見出し画像

小説「彼女は狼の腹を撫でる~第33話・少女と少年と真空飛び膝蹴り~」

春は恋の季節だ、なんて世間ではよく語られる。
厳しく冷たい肌を刺すような冬を終えて、段々と雪が溶けるように町の空気も柔らかくなって、道行く人たちの表情もぽかぽか陽気と共に和らいでいく。
おまけに新しい生活の始まりでもある。学生は学年が変わる時期だし、労働者の中にも新人が入ってくる時期だ。
つまり春は出会いの季節なわけでもあるので、そりゃあ恋のひとつやふたつも発生するだろう。

私にはこれといって縁のない話ではあるけれど。

私の名前はウルフリード・ブランシェット。16歳、狩狼官。ちょっと前まで失踪した母と実家から持ち出された狩狼道具を回収する旅をしていた。
今は愛狼のシャロ・ブランシェットを連れて毎朝毎夕の日課である散歩の真っ最中。この時間がなにより幸せなのは、たぶん世間一般の愛犬家はみんなそうだと思う。


△△△△△△


春は恋の季節だ、そしてその後1年の地位を決める時期だ。
春の陽気のどさくさに紛れて、巡ってくる出会いをしっかり獲得できるかどうかで、その後1年が薔薇色で過ごせるか灰色の曇天模様となるかは、まさに春に頑張れるかどうかにかかっている。
要するに彼女が出来るかどうかということだ。

そして今まさに目の前を、胴の薄さを除けば理想的なまでにかわいい女子が、妙にでっかい犬を散歩させているのだ。

僕の名前はエリオ・ガートランド。15歳、学生。この春からノルシュトロム公立第六高校へと進学する。成績は中の下、運動は下の中くらい。顔はごくごく平凡な、いわゆるパッとしない部類の男だ。
だから声を掛けられなくてそのまま見送ってしまっても、それはそれで仕方ないことだと思う。


✕✕✕✕✕✕


「ただいまー」
「ウルちゃん、悪いんだけどちょっと手伝ってくれない?」
シャロとの散歩から下宿に戻ると、女将さんが手招きしてくる。
下宿は本来、近隣の学校に通う女学生専用の寮だ。当然春になると卒業して引っ越す人もいれば、進学して新たに引っ越してくる者もいる。中には親元を離れて一人暮らしをしたくて、という子もいるし、留年して家に居づらくなって、なんてのもいる。理由はそれぞれ様々だ。
私は誕生日の翌日、6月7日に入居したから特別忙しさは感じなかったけど、この時期は退去者たちと入居者たちの入れ替わりが激しく、猫の手でも狼の手でも無職同然暇人の手でも、とにかく借りたい状況らしい。
「はい、これ! 3階まで持っていって!」
「重っ……」
山のように折り重ねられた布団や毛布を両腕に積まれて、腰と背中にぐっと力を込める。よく考えたらこれを毎日のようにやっている女将さんは働き者だ。

「そういえば私の部屋はそのままでいいの?」
下宿は基本的に相部屋、あるいは1部屋に3人が住んでいる。私の部屋もつい最近までファウスト・グレムナードという、町で唯一の魔道士育成機関【メフィストフェレス魔道学院】に通う天才美少女魔道士が住んでいたけど、春になって学院内での処遇が変わるということで学院内の研究棟へと戻っていった。
処遇の変化というのは、素行不良による長期間の謹慎処分が解けたことを意味する。
少し寂しくなってしまったけど、放課後や休日はなるべく顔を合わせようと決めているので、案外これが程よく適切な距離感なのかもしれない。

「ウルちゃんの部屋はねえ、学生はやっぱり学生同士で同じ部屋なのがいいと思うのよね」
「話もあんまり合わないだろうしね」
別に学校に行きたいわけでもないけど、学生と私では基本的に話が噛み合わない。私の周りはファウスト以外は年上の労働者ばかりだし、学生の周りは教師以外は同級生ばかりだ。女学生たちと多少会話を交わすようになったとはいえ、未だに学生特有の悩みだとか恋の話だとか出来るとは思えない。
下宿は居心地がいいけれど、やはり彼女たちは私とは別世界の人間みたいに遠い距離がある。

「ウルちゃん、出来れば学校くらいは通っておくべきよ」
女将さんは時折そういう提案をしてくる。曰く、学歴は浮き輪みたいなものだそうで、あっても困らないし就業先も拡がることになる。
ただ、その利点を踏まえた上でも『めんどくさそう』という気持ちが勝ってしまうのだけど。

