たないほど道理の通らぬならず者でもない。ちょっと話くらいは聞いてやろうじゃないか。

・・-・ ・・- -・ ・・ ・-・-・

「あなたは誰だ、と問うたよな。俺は平手造酒(ひらてみき)、北辰一刀流の千葉周作先生の下で剣を学んだが、わけあって流浪の末に笹川繁蔵親分の世話になっていた用心棒でございやす。気がついたら女に生まれ変わっていて、そこの小娘に喧嘩を売られたから買わせてもらいやした」
腰を落として仁義を切って、渡世の挨拶で名乗りを上げる。

『私は上々島華子(しじやはなこ)』
「おう。で、それだけか?」
『だって別に言うほどのことは無いし』

言うほどのことは無いのか。無いと言われれば仕方ないが、しかし改めて名乗り名乗られてみてわかってきたことがある。
この華子とかいう女がこの体の持ち主らしいことと、さっぱり覚えのない記憶が少しずつだが靄が晴れてきたということ。

今は令和という時代で、俺が笹川の親分に世話になっていた頃よりも随分と年月が経っていること。
華子が口に出すのもはばかられる外道な虐めを受けたこと、最後は川に落とされたこと。
そして死んでもいいと思ったら、なぜか俺が体を乗っ取っていたこと。

先ほどの耳にじゃらじゃらと飾りを付けた女は、華子を酷く虐めていた相手のひとりだということだ。

ならば加減もいらんし、容赦も必要なかろう。
俺は喧嘩を再開して、耳の飾りを引きちぎり、折れ曲がった鼻に爪先での蹴りを喰らわせる。
『ちょっと、なにしてるの?』
「なにって、とどめを刺すに決まってんだろ? この小娘はお前の命を奪おうとしたんだ、てことは、こうして命を奪われても構わんと腹に決めてやがるのさ。子犬のようにじゃれてくるなら、俺だって甘噛みのひとつもしてやらんでもねえが、命のやり取りを望んで向かってくるなら、命を奪ってやるのが道理ってもんだ」
『でも、そんなことしたら人殺しになるでしょ』
「それのなにが問題なんだ?」
まったく、この時代の小娘はわけのわからんことを言うものだ。

『警察に捕まったら家に帰れなくなるし、死刑になるかもしれないでしょ』
「そいつは大問題だな。仕方ねえ、俺の流儀じゃないが、これくらいで許してやるか」
そういうことは早く教えてくれないと困る。
せっかく生き返ったのに、博打もせずに酒も飲まずに死んでたまるか。そう考えると無性に酒と博打が恋しくなってきたので、俺は倒れている小娘の財布から1万円札と3000円を抜き取り、小銭で578円。これだけあれば酒も買えるし、博打も出来るだろう。

俺が陽気に鼻歌なんぞ歌っていると、
『なんでお金とってるのよ!』
と華子がまたしても難癖を付けてくる。
「いいか、勝負ってのは勝ったほうが全部貰うし、負けたらなにもかも失うってもんだ」
命を助けてやったんだ、文句を言われる筋合いはない。

-・-・・ -・ ・・・-

コンビニで酒を買おうとしたら何故か売ってくれなかったので、仕方なく華子の家に帰り、熱い風呂を浴びて飯を食った。
「御母堂、ごはんのおかわりを頂いてもよろしいか?」
『なんで勝手にごはんまで食べてるのよ』
「お前なあ、そもそも痩せすぎなんだよ。小さいなら小さいなりに飯を食って走れ、体を鍛えろ。こんな体じゃ、なにかあっても満足に戦えんだろうが」
御母堂にはひとりでごちゃごちゃと喋っているように見えているらしく、奇怪なものを見る目を向けてくるが、まあそのうち慣れてくれるだろう。

「コロッケもおかわりを頂いてもよろしいか?」
しかも娘が帰ってきたと思ったら、やけに大食いになっているので、そこも驚いているようだ。
俺も遠慮のひとつも見せたいところだが、この時代の飯は涙が出そうになるほど旨い。これに遠慮なんてしたら罰が当たってしまう。

