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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第38話・かくして母は失踪を終える~」

目の前には珈琲がひとつ、深煎りで苦めの濃いめ、砂糖も牛乳もなし。それとコーヒーゼリーにホイップクリームを多め。席は店奥の窓の前、とびきり眺めのいいところ。
向かい側の席にも珈琲がひとつ。角砂糖ふたつ、牛乳はなし。それと苦めのチョコレートをひとつふたつ。席は店奥の窓際。
その隣にも珈琲、角砂糖はひとつ、牛乳は小さじ1杯。それと紙巻の煙草、でも今日は火を付けず。
その向かい、私の隣にはレモネードがひとつ。チョコレートの欠片が散りばめられたクッキーは、すでに齧られている。

とぷんとぷんと角砂糖を溶かす音。
からりからりとかき混ぜられた珈琲から流れる甘い匂い。
窓の外では夏を迎えるような水気たっぷりの重たい雲。
ぱらぱらと地面を叩く軽い雨。

「久しぶりだね、フェンリス」

私は手元から立ち上る珈琲の香りをゆっくりと吸い込み、目の前に座る私とよく似た顔の女に視線を投げる。

「色々言いたいことはあるけど……まずはおかえり、お母さん」


私の名前はフェンリス・ブランシェット。16歳、狩狼官。形だけとはいえブランシェット家の現在の当主で、13代目のウルフリード、狼を繋ぐ紐。


――――――


ブランシェット家は狼に呪われた一族だ。
300年前、まだ少女だったメイジー・ブランシェットと当時の狼を繋ぐ紐と称された最高峰の狩狼官ウルフリードが、狼の悪魔の腹を鋏で裂き、石を詰めて縫い合わせて、川底に沈めて撃ち倒した。狼の悪魔は死の間際に『人間に愛される生き物に生まれ変わりたい』と願い、彼の抱いていたメイジーへの恋心はブランシェット家からは一人娘しか産まれない呪いの形で残ることとなった。
そして狼の悪魔は人狼の魔道士として生まれ変わり、彼と村娘の間に産まれた娘は死の間際に自身の魂を私の母へと宿し、私というブランシェット家の末裔として再びの生を得た。彼女の肉体は巨人の心臓という生命力の塊によって、シャロ・ブランシェットという狼として蘇り、私とシャロが家族となることで当初の狼の悪魔の願いとはちょっと違うものの、300年もの時を経て願いは成就されて呪いは消え去った。

そう、呪いは解けたのだ。

ブランシェット家の呪いを憎み続けた祖母の手で殺されかけた、よりにもよって人狼を産んでしまった私の母が姿をくらませる理由はもはや無く、同時に母のもうひとつの失踪理由、不死となって呪いを自分の体に留め続けるという僅かな望みに縋るような理由もなくなった。

となると母の取る行動はひとつしかなく、いずれ必ず帰ってくるだろう。

過分に希望的観測の入った推測だけど、母はわざと私が足跡を追えるように、母の持ち出した狩狼道具を回収できるように仕組んでいた。
効率重視だと頻繁に口にしていたらしい母は、おそらく捕らえられるなら私に、或いは祖母を倒すなら私と、そんな風に考えていたのかもしれない。狩狼道具を回収した私が母を倒しても、反対に祖母を倒しても、どちらにしてもブランシェット家の当主として私の立場は固まり、人狼だからと始末されることは無くなる。
私ならそう考える。
だから母もそう考えていたんじゃないかなって思う。


相棒のファウスト・グレムナードからその話を聞いた彼女の養父、カール・エフライム・グレムナードは以前母と組んで仕事をしていた魔道士だ。そして母から私の面倒を見るように頼まれていた。
少なくとも1度は母と情を交わして、おそらく未だにその気持ちが残っているのか、グレムナードは養女が嫉妬してしまう程度には私を気にかけてくれている。
そんな彼がひとつの提案を投げかけてきた。

「あいつを捕まえよう」

グレムナードはこう推測したのだ。そう遠くない内に来る6月6日、即ち私の誕生日が近づいたら必ず母がこの町、かつて暮らした自由都市ノルシュトロムに姿を現すはずだと。

「誕生日ってのは親からしたら特別な日だ。子どもの成長はなんだかんだ言っても嬉しいもんで、毎年飽きもせずに祝ってやりたくなったり、そうでなくても見守ってやりたくなるもんだ。子どもの成長が嬉しくない親はいない、ってわけでもないが、お前の母親は子どもの成長をせめて見守りたくなるか、そんなこと一切気にせず好き勝手に生きるのか。俺はやっぱりあいつは前者だと思ってる」
「そうだね、私もなんとなくそうだと思う」
グレムナードは煙草の煙を口の端からゆらゆらと溢しながら、ノルシュトロム市街地の地図を開いて見せた。