「男子とかめんどくさそうだから」
そう、特にめんどくさそうなのが男女関係だ。食事の時なんかにみんなの話が聞こえてくるけど、考えただけでうんざりするような話が多い。
ただでさえ面倒なことが多いのに、面倒なことを増やすなんて馬鹿なんじゃないかな、とかちょっとだけ思ってしまうのだ。


△△△△△△


「ただいまー」
「エリオ、あんたね、こんな日暮れまで何処ほっつき歩いてたの?」
僕の実家はそう遠くない場所にあるけど、家庭の事情で叔母の家に居候している。家庭の事情というのは、両親が貿易商で家を留守にしがちで、独り暮らしをさせるには不安があると判断されたからだ。
叔母のアンナ・ガートランドは独身主義者で、普段は家の隣に建てた女学生向けの下宿で寮母というか女将というか、そういうことをやっている。
アンナおばさんの家の離れに住まわせてもらう代わりに、時々買い出しだの洗濯だのに駆り出される。
「毎日毎日遊び歩いて、少しはウルちゃんを見習ってほしいくらいだわ」
「ウルちゃんって?」
おばさんが言うには、その子は下宿に住まう女子のひとりで、見た目は相当にかわいらしくて毎日大きな犬の世話をしているそうだ。

「その子って、もしかして髪の毛が赤い?」
「赤いわね」
「背もそんなに大きくなくて」
「そうね、どっちかというと小柄ね」
「あと全体的に細いというか薄いというか」
「あんた、それ女の子の前で口にしたら死ぬわよ」
頬を思い切り抓られながら、情報を整理する。大きな犬を連れていて、髪の毛が赤くて、背が小柄で、あと全体的に細身で胸元が薄い。
間違いない、あの胸以外は理想的にかわいい女子だ。

「ねえ、おばさん。明日仕事手伝おうと思うけど、掃除とか手伝ったほうがいいかな?」
「どうしたの、急に? 気持ち悪い」
別に手伝いなどしたいわけではないが、同じ学校でもない女子とは基本的に接点がない。僕の周りはこの年齢特有の妙な気恥ずかしさと拗らせた結果、揃いも揃って冴えない男ばかりだし、仮に冴えてる男などいたらそいつは目の上のたんこぶ、不倶戴天の敵、出方によっては生かしてはおけない敵だ。
だから同じ学校でもない女子と接点を作ろうにも、彼女たちと僕とでは地面と星ほどに遠い距離がある。

(接点は、出来れば手伝いとかしてでも作っておくべきだ)
僕の頭の中の軍師っぽい存在が提案してくる。さらに手伝いで間接的に評判を伝えてもらうだけでなく、下宿の中に入って掃除でもすれば、直接会える可能性も増えることになる。
ただ、もし会えたとして仲良くなれそうな話ができるかは自信がないのだが。

「普段お世話になってるから」
もちろん嘘だ、そんなことは思っていない。でもこのまま高校に進学して灰色の学生生活を送るだなんて、考えただけでうんざりするような話だ。
ただでさえ勉強など楽しくないのに、これ以上苦痛を増やすなんて馬鹿げている。そうならないためにも、お近づきになりたいのだ。


✕✕✕✕✕✕


「さて、買い出しだ」

翌日、私は引き続き女将さんの手伝いに駆り出されている。
下宿の食事は基本的に女将さんがすべて作っている。育ち盛りの10代から20代前半ばかり集まっているわけだから、一度に作る食事の量もそれ相応に多い。当然必要な食材も多くなり、そうなると買い出しの量も必然的に多い。
折り畳めば人のひとりも隠せそうな大きな鞄を背負って、同じく人のひとりも入りそうな取っ手と車輪付きの頑丈な鞄を手に、シャロに部屋の留守を任せて市場へと繰り出す。

【ガランドリー市場】はノルシュトロムの食糧庫とも呼ばれる巨大市場で、居住区画から港までを繋ぐ大通りに面して建てられていて、新鮮な魚や他の町から運ばれた珍しい野菜、その他ありとあらゆる食材が手に入ることで知られている。
下宿からは徒歩でおおよそ片道1時間ほどかかるので、往復で2時間。買い出しの時間を含めたら3時間。
それをほぼ毎日こなすのだから、女将さんの働きっぷりはかなりのものだ。

「よお、ウル。なんだ、そんな大荷物で」
「下宿の手伝い」
私に話しかけてきたのはレイル・ド・ロウン。26歳。元騎士で、現在は自警団員。
私と同じアングルヘリング自警団事務所と契約していて、自警団員は夜の巡回以外にも港や市場などの警備に駆り出されることが多い。
ガランドリー市場もそのひとつで、気の荒い海の男たちと図々しい商人の間で揉め事が絶えないし、人が増えると窃盗犯も増えるのが世の常。そういう厄介事が増えないように警備巡回するのも自警団員の仕事だ。