腹いっぱいになったので、居間にあるソファーに座ってテレビを見る。これも無益にだらだらしたいわけではない、今の時代がどういうものか俺なりに理解するために必要なのだ、という方便だ。
『ねえ、あんた』
「なんだ? 俺は今、有閑マダムとカンガルーが殴り合うのを見るので忙しいんだが?」
テレビの画面では、週に7回エステに通ってるらしい金持ちの女とオーストラリアで7人を撲殺したと噂のカンガルーが殴り合っている。今ちょうどカンガルーがボディーブローを入れたところだ。
『まさか学校に行くとか言わないよね?』
「あ? もちろん行くが?」

別に勉強などするつもりはない。
しかしこの時代、まだ未成年のこの体では居酒屋にも行けないし、賭場にも出入りできない。駅前なんて馬鹿みたいにでかいパチンコ屋があり、商店街には雀荘があり、街外れには競馬場もあるというのに、そのいずれの場所も出入りできないのだ。
となると、どこで博打をすればいいのか、という話になってくる。大人の遊興施設に入れないなら、ガキの世界で博打を楽しむしかない。
で、丁度よく適度に金を持っているガキが集まるのが学校だ。
「ガキでもさすがに丁半くらい知ってるだろ」
『馬鹿なんじゃないの?』
失礼な。馬鹿が勝てるほど丁半は甘くない、あれはあれで単純なように見えて奥が深いし、いろいろと技もあるのだ。
テレビの画面では有閑マダムがカンガルーに向かって回し蹴りを繰り出している。これも中々の技だ。

『とにかく絶対行くのだけは嫌!』
「うるせえなあ。とにかく明日は学校とやらに行くぞ」
そう言い返すと、御母堂がなにやら瞳を潤ませてこちらを見てくる。
「華子、学校に行ってくれるの?」
そんな泣くほどのことか、とも思うが、御母堂は涙を流すほど嬉しいらしい。そこまで期待されたら悪い気はしない。立派に明日は大勝ちして、手持ちの1万円3000円、5倍10倍に増やしてやろうじゃないか。
テレビの画面では有閑マダムがカンガルーの首に飛びついて、背後から絞め落したところで決着がついた。

・-・・ ・・ ---- ・・-

「では、行ってきます。御母堂、御尊父、晩飯はトンカツでお願いしたい」

朝飯と朝風呂を済ませた俺は、御母堂と御尊父にそう挨拶して、学校に向かうことにした。
ちなみに制服はどうにも窮屈で落ち着かないので、上下ジャージに足元はスニーカー。腰が寂しいので、川ベリに落ちてた鉄パイプをぶら提げて重りの代わりにしている。
ほんとは着流しに草履がいいのだが、この時代にそんなものは滅多に着ないらしく、家にも無かったので、今日の勝ち分で買ってもらうとしよう。

『学校いきたくない』

華子は朝からこれしか言わない。とにかく学校という場所が嫌なようだ。
気持ちはわからんでもない。あの頃にも寺子屋があったがガキから17、8の小僧まで意外と幅は広かった、しかし学校というものは同じ年齢ばかりを集めていて、なんともいえない気味の悪さがある。そんな場所、ガキの世界で威張りくさりたい勘違いした輩も出てきて当然だ。

「安心しろよ。絡まれたら返り討ちにしてやればいいんだ」


学校の教室の扉を開くと、俺の顔を見るなりざわざわと騒々しい。
教室の中には15人ほどの小僧と小娘がいて、窓際には見覚えのある女がふたり座っている。しっかりと思い出せる、華子を虐めていた連中の中にいた。
俺としては用はないが、向こうは因縁つけたくて堪らない、そんな面構えだ。
「おい。えーと、悪い、名前なんだっけ?」
指さして名前を教えてもらおうとすると、昨日の奴のようにごちゃごちゃと口汚く罵ってくるので、しょうがないのでひとりは正面から正拳で鼻っ柱をぶち折っておく。
『なんでいきなり殴るのよ!』
「名前聞いてんだろ、日本語わかんねえのか?」
名前聞いただけで文句言われるなら、もう喧嘩しかないだろうよ。
それにしてもこの時代のガキ、いつぞや道場に乗り込んできた国定忠治って狂犬より話が通じないが、この学校こんなので大丈夫か?