「あいつが来るとしたら、まず俺のところに来るだろう」
それはちょっと願望が入ってる気がするけど、グレムナードは迷うことなく地図上の自分の研究室に赤く丸印をつける。
「お前の住んでる下宿は、俺の研究室からそう遠くない」
路地を数本挟んだ建物にバツ印をつけ、さらに離れた場所から意外と丁寧に大きな丸を描いてみせる。中心にはグレムナードの研究室、円の中には下宿だけでなく、私が契約しているアングルヘリング自警団事務所もファウストが通うメフィストフェレス魔道学院も含まれている。

「お前の誕生日が近づいたら、この円の中に監視網を形成する。人手も悪魔も使えるものは全て総動員でな」
「私も手伝ってあげるわよ。パパだけに任せると、あの女に出し抜かれそうだもん」

私は思わず全然そんなつもりはないのに、無意識のうちにこの義父娘に頭を下げていて、どうしてそこまでしてくれるのか訊くと、
「それはだな、俺が大人で、お前がまだ子どもだからだ」
グレムナードは私の髪をがしがしと無造作に雑に撫で回し、こうも続けた。

子どもに苦労させないのが、本来の大人の責任というものなのだと。
それが親なら当然に当たり前のことだと。
だから、あいつにはその責任を果たさせるのだと。


・・・・・・


「そういうわけだから、博士も手伝って」
ノルシュトロムからしばらく北に進んだ森の中、カッパ渓谷というカッパの生息地に住むレンチナット博士は、ばあさんの母親、つまり私の曾祖母で10代目ウルフリードの記憶と技術を移植された複製体だ。姿は見た目では普通の人間と違いがわからないけど、その体は酷く脆いらしく、直接的な戦いや力比べには向いていない。
でも技術は機械王の異名を持つ曾祖母と遜色なく――遜色もなにも曾祖母なわけだから当たり前だけど――現代においても数世代は先の発想とそれを可能にする術を持ち合わせている。
「博士は天才だよね」
「天才という言葉で括られるのは少し思うところはあるけど、まあ一言で表すなら天才だろうね」
「じゃあ、こういうのも作れるよね?」

私は博士にそっと耳打ちする。
少しどころではなく驚いた顔をされたので、私は大真面目な顔を向けて冗談ではないことを雰囲気で伝える。

そう、私は本気なのだ。
頼れる大人と相棒に背中を押されて、なにもかも総動員してもらうのだ。そうなったら最後に勝敗を決めるのは、子どもの気持ちだ。
なにがなんでも捕まえたいという気持ち。
十年以上募らせた自分の気持ちを形にしてくれる、私だけが使える私のためだけの道具。

ずっと頭の中にぼんやりと描き続けていた超大型狩狼道具【ブランシェットの捕獲機】の出番だ。

「久しぶりの大仕事だね。ひ孫ちゃんの頼みだからね、ババアはババアなりに頑張ろうか」
博士はきっと間に合わせるよと約束して、渓谷中のカッパたちを搔き集めて、その全てを道具の作成に費やすことになった。


△△△△△△


「……で、俺はこういう役回りだよな」

それともう一人、私たちには欠かせない男がいる。
レイル・ド・ロウン、元聖堂騎士団の騎士。何度も一緒に死線を乗り越えた、と言ったら盛り過ぎな気もするけど、何度も苦難を乗り越えた大切な仲間のひとりだ。
その仲間がノルシュトロムの郊外でひとり、母の捕獲を妨げかねない最大の障害を食い止めてくれているのだ。

先々代ウルフリード・ブランシェット。深雪の魔女とも呼ばれ、数々の悪党をその拳で沈めてきた暴力の化身。老いてなおその力衰えず、道具を失ってなおその強さ底知れず、以前も町にやってきて数々の暴威を振るった悪魔のような老婆。
つまりは私のばあさんだ。
その恐ろしくもめんどくさいばあさんを、たったひとりで足止めしてくれる役を買って出たのだ。

