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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第18話・少女と人狼と欠ける月~」

三日月が好きだ。
暗く群青色に染まった空の傷のような黄色い月、それが大きくなったり小さくなったり夜ごと姿を変えていく。
世の中はなにも変わらないのに、親が変わっても、居場所が変わっても、人間たちとの関係が変わっても結局なにも変わってないのに、月だけは毎日その姿を変えてくれる。
雲に覆われていた月が隠れるのをやめてくれると、なんだか安心してしまう。

この世界に縋れるものがないから愛おしいのかもしれない。
月は何もしてくれないけど、月は何も危害を加えてこない。

いや、他にも縋れるものがあった。
金だ。金があれば食べるものも住むところも、なんの心配もいらない。
それが人間であっても、呪われた生き物であっても。

私たちは人狼、狼の悪魔の血を引く呪われた生き物と呼ばれている――



私ことルーポ・フレキの物語は最初から嘘にまみれていた。
母は開拓都市ワシュマイラに住む誰もが振り向く美人で、ちょっとした結婚詐欺師だった。数多くの男を騙して金をせしめた母は、計算違いにも私を身籠って、いよいよ潮時を迎えて性格の良さだけが取り柄の平凡な男と籍を入れた。
退屈だけど大きな不幸もない生活が続いて私を産み落とした頃、母は積み重ねた詐欺の罪により鉱山懲役に処された。

鉱山懲役はワシュマイラ独自の刑罰で、懲役刑に鉱山での強制労働が組み合わされたもの。労働環境は劣悪で危険、頼りないランプの光だけで1日12時間以上、真っ暗でいつ崩れるともしれない坑道を掘り進める。
平均寿命半年の地獄のような刑罰で、母の刑期は15年。生きてるとも死んだとも聞かされていないが、おそらく早々に命を落としただろう。

だけど、それでもまだよかったのかもしれない。

父は人狼だった。
純朴な田舎娘を演じて父と結ばれた嘘つき女は、平凡で普通な人間のふりをしたもっと嘘つきな男に騙されたというわけだ。
なんせ人狼は、人間にとって相容れない悪種だ。
ほんの少し前まで、人狼、人狼の血を引く子ども、人狼と結ばれた者、すべてが捕らえられ吊るされる風習もあったくらいだ。

町の往来の前で吊るされて見世物のように死ぬ。
そんな死に方をしなかっただけ母はまだよかったのかもしれない。


私は父に連れられて町を出て、ワシュマイラ南部の大穀倉地帯にあるイスマイル農場という人狼の作った武装組織に入れられた。
厳密には売り飛ばされたが正解。

父は金に汚い男だった。
母を結婚詐欺師だったと見抜いて、騙されたふりをして信用を得て、子どもが生まれて落ち着いて油断しきった頃に密告した。
銅貨の1枚も残さずに持ち逃げして、逃げた先でなおも金を手に入れようと自分の子どもを売り払った。

まあ結局は、私を売り飛ばした直後に交渉相手の人狼に銃で撃たれて、薄汚い生涯を終えてしまったわけだけど。


その後は大して語る程のことはない。
私は誰とも深く関わらずに生きるために必死で金を貯え続けた。暗殺、襲撃、強盗、危険を伴う悪事は金になった。
同じ年代の子どもたちの中で唯一生き残ったリュコス・ゲリって女と組んだのは、自分の生存確率と仕事の成功確率を少しでも上げるためだ。
それ以外に深い理由はない。少しでも長くこいつに生きてもらって、銅貨の1枚でも多く金を稼ぐ。そのためなら復讐に燃える同い年の少女に苦言のひとつだって喜んで呈する。

「復讐? やめときなよ、アホらしい。育ての親を殺した狩狼官を見つけて殺して、それを手伝った奴らも殺して回って、邪魔する奴も殺して、咎める奴も殺して? 全員殺し終わる頃には骨と皮だけのババアじゃん」
「だったらお前はなんでこんなとこで暮らしてんだよ」
「金だよ、金。悪いことは金になる、悪いことの中でもより悪いほど高く支払われる。私は一生使い切れない程の金を貯めて、こんな土地からとっととおさらばするのさ」

ゲリは一言で表すと阿呆だ。直情的でわかりやすく、だけど身体能力と技術は悪くないから、相棒としては持ってこいだった。
まずゲリが切り込んで大雑把に力任せに暴れて、残った奴を私がひとりづつ確実に潰していく。
私たちは着実に戦績と報酬を手に入れて、やがて人狼部隊【マーナガルム】に配属された。
だけど、もっと金を稼げると思ったのに、部隊は狩狼官と戦って壊滅。
主力を失った人狼たちは頭を垂れて、人間との戦いに終止符が打ってしまった。


「3年だ。15歳になったらワシュマイラの労働法で働いてもいい年齢になる。そうなったら小麦でも野菜でもなんでも作って売る」
「そんなので儲かるとは思えねえけど。使い切れないような金が手に入るのかよ?」
「手に入るわけないだろ。いつまで夢みたいなこと言ってんだよ」