もうひとりの女がスマホを取り出して、俺の方に向けて、
「さっきの撮ったから! ツイッターとインスタで晒してやるから!」
と訳のわからないことを言い出した。
ツイッター? インスタ? なんだそれ?
『SNSよ』
「いや、だからなんだよそれ?」
『だから、えーと、ネットにある』
熱湯? 江戸の風呂屋のことか?
華子の説明はさっぱりわからんが、要するにそういう場所があるわけだ。
で、それに晒したらなんなのかさっぱりわからんけど、目の前のスマホ女は晒すと脅せばこの場を切り抜けられると思っているのか、パシャパシャと写真を撮りながら、許さないだの謝っても遅いだのと喚いている。
「だから、なんだそれって聞いてんだろうが」
俺はスマホ女の膝を蹴り抜いて、体勢を崩して倒れるところを思い切り蹴飛ばした。

何度も言うが、博徒の喧嘩は先手必勝・即時決着を旨としている。
喧嘩が始まっても、ごちゃごちゃ能書き垂れる奴はだいたい死ぬ。口だけで乗り切ろうとする奴もだいたい死ぬ。後でどうこうと脅しをかけるなんてのは悪手中の悪手、最悪手だ。
後ろにどんなでかい看板背負っていようと、鉄火場ではそいつもひとりの人間だ。突き詰めたら1対1の生き物同士だ。
ダボハゼみたいな間抜け面してるから、こういう馬鹿みたいな目に遭うわけだ。

顔を押さえて床に転がるスマホ女ともうひとりを何発か蹴り回して、勝利の証として財布の金は当然もらっておいて、遠間から様子を見ている小僧共に声をかける。
「あー、朝から騒がしくして失礼したな。ところでお前らの中に、丁半知ってるやついないか? チョボイチでも追重迦烏でもいいぞ。なんか知ってるだろ? ほら、机集めろ。博打やるぞ、博打」
『やるわけないでしょ!』
笑顔でなるべく親しみを込めて語りかけたが、頭がおかしいと思われたのか、小僧共は教室の外に出ていって、残ったのは俺と倒れているふたりだけ。
これでは博打をしようにも相手がいないので、今日の勝ち分はふたりから巻き上げた7800円で済ませることにして、早々と学校を立ち去り、家に帰って冷蔵庫の中にあったコーラを飲んで、昼間から寿司を配達してもらった。

酒も頼んだが、顔を見るなり酒は断られた。どうやら宅配でも駄目なようだ。

慌てて帰ってきた御母堂と御尊父に叱られたのは、それから1時間ほど後の出来事だ。

・---・ ・・ ・-・-・ -・・・- ・--・

学校に行き、御母堂と御尊父の話を聞いて、なるほど理解した。

俺が平穏無事に学校で過ごすには、やはり華子を虐めていた連中が邪魔なわけだ。あいつらがいる限り、教室の空気は変な具合で博打どころではない、話そうにも言葉が通じないので文字通り話にならない。
そして教師という連中、華子が虐められていた頃には見て見ぬふりをしていたくせに、いざ教室で喧嘩が起きると顔色を変えて解決に乗り出そうという。
まったくもってふざけた奴らだ。

「というわけで、学校で暴れると御母堂に迷惑がかかるから、外で潰していくことにする」
『どういうわけでそんな発想になるのよ』

ベッドに寝転がってスマホでツイッターを開くと、俺が今朝のふたりを蹴り回している場面が撮られていて、3万リツイートほどされている。
「これがバズるってやつだな。で、これでなんかあんのか?」
『だって、嫌でしょ、こんなのみんなに見られるの』
そういうものか? この時代はよくわからん、俺のいた時代なんて強さを知らしめることで飯の種になってたから、むしろ目立てば目立つほどよかったものだ。
悪名ならまだしも勇名なら轟かせるだけ轟かせたほうがいいだろうに。