「なんだい、お前は!? あの子が戻ってくるかもしれないんだよ! ブランシェット家に生まれながら人狼なんて産んで、私の道具を盗み出して、世に放った馬鹿娘がね!」
「悪いけど、あんたがその馬鹿娘と争うと悲しむ奴がいるんでね。通すわけにはいかないんだ」

レイルは右腕に取りつけた機械を展開する。
本来騎士であるレイルは、私のように十全に機械を操れるわけではない。自分の体を強化するのは得意でも、なにかに力を注ぐのが苦手な騎士が機械で戦おうとすれば、通常あっという間に力を浪費してしまう。本来であれば無謀でしかない。
しかしその燃費の悪さを補ってくれる道具があれば、騎士の力で機械を振るえるのだ。
展開した機械に携帯式の燃料タンクが差し込まれる。レンチナット博士の開発した、機械使い以外の弱点を補ってくれるばあさんの知らない道具が。


【剛腕のダッデルドゥ】
かつて悪魔に憑りつかれた山賊の頭目が檻に入れられ、その自由を奪っていた足枷と鉄球。しかし山賊の男は一瞬の隙を突いて片足で立ち、鎖を掴んで鉄球を縦横無尽に振り回しながら看守たちを叩きのめしたが、処刑人と称された百数十年前のブランシェット家の当主に首を落とされた。
その血塗られた鉄球を改造した大型の狩狼道具。

破壊力はブランシェット家の道具の中でも3本指、それを騎士の力で十全に扱えたとしたら……。


遠心力を乗せた鉄球は、いとも簡単にばあさんの取り出した大振りの鋏のような武器を弾き飛ばし、その指先を2本3本へし曲げてレイルの手元に躾けた獣のように戻ってくる。
「ダッデルドゥ……! ウルだね、あのボケナス、ブランシェット家の道具を他人に委ねたのかい! 許し難い暴挙だよ!」
怒りに打ち震えるばあさんの気迫に呑まれそうになりながらも、レイルは気を引き締め直して、顔の高さに掲げた指を内側へと向けては戻す。かかってこいと示す挑発的な動きだ。
「来いよ、ばあさん。老いぼれを虐める趣味はないが、俺には俺で大事な役目があるんでね」
「いい度胸だよ! 覚悟するんだね、この盗人が!」

レイルが再び、ダッデルドゥの巨大な鉄球を振り上げた――


✕✕✕✕✕✕


ノルシュトロムのあちらこちらで、同じ下宿に暮らす女学生、メフィストフェレス魔道学院の生徒たち、アングルヘリング自警団事務所と契約している自警団員たち、借金返済を餌に駆り出された所長、下宿の女将さん、立体を自由に飛び回るランペイジ三姉妹、レンチナット博士の配下のカッパたち、以前助けた半魚人たち、そしてそれらすべてを指揮するグレムナードとファウストが待ち構える。
ありったけの人数で町中の死角を出来るだけ潰して、母を見つけ次第すぐに私に連絡を飛ばしてくれる、私のために用意された包囲網。

連絡手段は単純で明確、その場で色付きの発煙筒を使ってくれる。
その煙の周囲、そう広くない範囲に母は居るというわけだ。

私は煙がどこから上がってもわかるように、ファウストが召喚した大悪魔メフィストフェレスから伸びる糸と道化人形に薪を背負うような木枠を結び付けて、どの建物よりも高い場所、つまりは空中に制止した状態で木枠の中に隠れている。
空の裂け目から覗く猫のように丸い真紅と黄金の一対の瞳を持った不思議な生き物に、重かったら降ろしてくれてもいいよと告げると、まるで猫のように『にゃおーん』と返してくる。
意思の疎通は取れる気はしないけど、私に対して協力的なのはわかる。

あとは母がなるべく早く現れてくれることを祈るばかりだ。
吊られっぱなしもあまり長くは続かない。主に尿意とか空腹とか、そういう生理現象において。


◇◇◇◇◇◇


「安心しろ、ウル。あいつはいつだって効率重視で、俺の勘は意外と当たってくれる」

グレムナードの研究室、そこに面する路地を美しい女が歩く。肌の白く、髪も透き通るように色素の薄いオペラモーヴ。
治安が褒められたものではない裏路地をひとりで歩かせるには良心の呵責を感じる、そんな雰囲気の女だ。
見た目は30歳程度、見ようによってはもっと若く見られても不思議ではない。四十を過ぎた中年男からすると十分に若い年齢だ。
だけど彼は知っている。
目の前の女が本当はそうではないことを、昔とそう変わらない姿で老いを止めていることを。

