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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第24話・彼女は狼の腹を撫でる~」

「ねえ、グレムナード、聞いたことあるかい? この町の北の森に人狼の住処があるらしいんだ」
「人狼? 首から上が狼、首から下は人間みたいな生き物だったら、見たことも聞いたこともないな」
私の問いかけに相棒のグレムナードがそっけなく答える。カール・エフライム・グレムナード、魔道士で私の相棒。
珈琲の好みは少し苦め。角砂糖はいつもひとつ、牛乳は小さじ1杯。それと紙巻の煙草。席は店奥の窓際。
彼は魔道士ではあるけれど、現実主義者であって夢想家や空想家ではない。もう少し夢見がちなくらいが魔道士として大成するような気もするけど、彼
には彼の主義があるし魔法に対しての適切な距離感がある。私がとやかく言うのも野暮な話だ。

そうそう、彼といっても彼は恋人や配偶者ではないよ。彼の名誉のために言っておくと、酒と煙草のやり過ぎで顔色は悪いけど、それ以外は結構いい男だけどね。
でも私は独身主義者だし、今のところそういう相手もいない。どうもそういう男女の行為やそれに付随する感情は合理的ではないから好みじゃない。
子どもを欲しいと思ったこともないから、適当に働ける間に働いて、もしも老後があるなら喫茶店でも開いて珈琲でも淹れて、朝から映画を観賞しながらどっぷりとした時間を過ごす予定だ。

「で、なんで急に北の森なんだ? わざわざ外まで出向いても、大した金にはならないだろ?」
「それは確かにそうだね。市街地を荒らす悪党であれば仮に万引き程度でも報酬に色はつくけど、町の外の特にここの住人に被害を与えていない生き物を退治しても金にはならない」
私は肩書こそ狩狼官だけど、その実態は単なる賞金稼ぎだ。現代においては狼は絶滅危惧種、あえて狩る必要もない生き物だ。
その代わりに私たちが狩るのは悪党、それも賞金首だ。善良な一般人に危害を及ぼす悪い奴を捕まえて、町の治安維持組織である自警団か、王都から派遣された騎士団直轄の警察隊に突き出して報酬を得る。おおよそ文明的とはいえない仕事だけど、それでも存外実入りはいい。
最近は警察隊の人数も増えてきて、数年もすれば出番はなくなるだろうけども。

おっと、話が横道に逸れてしまった。
彼の言うとおり人狼なんか狩っても仕方ないのだけど、私の家系と狼は昔から相性が悪い。大げさに表現すると不俱戴天の仇なのだ。
私の先祖は300年ほど前に悪知恵の働く狼の悪魔に襲われた少女と、その狼の腹を裂いた狩狼官だ。狼の腹に石を詰めて縫い合わせて川に沈めるなんて惨たらしい過剰な殺し方をしたせいで、子々孫々に受け継がれる呪いを掛けられてしまった。
呪いは生涯たったひとりの娘しか産めないというもので、今でこそどうってことのないものだけど、当時はお家断絶から血筋の途絶までもたらす厄介極まりないものだった。

その呪いは代々怨嗟としてブランシェット家の血の中で受け継がれ続け、私の母なんか人狼を発見したら必ず狩れ、と口癖のように語っていた。語っていたというとまるで故人みたいだけど、残念ながら母は全然元気だ。年はすでに人生の折り返し地点を過ぎているにも係わらず、その強さと暴力性は引退した今もなお衰えることを知らない。
目の前の相棒をうっかり紹介しようものなら、強烈な膝蹴りで頭蓋を割られてしまうかもしれない。

珈琲を飲みながら、グレムナードの顔を見ていると、
「なにニヤニヤしてるんだ?」
などと言ってくる。どうやら私は笑みを浮かべていたらしい、内容を語ったら流石に怒られるだろうけど。
「なんだよ、さっきから。俺の顔に何かついてるのか?」
「付いてるよ、目がふたつと鼻と口がひとつずつ、それと無精髭」
私は微かに声に出して微笑んで、再び珈琲を口の中に流し込む。


申し遅れたね、私の名前はウルフリード・ブランシェット。23歳、ブランシェット家の12代目当主。
珈琲は砂糖ふたつ、牛乳はなし。紅茶には檸檬を添えて。それと苦めのチョコレートをひとつふたつ。席は店奥の窓の前、とびきり眺めのいいところ。
ウルフリードという女にしては男らしさのある名前は、【狼を繋ぐ紐】の異名を持った初代から受け継いだものだ。呪いだけでもお腹いっぱいなんだから、名前まで受け継ぐ必要はないと思うけどね。