私は夢を捨てた。
誰にも深くかかわらずに生きるための金集めが、いつの間にか毎日を生きるための金に変わってしまった。

そんな時に出会ったのがウルフリード・ブランシェット――人間とも人狼とも違う、不思議な魅力を持った狩狼官の女だった。
淡い綺麗な髪色で肌が雪のように白くて、優しくて不思議と居心地がいい、甘い匂いのする女。


一方的な復讐を押し付けて遂げたゲリが、目から涙を流してしまうほどに……。



そして今、そのウルフリードの娘が私たちの前に立ちはだかり、母親を刺し殺したゲリに馬乗りになって、両の拳を振り下ろし続けている。
拳が撃ち込まれる度に、ゲリの手足が痙攣した様に小刻みに揺れる。
ウルフリードの娘は返り血で母親譲りのかわいらしい顔を醜く染めて、怒りに我を忘れた形相で機械のように淡々と拳を撃ち込み続ける。

「待って! もうやめて!」

自分の口からそんな言葉が出るのが意外だった。
ゲリの次は私、そういう恐怖もあったと思う。でもそれ以上に、相棒を失う恐怖の方が勝っていた。

「おねがいだから!」

私も顎を強烈な左拳打で撃ち抜かれて、叫ぶのが精一杯だった。立とうにも足の踏ん張りが利かない。恐怖で膝が伸びてくれない。

「私の話を聞いて!」

ゲリに何度目かもわからない拳が振り下ろされ、ウルフリードの娘は私に冷たい目を向けた。
首筋に死神の鎌を突きつけられるような恐怖。
心臓を後ろから握り潰されるような恐怖。
そんな恐怖を宿した冷たい目を――



病院は嫌いだ。
薬の臭いは鼻に突くし、高濃度のアルコールは漂うだけで目に染みる。
それは正規の医者でも非合法の闇医者のところでも同じ。居心地が悪く、治療費のことを考えると背筋がぞっとする。

「……おおあ?」

目の前のベッドで横たわっていたゲリが目を覚ます。
歯と顎を折られているから、喋ろうにも喃語のような言葉にならない音しか発せないのだろう。

「お互い生き残れてよかったな。大変だったんだぞ、必死に命乞いして見逃してもらって、人狼でも診てくれる闇医者探して……おかげで財布はすっからかんだ」
「あんえ?」
あんえ。ああ、なんでか。簡単な単語なら意外とわかるな。
「なんでって、金はまた稼げば手に入るけど、相棒はそうはいかないからなー。まったく人狼ってやつは嫌になるな、友達ひとり作るにも替えが効かない。金のかかる生き物だぜ」

私は起き上がれないゲリに向けて、精一杯お道化た振る舞いで喋りかけ、医者を呼ぼうと立ち上がった。
だけど本心だ。正直、金より大事なものはないと思ってたけど、ゲリの方が大事だった。苦楽を共にするうちにそういうものになっていた。それだけの話だ。
それと――

「あえて伝えてなかったことだけど、ウルフリード・ブランシェットは生きている」


そう、ウルフリード・ブランシェットは生きている。
あの日、逃げ出して泣き咽ぶゲリを置いて、死体を確認しに行った私の前に座っていたのは、穴が開いて血で汚れた服を着替えて、何事もなかったかのように傷の塞がったウルそのものだった。
ゲリに喉元を短剣で突かれても、ウルは死ななかった。運がよかったとか傷が浅かったとか、そういう話ではない。

曰く、旅の途中でそういう生き物になったのだ、と。

「ゲリに伝えておいて、気に病むことはないって」

雪のように薄い微かな微笑みを見せて、ウルはそのまま姿を消した。
予定通りに最南端へと向かったのか、それとも別の場所に行ったのか、私には確かめようもない話だ。


ゲリに伝えてなかったのは、なんとなくだ。特に理由はない、あえて理由を作るとしたら精神の均衡が崩れそうというか、私の不確かな直感が理由だ。

そのせいでウルフリードの娘に殺されかけたし、そのおかげでこうやって命拾いした。

「ウルから奪った機械も持っていかれた。金も底を尽いた。おまけに相棒は歯抜けの大怪我人、あれだけ殴られたらは治りが速い人狼でも当分かかるだろうな。ゼロどころかマイナスからの再出発だな」

私は両目を寝かせた三日月のように歪ませて、複雑にへこんだ顔で複雑な表情をしている相棒に向けて笑った。


――――――


「……心底自分が嫌になる」

乗り合い馬車で揺られ続けて数日、私は母の足跡を追って最南端へと向かっていた。隣では同居人の天才美少女魔道士のファウストが呆れた目を向けているし、見下ろした先にある私の両手は包帯が何重にも巻かれている。
怒りに任せて人狼の少女を殴り続けた結果、私は両手を骨折してしまい、しばらくは匙も握れない有り様。
おまけに折角回収した狩狼道具【赤ずきんメイジー】も、実家のばあさんに私向けに改造してもらった【マスティフⅡ型オルトロス】もバラバラに壊れて使用不可能な始末。
実家のばあさんの耳に入ったら、一日中悪態をつかれるような結果だ。