「どうしたんだい、グレムナード。もしかして私を出迎えてくれるかな?」
「当たり前だろ。俺はお前の元相棒だからな」
グレムナードが咥えていた煙草を消しながら、燃えカスをそっと携帯式の灰皿に仕舞う。
「君の仕業だと思ったよ。死角の消し方にも、それでも残る死角へ死角へと移動させる誘導の仕方にも個性って出るからね。だけどこの仰々しい大勢でのお出迎え、ここだけどうも君らしくない。だから――」
「だから直接問おうと思ってここまで来た、だろ?」
グレムナードと女のいる路地の別の建物、その屋上から発煙筒の煙が上がる。

屋上に潜ませていた毒蛇の悪魔、その腹には1本の筒が獲物を捕らえるように握られていて、真っ白い煙を天に向かって昇らせている。

「お前にどうしても言いたいことがあったんでな。少しらしくないやり方をさせてもらった」
「なんだい? もしかしてお説教かい? まあ、君になら怒られても仕方ないと思うけど」
グレムナードが改めて煙草を咥えて、ゆっくりと煙を吸い込み、そのまま長く細く吐き出す。
「俺は人のことをとやかく言えるほど上等な人間じゃない。俺の言いたいことはひとつだ、ウルフリード・ブランシェット――」

グレムナードがなにを言ったのか、なにを告げたのか。
女は目を丸くして驚き、次の瞬間には完全な死角、頭上遥か上から背後へと急降下してきた金属製の吊り篭に捕らえらてて、そのまま地面から空中へと放り込まれる。


【ブランシェットの捕獲機】
13代目ウルフリード・ブランシェット、そしてフェンリス・ブランシェット、すなわち私専用の私のための超大型狩狼道具。
天から地上へと伸びる巨大な鎖と金属製の吊り篭と巨大な巻き取り機械で、超高度から狙った地点へと落とし、吊り篭で捕獲した後に、本来であれば一気に巻き取って圧死させる。
だけど加減の仕方によってはゆっくりと持ち上げて、使用者の元へと運ばせることも出来る。

一撃必殺の威力を持ち、その巨大さゆえに使用後に大部分の体力を消耗するけれど、狙いさえきちんと定めてしまえば誰も逃れられないし避けられない。


人狼に生まれた私が狩狼官である母を狩狼官として捕まえる。それがきっと最大の親孝行で、そういう形でないと再会させてくれない。
そう答えを導き出した、私なりに考えた私と狼を繋ぐ紐。

吊り篭に捕まった母は私のすぐ目の前まであっという間に運ばれて、自分勝手にすべてを背負い込んで失踪した母とそれに10年以上も引っ張り回された娘はようやくの再会を果たし――

「……ちょっと、お母さん」

先程なにを言われたのか、母が耳まで赤くなって驚いた顔のまま固まっている。
嘘でしょ? この期に及んで実の娘との再会よりも驚くようなことってあるの?

あとでグレムナードを詰問しなければいけない。場合によっては真剣に、血迷うなとか早まるなとか、その類の説得をしないといけないかもしれない。
そう秘かに決意して、私は吊り篭へと手を伸ばしたのだった。


かくして母は失踪を終える。


さあ、そろそろ幸せになるとしようか――



今回の登場道具
【ブランシェットの捕獲機】
13代目ウルフリード専用の超大型狩狼道具。天から地上へと伸びる巨大な鎖と金属製の吊り篭と巨大な巻き取り機械。
超高度から狙った地点へと落とし、吊り篭で捕獲した後に、一気に巻き取って圧死させる。色は赤銅。
一撃必殺の威力を持つが、その巨大さゆえに使用後に大部分の体力を消耗する。
威力:S 射程:A 速度:S 防御:― 弾数:4 追加:捕獲


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第38話です。
ようやくウルが母親と再会しました。これを再会というのかしら、ってちょっと思うけど、狼(人狼)が狩狼官を捕まえちゃうっていうのは最初から考えていた結末なので、まあこんな形になりました。

あと2話ほどお付き合いくださいませませ。