「よし、こいつの家が近いから、まずこいつにしよう」
スマホで連中の名前を眺めながら、はっきりと家の場所が思い出せる佐済勇太(すけなりゆうた)という男を選ぶ。華子の幼馴染で、かつては近所ということもあり親同士の付き合いもあったが、段々と疎遠になりいつしか虐める側に回った男だ。
『待ってよ。もうやめようよ』
「別にやめても構わんけど、やめたところでどうする? 教室で絡まれたら俺は容赦なくぶちのめすし、御母堂も家に引きこもるのは許さんのだろう? だったらお前を虐めてきた連中か、引きこもらせない御母堂か、どっちか潰すしかないが、俺は別にどちらでも構わんぞ」
旨い飯が食べれなくなるのは残念だが、俺は俺でこの体で生きねばならん。道端に邪魔する石があったら蹴って退かさねばならんわけだ。
俺は俺の生きたいように生きる、邪魔などされたくない。
『……』
「そんなに怒るな。そうだ、お前と賭けをしてやろう。佐済という男、もし俺に向かって頭を下げてこれまでのことを詫びを入れたら、それに免じて他の連中も全員許してやろう、ただしこれまでの3人のようにごちゃごちゃ抜かしてくるなら潰す。どうだ、悪くない賭けだろう?」
華子にそう提案をして、俺は腰に鉄パイプを提げて、こっそりと部屋の窓から抜け出した。


予想通りというか、結果は最初から分かっていたことだ。
俺の目の前に、海老ぞりの姿勢で天井から吊るされた佐済がいる。
あえて言うまでもないが、博徒の喧嘩は即時決着を旨としている。頭、鼻、喉、膝、狙う場所などいくらでもあるが、相手が男であれば当然金的一択だ。
最初に華子に詫びるつもりはあるか問うたが、佐済は詫びも入れず、こちらを女だと侮って押し倒そうとしてきた。大股開くものだから、当然金的を蹴らないわけにはいかない。
思い切り脛で下から蹴り上げ、そのまま踵で前から叩き割り、腰を持ち上げて倒れたところをさらに後ろから蹴り上げた。
あとは後ろ手に両手両足を縛り上げて、逃げられないように天井から吊るして一丁あがり。
「一応野郎だからな、動かれても面倒だ」

「……てめぇ……」
佐済がくぐもった声を上げながら睨んでくる。まだ敵意を剥き出しに出来る辺りは、卑怯者の糞野郎でも一応は男だ。
「てめぇ……しじや……じゃ……ねえだろ……」
「おうよ、俺の名は平手造酒。ちょっと前までは笹川の親分のところで用心棒をしていたが、今はわけあって腐った連中の金玉を叩いて回ってる、そんなしがない渡世人だ」
折角名乗ってやったのに泡拭いて白目向いてやがる。あんだけ玉を叩けばしょうがないか。

俺は佐済のスマホを引っ手繰り、今の浮かぶ海老みたいな状態の前に立って、赤い方の目の横に指2本を並べてピースサインを作り、
「どーもー、こっちはサッカーゴールドカップでボールになってくれた佐済勇太君でーす。金玉をハットトリックされたので、こんな感じでーす。4年後にまた会いましょー」
精一杯女っ気のある声で佐済を紹介して、撮った動画をツイッターとインスタに公開する。
「お前らは晒されるのがかなり効くんだったよな」
『あんた、いつサッカーなんて知ったの』
「昨日ユーチューブで見た」
部屋を立ち去り際、肘鉄で4点目を入れておいて、佐済家を後にした。

「ところでお前、あんなにやめようやめようって言ってたのに、佐済を吊るしてる時は1度も止めなかったな」
『なんでだろ? 押し倒されそうになった時に、こんな奴ぶっ殺されたらいいのにって思ったからかな』
「今からとどめ刺しに戻るか。蹴った感じ、まだ竿は無事だ」
『そこまでしなくていいよ』