レイルとはすっかり顔見知りになっていて、何度か組んで働いたこともあるし、助けてもらったこともある。私が助けたこともあるので借りは作ってない。
人見知り気味で交友関係の狭い私には珍しく、顔と名前がちゃんと一致する人物のひとり。

「そうだ、レイル。暇なら手伝ってよ」
「俺は俺で仕事中なんだが、まあ別にいいか。見回りがてら荷物持ちくらいなら」
「ありがとう。じゃあ、これお願い」
お言葉に甘えて彼の腕に、すでに結構な量の入った鞄を預ける。ちなみに中身は袋入りの小麦粉がたっぷりと根菜がいっぱい。
「お前、少しは遠慮ってものをだな」
「あー、軽くなった。重さで死ぬかと思った」
私はぐるぐると両肩を回して、命拾いしたと云わんばかりに軽くなった両腕を振ってみせた。


△△△△△△


「さて、買い出しだ」

翌日、僕は申し出た掃除を『年頃のお嬢さんたちを預かっている場所に、盛りのついた猿みたいな男子を入れられない』と断られ、買い出しを押し付けられた。食材の買い出しはすでに下宿の子に頼んだらしく、僕が買ってくるのは薪と燃料だ。
程よい大きさに割った薪を積み込むためのロープ付きの木枠を背負って、絶望的な気分で市場へと繰り出す。

しかも徒歩で片道1時間はかかるガランドリー市場だ。薪なんてその辺の雑貨店で買えばいいのに、と口答えしたいところだが、アンナおばさんは怒ると滅茶苦茶に怖い。
下宿を営む前は騎士団に所属していたっていう話だ。以前もだらしなさそう
なおじさんを上段後ろ回し蹴りで蹴倒していた、その戦闘力は僕とは比較にならない。

「あれ? あの子ってウルって子じゃ……」
「なんだ、少年。お嬢ちゃんの知り合いかい?」
偶然にも件の美少女を見かけた僕に話しかけてきたのは、以前おばさんに上段後ろ回し蹴りで蹴倒されていた見るからにだらしないおじさん。
確か名前はフィッシャー・ヘリング、近所の自警団事務所の所長で、ろくに仕事もせずに賭け事ばっかりに熱を出して、借金で首が回らないのに呑気に明るく生きているという、典型的かつ筋金入りの駄目人間だ。
中学で配布された不審者一覧にも掲載されていて、絶対にお金を貸さないように、と太字で記されていた。

おじさんはまだ朝だというのにすでに酔っぱらっていて、酒臭い顔を近づけながら僕の肩を組み、ゲラゲラと笑っている。人生が毎秒面白そうな人だが、僕はなにも面白くない。
酒臭くて馴れ馴れしくて自分勝手、間違いなく絡んでほしくない人物のひとりだ。

「ははーん! 少年、さてはウルちゃんに惚れてるな!」
「違うし、声がでかいって!」
慌てておじさんの口に手を押し当てる。あの子に聞こえたらどうするんだ、知り合う前に嫌われてしまうじゃないか。
それよりもだ、あの子の隣にいる男。あれは誰だ? どこのどいつだ? あの子のなんなんだ? 見たところ年齢は20代半ばくらい、10代の女子と喋っていい年齢じゃないだろ。
「あいつはレイル・ド・ロウン、おそらく少年の人生の最大の敵になる男だ」
「どういうこと!?」
僕はおじさんに詰め寄るように、頭上に掲げていた両手をぶんと振り下ろしてみせた。


✕✕✕✕✕✕


なんかさっきから妙な視線を感じる。
視線の方向に振り返ると、契約先の自警団事務所の所長が私と同じくらいの年頃の見覚えのない少年に絡んでいる。
「ねえ、あれなんだけど……」
「教育上よろしくはないな」
確かによろしくはない。借金だらけのギャンブル狂のだらしないおじさんなど、健全に育つべき年頃の少年には百害あって一利無しだ。実際のところ私も無いと思う。