私の暮らす自由都市ノルシュトロムは、辺境にありながら王都に次ぐ規模を誇る大陸5大都市のひとつだ。
巨大な運河へと結ばれる水門そのものを都市中枢に置いた街並みは、巨大な貿易港でもあるし、昔から水の流れがあるところに人の流れも生まれると言われている。人の流れが生まれたら、金も技術も情報も自然と流れて拡がっていく。
私がこの町を仕事の拠点にしているのも、そういう流れという点において他の大都市よりも便利だから。
私は効率重視なんだ。黙ってじっと獲物が罠にかかるのを待つのは性に合わない、獲物のいる場所を突き止めて仕掛ける方がずっと効率的だし割に合っている。

そして今日も獲物が隠れていそうな情報が流れてきたというわけだ。
北の森に人狼がいる、そいつは凶暴な男で旅人を襲う、と。

人狼とはその名の通り、狼の悪魔の血を引く人間だ。人間から生まれるけれど、その性質は獣に等しく、自分でも制御できない狂気に囚われている。人里離れて暮らしているなら放っておいてもいいのだけど、うちの家庭の事情的に、知っていて見逃したとなると私が狩られかねない。もちろん人狼にではなく母に。


「というわけで、やってきたわけだけど」
まだ夏も始まったばかりだというのに、北の森は薄暗く冷たい風が吹いている。山道を散策するには丁度いいかもしれない気温なので、このまま散歩して終わっても構わないという気分になってくる。
「このまま手でも繋いで散歩でもするかい?」
「お前なあ、年上をからかうもんじゃないぞ」
グレムナードは目を細めながら私の冗談を咎め、地面に手を添えて探知の網を張り巡らせる。

彼は大小三つの南瓜頭を持つ悪魔ハロウィンと契約している。
魔道士は悪魔や精霊と契約して、自分のエネルギーを餌や代価にして彼らの力を借用する。扱える力は契約した対象次第で、グレムナードの悪魔ハロウィンはどちらかというと補助的な力だ。
ひとつは蔓のような手足を伸ばして、周囲に探知の網を拡げる。
ひとつは大きな南瓜頭の目を光らせ、指定した対象に金縛りを仕掛ける。
ひとつは小さな南瓜頭を犠牲にして、攻撃してきた者へ敵意と痛みをそのまま押し付ける。
今使ったのは探知の網、蔓の上を通った生き物を漠然と察知し、力を注げば足元から縛り上げることも出来る。

そうして捉えた相手に奇襲を仕掛け、一刀の下に斬り伏せるのが私『白銀の二枚刃』と彼『魔女の懐刀』の基本戦術。
ちなみに私の異名は最も得意とする狩狼道具によるものだけど、彼の異名は本人的に不名誉で不格好だと普段から不満を口にしている。
暗器みたいでかっこいいじゃない、と励ました時は親指と中指を弾いて額を打たれたりもした。

さて、そんな魔女の懐刀様だけど、どうやら網になにかを引っ掛けたようだ。
指を細かく動かして方向と距離を伝え、私が狩れるように縛り上げる蔓の本数を増やしてくれる。そういうところが懐刀だと呼ばれる所以なのに、まったく実に面倒見のいい男だよ。

私は狩狼道具を展開する。場所は森の中、定石通りならば樹木を陰にしてゆっくり静かに接近するところだ。相手もそう来ると思っているだろう。
だから敢えて逆を突く、上空から一気に突っ込んで最高速度で斬り捨てる。奇策は愚策だともいうけれど、愚策も時と場合を見極めれば良策になり得るのだ。

私は左腕に巻いた赤い腕輪に向けて力を注ぎ込むイメージで神経を一点に集中させ、鋏のような巨大な2本のブレードと推進器を内蔵した背面ユニットを展開させる。
ブランシェット家の狩狼道具は小さく収納出来て、必要に応じて自在に展開する。これは2世代前の10代目ウルフリード『機械王』が発明して実装した機能だ。原理を説明しようとすると膨大な時間がかかってしまうので、今は割愛する。だって目の前の相手に集中したいから。


【赤ずきんメイジー】
かつて狼の腹を裂いた鋏を改造した巨大な機械。刀身2メートル近い大型の2本のブレードを、背面ユニットに搭載されたブースターの出力で無理矢理飛ばして、高速の突進を可能にした大型装備。左右への小回りには難があるものの、それを補って余りある破壊力と速度がある。
ブランシェット家の象徴のような機械で、私の最も得意とする武器だ。