それから残り5人のうち4人は、教室で起こった話を聞いたのか、それとも海老ぞりで吊るされた仲間の動画を見たのか、家を飛び出して逃げたようで、代わりに頭を下げて許しを請うた親が3人、逆上して玉と頭を蹴り上げられたのが1人、詫び料として合計150万円ほどの儲けとなった。
「こんなに儲かるなら、最初から親を狙うってのも手だったな」
とはいえ賭けとしては無効だ。これはあくまで詫び料、貰ったからには見つけても手荒なことはしないが、それはそれ、これはこれだ。

「しかし、これだけ持ってても博打が出来ないんだから、令和って時代はどうかしてるな」
財布に入りきらない分厚さの札束をジャージのポケットに突っ込み、日の暮れかかった商店街をたらたらと歩いていると、賑やかな囃子を鳴らしながら広場で祭りをしていた。
「おい、祭りだ。行くぞ行くぞ」
『あんた、祭りも好きなの?』
「当たり前だ、酒と博打と煙草と祭りと女、これは博徒の五本指だ」
そう言いながら祭りに飛び込み、屋台で飯を食い、酒はやはり断られて、150万円を募金箱に全部突っ込んで、さんざん遊び倒して家に帰って大いびきをかきながら眠った。

『なんで全部募金したのよ』
「困ったやつを助けてやるから、俺たちみたいなもんでも、お天道様の下を歩けるんだろうが」


-・・・ ・・ ・・・- ・・-・・


あれから随分と月日が経った。
最初の1週間は、勉強しなさいだのテレビを見るのはやめなさいだのと口酸っぱく言っていた御母堂と御尊父だったが、1ヶ月も経つ頃には何も言わなくなった。
天地がひっくり返ったような娘の変化にも、最初は驚きこそしたものの、やがて興味も失せたのか一切触れなくなり、試しに髪を赤く染めてみたが一瞥しただけだった。
死ぬまで助けようとすらしないのも、死にそうなのに引き籠らせないのも納得できる。要するにめんどくさがり屋だ。めんどくさいしか売り物のねえくだらねえ店のしょうもねえ卸問屋だ。

「背中に不動明王とか彫っても何も言わなそうだな」
『絶対やめてよ。髪だって嫌だったんだから』
「やらねえよ」

俺はすっかり今の暮らしに慣れてしまって、華子は相変わらず口やかましいが、ふたりで喋りながら過ごすのも当たり前になってきた。学校にも行かず、勉強もせず、家でだらだら映画を見てゲームをして、朝は体が鈍らないように1時間ほど走って、2時間ほど木刀を振ってサンドバッグを殴る。
枝みたいに細かった体も、最近はよく食べてよく走ってよく殴ってるおかげか、ちょっとずつ肉もついてきた。
平和で揉め事もなく、生温い湯に浸かったような悪くない暮らしだ。
ただしこの暮らしが面白いか面白くないかでいえば、面白いわけじゃない。

酒もまだ1滴も飲めてねえし、博打も出来てねえ。華子との賭けも、最後のひとりが逃げたままで面白くねえ。
あの時に生き足りねえと思ったことが、結局なにも出来ずにいる。

『いいじゃんか、3年経てばギャンブルは出来るようになるんだから』
「3年も待てねえよ。3年飯抜きとか死んじまうだろ、博打も3年出来なかったら人間死んじまうぞ」
『死なねーよ、馬鹿じゃね―の』
こんな軽口を叩くのもすっかり日常茶飯事だ。
最近は段々と華子の性格が俺寄りになってきて、たまにどっちがどっちかわからなくなる時がある。
とはいえ、どっちも1度は死んだ身だ、命があるだけ運がいい。この強運を賭場で振るっていたら、城を買えるくらい馬鹿勝ち出来ていたかもしれない。
そうなっていたら笹川の親分に加勢した時も、こっちも手勢を揃えれたはずだ。80人に斬りかかるのは面白かったが、結果が良くなかった。

いや、こうやって蘇ったのだから結果は上々、やはり俺の博打は間違いではなかったのか。
「暇だとどうでもいいことばかり考えるな」
『じゃあ、学校でも行けば』
「嫌だ。俺は居酒屋か賭場に行きてえんだ」
例えばこいつの選択肢は合ってたのか? こいつは川に落ちて死ぬことで俺に体を乗っ取られ、自由を失った代わりに虐めてきた相手を倒すことで苦痛はなくなった。そういう意味では、やはり結果は上々なのか。