「少年はどうでもいいんだけどね」
何故かおじさんが妙ににやにやしながら私たちを見ているのが気になる。なんだかよからぬ事が降りかかりそうな予感がするというか――


△△△△△△


「少年、ところで君は年上のお姉さんは好きかい?」
おじさんが唐突に問いを投げかけてくる。そんなの答えはひとつしかない、僕だって健全な15歳だ。年上のお姉さんが嫌いなわけがない、むしろ迫られて不健全なことを教えてもらいたい程度には好きだ。
「そりゃあ好きですけど」
「その通り、少年時代は誰しも年上のお姉さんが好きなわけ。ということはだ、女の子も年上の男が好きな時期があるわけよ」
おじさんがあの子と隣の男を指差しながら、僕の背中をばしばしと叩き、酒臭さをまとって緩みに緩んだ顔を向けてくる。

「少年! きっと今、君は16歳と26歳が仲いいとか犯罪だ、とか思ってるだろ? だけどね、不思議なことにこれがもう少し年を重ねたら全然おかしくなくなるんだよ。年齢差はいつまでも同じなのに、年齢を重ねるほどにその差が段々と小さくなっていくわけよ。不思議だよねー」
確かに26歳と36歳の夫婦とか、何の違和感もない。うちの両親も10歳までは離れてないが、7歳だか8歳だか離れている。
「10歳と20歳なんて完全に犯罪だけど、40と50だと何も不思議じゃないだろ! 20歳と30歳も別に何も不思議じゃない、だからあいつらは4年後あたり怪しいんじゃないかなって、おじさんは睨んでるんだよね!」
そうだろうか。確かにふたりは仲が良さそうだが、友達以上恋人未満とかそういうのではないようにも見える。見えるのだが、彼女の笑顔が素敵なものだから、そういう風にしか見えないような気もしてくる。
駄目だ、かわいすぎて素でああなのか乙女心的なものが表れてるのか、まったく判断がつかない。

おじさんの追い打ちはさらに続く。ギャンブル狂は勝負に出れる時は全てを費やすと、おばさんから聞いたことがある。まさにそんな、弱った相手を斧で叩き割るような勢いだ。
ちなみにおばさんは、間違ってもそんな人間にはなってはいけないし、そんな人間とは付き合ってはいけないと続けていた。
今まさに、そんな人間に絡まれてるわけなのだが。

「君の時間はせいぜい3年くらいしかないんだけどね! 問題は大人は年を取るほど収入が増えてくるから、君が学生でいる間は差は縮まらないわけよ! 体力、見た目、財力! 今のところ全部負けてるけど、その差は今後開いていく一方なわけ、だって男は30歳前後から味が出てくるからね! あ、ぼくは例外だよ、ぼくは年々借金だけが増えてるから!」
おじさんはなにがそんなに楽しいのか、ぐびぐびと酒を煽ってけたけたと笑っている。

「でも安心するんだ、少年! 世の中は大番狂わせを期待してるから!」
「はぁ……?」
もはや意味不明である。一体さっきから僕はなにを聞かされてるんだろうか?


おじさんは語る。大衆はいつの時代も大番狂わせを求めるのだと。
例えば闘技場、倍率1倍と少しの筋骨たくましい男と倍率10倍の痩せ衰えた貧相な男がいた場合、間違いなく勝つであろう前者ではなく一発逆転大勝利を狙って後者に賭ける人が必ず存在するのだと。
その倍率が大きくなればなるほど、倍率が100倍100倍にもなると奇跡的な瞬間を見たくて大衆は背中を押してくれる。彼らの邪な期待値が奇跡を起こし、有り得ない勝利を呼び込むのだと。


「いいかい、少年! 多分君の倍率は25倍くらいだから、まずは倍率を増やしていこう! どんどんどんどん勝ち目がない方向に自ら持っていって、世間の声援を背中で受け止めて勝利を奪ってしまえ! それが男の浪漫、それは賭け事も恋も一緒なわけ!」
おじさんが僕の手を握り、こそこそと秘策を耳打ちする。この秘策を使えば絶対に倍率が上がるし、かといって決定的に嫌われることもない。
九十九褒めて、一だけ落とせ。相手の気にしてる部分だけ貶せ。それが秘策だというのだ。

「いけー! 今日の負けは明日の勝利と信じて勇気を出せー!」
酔っ払いの駄目人間といえど大人の意見を信じるべきか、分の悪い勝負に諦めて灰色の生活を送るべきか、なんとなくこれが人生の大きな分岐点になってしまうような気もする。
だから僕は――


✕✕✕✕✕✕


私たちが怪訝な目をして社会不適合者のおじさんとそんなのに絡まれる少年を眺めていると、少年がなにか覚悟を決めたような、まるで大きな勝負に挑むような顔つきで近づいてくる。