「嫌になるは私の台詞よ! なんでこの天才美少女魔道士のファウスト様が、あんたにあーんってやってあげたり、着替えを手伝ったりしないといけないのよ!」
「お客さん! 荷台で暴れないでくださいよ!」
ファウストが地団駄を踏んでいると、馬車の御者に釘を刺される。
「暴れたくもあるわよ! お尻拭きまで手伝わされたんだから!」

それは本当に申し訳なく思う。

それにしてもだ、それにしても自分が心底嫌になってくる。
ゲリという人狼の少女と戦った時の感覚。自分の中に恐ろしい悪魔でも宿っているんじゃないかと恐ろしくなるような、真っ黒に塗りつぶされた怒り。
私は自分がどちらかというと冷静で感情の起伏が乏しいと思ってたけど、そんなことはなかった。むしろ怒りを爆発させて正気を失ってしまうような、野生の獣のような人間だったようだ。

おまけに母はちゃっかり生きていて、今もどこかを旅しているのかもしれないときた。
なんだか狐につままれたような、鳶にパンを取られて虚仮にされたような、そんな地味に嫌な気持ちになってくる。

「もうやだ、なんにもしたくない」
「なんにもしてないでしょ! 今朝だってパンを千切ってスープを飲ませてあげたのは私なんだから!」
荷台に寝転がる私に、ファウストがいつもより一段と甲高い声を浴びせてくる。


私の名前はウルフリード・ブランシェット。16歳、狩狼官。ブランシェット家の13代目当主で、10年ほど前に失踪した母と実家から持ち出された狩狼道具を回収している。
今は両手を骨折してパンを千切るのも一苦労する始末。


「もう一生、動物を抱っこするだけの生活がしたい」
心の傷は動物でしか癒せない。動物の毛のもふもふからしか摂取できない栄養素があって、その栄養がなかったら癒せない傷は必ずある。
今すぐにでも犬か猫を撫で回して、アヒルの靴ベラみたいな嘴でカカカッと指とか挟まれたい。

「ちなみに最南端にはペンギンがいるそうよ」
「ペンギン!?」

私はがばっと上半身を勢いよく跳ね上げて、人間でありながら小動物の気配を纏うファウストに好奇心の満ちた瞳を向ける。
ペンギンというのはアレだ。鳥の仲間だけど空を華麗に舞う鳥とは異なる、愛嬌のあるずんぐりむっくりした胴。短い脚に太いヒレ状の翼。嘴の先にまでかわいらしさを感じてしまう佇まい。
鳥の中で一番かわいいのはペンギンだと思う。異論は認める、ペンギン以外の鳥もみんなかわいい。

「ペンギンかー。抱っこしたいなー」

私はペンギンに思いを馳せる。
聞くところによるとペンギンにも色んな種類があるらしい。そんなことを聞いてしまうと、全種類のペンギンを並べてみたいと欲張ってってしまうじゃないか。


空には欠けた月が浮かんでいる。自分の心が本来満月の形をしているとしたら、欠けた部分を癒してくれるのはきっとペンギンに違いない。
私は少しだけ前向きな気持ちになって、少しでも早く怪我を治そうと再び荷台の上で寝転がった。


ちなみに最南端への旅費だけど、ファウストが治療費も含めてフレキからたっぷり巻き上げてきたので、当分は苦労せずに済みそうだ。



今回の回収物
・離れ小屋のグランマ
一度は狼に食べられた老婆のハンマーを改造。加速器つきのブーストハンマー+同時に鉄杭を撃ち込むパイルバンカー。
8本のパイル使用後は攻撃力が大幅に落ちる。ベースカラーは深緑色。
威力:A 射程:D 速度:B 防御:E 弾数:8  追加:貫通
威力:C 射程:D 速度:B 防御:E 弾数:15 追加:―(パイル消費後)

・監獄長デラメア
数々の狼と罪人を閉じ込めた監獄長の手錠を改造した、標的を拘束する捕獲機械(有線式ビット)と両肩の4枚の装甲。
ビット単体の攻撃力は低いが、多角的で回避の困難な動きをする。ベースカラーは黒と黄色。
威力:E 射程:B 速度:C 防御:C 弾数:40 追加:拘束


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第18話です。
陰鬱ターンからのモフモフターンという急角度で進む話ですが、とにもかくにも18話です。

人狼周りの設定も母周りの設定もウルの設定も第1話を書く前にしっかり作ってたのですが、どこまで出すか隠すか毎回悩みながらやっておりますです。

それはさておきペンギンはかわいいので、ペンギンからしか得られない栄養素もあると思います。
次回はペンギン回です。
んあ~~~~~~~!!