顔をばしゃばしゃと洗う。
どうでもいいことを考え過ぎて、頭に靄がかかっているような気がする。
鏡に映っている顔は、片目が赤く、もう片方の瞳も赤みがかった黒い色に変わってきている。蘇ってから新しく覚えたことは忘れていないが、俺がまだ居ない頃の華子の記憶はかなり朧気だ。

瞼を指で持ち上げて赤黒い瞳を見つめていると、玄関のチャイムが鳴った。
「朝っぱらから誰だ?」
ドアを開けると、見覚えのある顔の小娘がいた。
「こいつ、どこかで見た覚えがあるな」
『五百小竹紗千(ゆざささち)だよ』
五百小竹紗千、華子の小学校からの付き合いで、元々は同じ虐められる側の人間だったらしい。ある日を境に虐める側に回って、自分だけ助かろうとした女だ。
まったく、この時代はどうなってやがるんだ? そんなに嫌なら包丁でもなんでも使って刺せばいいのに、自ら死のうとしたり外道に成り下がろうとしたり、俺にはさっぱりわからねえ。
「どいつもこいつも、どうしようもねえな」
俺がじろりと睨みつけると、五百小竹は怯えた様子でこっちに視線を向けたり外したりしている。つまり怯え散らかしているわけだ。
「それで虐めっ子が俺に何の用だ?」
俺が五百小竹に目を合わせた瞬間、すばやく頭を地面スレスレまで下げて、土下座の姿勢で叫ぶように言った。
「ごめんなさい! 許してください! だから殴らないで!」


五百小竹は今の今まで、それこそ昨日まで知り合いの家やビジネスホテルを逃げ続けていたが、いよいよ金がなくなって戻ってきたそうだ。逃げ続けていた理由は簡単で、帰ってきたら殺されると思っていたから。
その考えは遠からず当たっていて、まだこいつからもこいつの親からも落とし前をつけてないから、帰ってきたら詫び料でも貰おうと週に3回は走るついでに家の様子を見に行っていた。
親は出稼ぎに出てるのか単身赴任ってやつなのか知らないが、残念ながら出くわさなかったが、俺がこいつの家をちゃんと見張ってることは伝わっていたようだ。
そんな脅しもあってか、俺たちの目の前に無一文で現れたわけだが、
「どうする?」
『どうするって、前に謝ったら許すって賭けたよね』
賭けたけど、あれは結構前の賭けだ。別に許す許さないは俺にはどうでもいいが、そんな前の賭けの決着が今更ついたところで面白みがない。
「よし、こうしよう。お前、丁半くらい知ってるだろ? 博打するぞ、博打」
「丁半って?」
「サイコロ振って出目が偶数なら丁、奇数なら半だ。簡単だろ?」

テーブルの上に茶碗とサイコロをふたつ並べ、五百小竹に種も仕掛けもないことをしっかりと見せて、
「勝負は簡単だ。お前が丁か半か当てる、それだけだ。当たればタダで今までの一切合切水に流して許してやる、ただし外したら」
ドンと音を鳴らしてテーブルの上に包丁を突き立てる。
「腹を切ってもらう。お前は武士じゃないが、揃いも揃って相手の命を奪おうとしたんだ、だったら腹くらい切れるだろ」
『ちょっと! そこまでしなくていいでしょ!』
別にそこまでする必要もない、俺からしたら恨みも何もない相手だ。だが、気に入らない。金がなくなったから頭を下げて許してもらおう、なんて甘ったれた考えが気に入らない。それはつまり、こいつは逃げれる金さえあったら一生逃げて回るつもりだったわけだ。しかも殴られもせずに許してもらおうとする図々しさまで持ち合わせてるときた。