その後はなにがなんだかだ。

少年は私の容姿を急に褒め始め、それはもう後で絵画や壺でも売りつけられるんじゃないかって勢いで持ち上げられ、顔がかわいいであるとか髪がさらさらで美しいとかいい匂いがするとか、腰のくびれと尻が魅力的であるとか、一体この名も知らない少年はなにを企んでいるのか、とにかく無闇やたらと褒めちぎってくるのだ。
そもそも自分の容姿がそこまで優れていると思ってないこともあるけど、それ以前にこの少年とは接点も関係性もないのだ。
まったく知らない相手から褒められても、そこには不快感しか存在しない。
仮にそれが好意から出てきたものであったとしても、背中に虫が這うような気持ち悪さしか感じないわけで。

「胸が小さいのは残念だけど――」

少年がそう口走った瞬間、反射的に両手で頭を掴んで、それを支点に右膝を跳ね上げる。加減しなかったのは溜まりに溜まった不快感がそうさせたのか、神経を逆撫でするような嫌悪感が足に込められた力を強めたのか。

しまった、やり過ぎた。

そう思った時には、少年は左の頬から口元にかけて顔面の形を大きく歪ませて、血反吐を撒き散らしながら地面へとまっすぐに飛び込んでいたのだった。


△△△△△△


褒めて褒めて持ち上げて持ち上げて、最後に少しだけ印象を落として倍率を高める。
その妙な作戦に乗ってしまった僕が悪いのか、そもそも人の容姿を貶すのが悪いのか、単純に間が悪かったのか、落としにかかった瞬間、実際に落ちていたのは僕の顔面だった。

彼女の鈍器のような強烈な膝が左の頬に突き刺さり、鼻血と頬の内側の切れた血を垂れ流しながら、そのまま地面へと墜落した。

でも後頭部を両手で抱えられた一瞬、ふわっとした柔らかさを漂わせたものすごくいい匂いがしたので、もしかしたら役得だったのかもしれない。
そんなことを思い浮かべながら、僕の意識は遥か彼方へと追いやられたのだった。


✕✕✕✕✕✕


「ただいまー。女将さん、これ買ってきた食材」
「ありがとうねえ、ウルちゃん。それに比べて、あのクソガキは……!」
買い出しから戻ってくると、女将さんが下宿の裏庭で目を吊り上げながら、機械式の回転鋸で木材や板を切って椅子や本棚を直している。女将さんは炊事洗濯だけでなく、家具の修理なども出来ることは全て自分でやる人だ。
回転鋸に見覚えがあるのが少し気になるけど。


【フライデイ13】
片手で扱える機械式の回転鋸。


おそらくうちの実家から持ち出された道具のひとつで間違いないけど、下宿で使われているのだったら回収しなくてもいいか。
それに女将さんも怒っている様子なので、この状況では交渉したくない。
私は無難で妥当な判断をして、大量の食材が入った鞄をふたつ、適当な台の上に置いて重さから解放される。

「妹夫婦の息子で、ウルちゃんと同じくらいの年齢の子が居候してるんだけどね」
「へー」
「薪と燃料買ってこいって頼んだのに、どこをほっつき歩いてるんだか……これだから男の子は駄目ね、すぐ遊びに行っちゃうんだから」
なんだかよくわからないけど、女将さんも大変だ。ただでさえ下宿に住む子たちの世話で大変なのに、甥っ子まで預かっているのだから、なんていうか頭が下がる。なにに下げる頭なのかはよくわからないけど。

「そういうわけで、ウルちゃん。ちょっと薪買ってきてくれない?」
「え?」

どういうわけか、私は再び馬鹿みたいな大きさの鞄を背負って、足を棒にしながらガランドリー市場へと向かったのだった。


ちなみに例の甥っ子は私に失礼なことを言った事が女将さんに秒でばれて、そそのかしたおじさん共々、朝まで表の路地で正座させられていたのは、まあついでの話。


今回の回収物
・フライデイ13
片手用の回転ノコギリ。赤錆色と鉄色。名前は13日の金曜日より。
威力:C 射程:D 速度:D 防御:― 弾数:13 追加:―


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第33話です。
春は出会いの季節だなーと思って書いていたら、ただただ謎のギャンブル狂理論の回になってました。
あれー?

ウルは学校に通わずずっと実家で訓練漬けの日々を送っていたせいで、自分の魅力に無自覚なタイプに育ったので、外から見た評価を書いておこうと思って、こういう視点が交互に変わる話にしてみました。
ウルは美少女です。もし学校に通っていたら年間何人かは玉砕させたりしてしまうような。

それでは次回もお付き合いください。
次回は軌道修正してシリアス回になるでしょう、たぶん。