そんな甘い考えだから、こうして博打を吹っ掛けられるのだ。


茶碗にサイコロを転がして入れて、くるりと掌の上で1回転2回転、カラカラと音を立てながらさっと碗をテーブルに伏せる。

「さあ、さあさあさあさあさあ! 張った張った! 丁か半か! 丁か半か! どっちだ!?」
五百小竹に顔をぐっと近づけて、目を見開いて迫る。

「さあ、丁か半か!? さあ! さあさあさあさあ! 丁か半か!」
五百小竹は答えられない。
当たり前だ、こいつも他の連中も初めから命を張る覚悟なんて持っていないのだ。なのに他人の命を奪おうなんて図々しさだけは一丁前だ。

「さあ、どっちだ! 丁か半か!」
「ごめんなさい! 許してください!」
「駄目だ! サイはもう投げられた、博打に後戻りはねえ! 賭ける賭けないもねえ! 当てるか外すか、どっちかだ! さあ、選べ。丁か半! どっちだ!」
がくがくと震える五百小竹を睨みつけ、視線は外さず、何度も丁か半かと口上を繰り返す。

華子が許しても、地獄の閻魔が許しても、俺は逃がさねえ。ここは今や鉄火場だ。
鉄火場には鉄火場の決まりがある、勝って帰るか、負けて素寒貧で帰るか。

「……丁!」

「さあ、丁半出揃いました!」
泣きながら声を振り絞った五百小竹の前で、ゆっくりと茶碗を持ち上げる。
1の目のサイコロと、もうひとつのサイコロも1の目。
「ピンゾロの丁、お前さんの勝ちだ」
泣いてうずくまる五百小竹の腕を抱えて立たせて、びしゃびしゃになった尻を蹴飛ばしてドアから放り出して、誰もいなくなったテーブルの上の茶碗と
サイコロを手に取り、もう1度碗の中でサイを振る。
碗を開いて出てくるのはピンゾロの丁。
碗を重ねてもう1度開くと、そこに見えるは1・2の半。

「俺はこいつが得意で、ピンゾロをイカサマなしで何度でも出せる。で、サマを使えばサイコロの目も転がし放題、そういうわけよ。どっちを選ぼうと無傷で帰れたってわけだ。鉄火場の神様は博徒以外には優しいって相場で決まってる」

語りかけるが、響いてくるはずの返事がない。
「あぁ? どっか行っちまったのか?」


---・ ・・-- ---- ・・


「さあ、張った張った! ここで張らなきゃ一生の恥、男なら1円残らず大勝負に出やがれ!」

あれから3年と半年ほど、表の道を歩けないようなことや色んなことの落とし前、まあ色々あるにはあったが、こうして首が繋がったまま戸籍上は18歳になって、ようやく堂々と大手を振って博打を打てるようになった。
今では雀荘に競馬、競輪と賭けて回る毎日だ。仕事もカジノのディーラーだ。
たまに鉄火場らしい揉め事も起きるが、その都度割って入って鼻をへし折って、股間を蹴り上げて、膝の皿を割って、喉を突いてと大忙しだ。
その筋では赤目の用心棒としてそこそこ名の通るくらいにはなり、名前も上々島未来(しじやみき)に変えた。

体の持ち主は未だにいなくなったままだ。落とし前つけて心残りが無くなったのか、それとも博打の楽しさで俺と同じものになっちまったのか、それはわからないがいつかそのうち出てきそうな気もする。

ちなみに背が少しも伸びなかったので、酒を買おうとしても未だに騙せずだ。おかげであと2年は満足できねえんだから、まったくこの世はどうかしてやがる。


(おわり)

⚀⚁⚂⚃⚄⚅……🎲

短編書きました。
昔の人が今の時代に転生したら大変だろうなーって考えてたら、じゃあちょっと書いてみようってことで書きました。

テーマは博徒の喧嘩は即時決着、とりあえずこれだなーって。

平手造酒を選んだのは比較的若くして(30歳と30代説あり)死んだのと、生い立ちがさっぱり不明なこと、武芸者で強さに説得力を持てること、捕まって獄死や斬首になっていないけど非業の死を遂げた。以上の条件に当てはまる博徒に関係する人物、というので選びました。
名前も現代人っぽくて、女に転生しても違和感ないのもポイントです。

最後に、いじめよくない。あと酒も煙草も博打も適正年齢になってから。