木々の間を押し通るように斜め上方へ加速し、最高到達点でふわっと一瞬の無重力を味わいながら、真下にいる人影に狙いを定める。落下速度に推進力を上乗せして回転しながら、地面に落下する寸前で上空へと再度浮上する。その軌道ならまず対応できない頭上から攻撃できるし、仮に仕留めそこなっても再び仕切り直せる。森の中で横方向に飛ぶのは悪手、選ぶならばやはり上下の動きだ。

「名も知らない人狼君、ごめんね……って、えぇっ!?」

作戦通りに頭上から躍り出た私の目と鼻の先に、唯一の誤算が現れる。情報では人狼の男と聞いていたけれど、真下にいたのは可憐なひとりの少女だったのだ。人狼じゃないのか、森に迷い込んだ近隣の村人か、わからないけれど情報と違う相手を斬るのはまずい。
私はブレードを抱き寄せるように支えて、群れを成すように生えた樹木に突っ込み、赤ずきんメイジーを二転三転させて地面に滑り落ちる。

「いたたたたたた……ねえ、大丈夫だっ……た……?」

目の前の少女は真っ直ぐと私の瞳を見据えてくる。
小柄で線が細く、髪は雪のような銀色に黒さを帯びたいぶし銀が混じっている。瞳は琥珀色で、気配は犬のようでもあり狼のようでもある。
母から聞いていた人狼というのは、凶暴で野蛮で卑怯で非文明的な、いうならば未開の地の蛮族のような、もっといえば人間になりきれていない前時代的な生き物だと思い込んでいた。
けれど、もし目の前の少女が人狼だとしたら、想像と実態の間に地割れのように大きな隔たりがある。
「君は人狼なのかい?」
私は目の前の獣の気配を持つ少女に問いかける。

「なんだ、こらぁ、てめぇ! あぁん、こらぁ!?」
前言撤回、やっぱり聞いてたとおりの人狼だ。
突然足蹴にしてくる少女を受け止めながら、そんな風に思ったのだった。


躊躇の無さと乱暴な言葉に反して、その蹴りは軽い。正規の訓練を受けていない、力の乗せ方もわかっていない振り回すだけの、しかも私よりも随分と小柄な少女の蹴りなど脅威にはならないけれど、そう何度も受けているとさすがに痛みも生じてくる。
ただでさえ着地時にあちこち痛めてるのだから、ただ当たるだけでも全身のあちこちに響いてくる。
いつまでも付き合っていられない。
私は身を低く屈めて少女の蹴りを避けながら足元に潜り込み、両腕で膝の裏を抱えて一気に押し倒し、転倒させた少女の腕関節を極めて動きを制する。

「まいったから! 私の負けでいいから!」
「もう暴れないって約束できるかい?」
「約束する! 暴れないし蹴ったりしない!」
身悶えしても抜けられない腕の違和感と、本気を出せば折られるという恐怖感に屈した少女は、おとなしくすると約束して解放された腕を動物の毛を撫でるように擦る。


彼女の名前はフェンリス・ハーネス。17歳、人狼。
父親は人狼の魔道士、母親は彼女が幼い頃に亡くなった。それから十数年、父親とふたりきりで滅多に人間と遭遇しない暮らしを営んでいる。主な収入は悪事を働いてノルシュトロムにいられなくなり、森に逃げ込んだ泥棒や詐欺師のような輩からの略奪と恐喝。
伝言も人を3人跨げば中身が引っ繰り返るものだ。襲っても構わない盗賊や山賊が、人伝を繰り返して旅人に変わり、フェンリスの父親は凶暴な人狼にされてしまったわけというわけだ。


「でもまあ、父さんは凶暴だけどね。おとぎ話の狼の悪魔にそっくりなんだよ、ここにでっかい傷がある」
フェンリスは服の裾を捲って腹を見せながら、指で父親の傷の形を描いてみせる。
彼女の父親は生まれつき腹に鋏で裂いたような形の痣があって、それがまるでメイジー・ブランシェットを襲った狼の悪魔のようだというのだ。
なんというか、奇妙というか不思議な縁だ。

奇妙な縁といえばもうひとつ。
「そうだよ、最初からこれ使ってれば負けなかったのに!」
フェンリスが見せたのは夕方の太陽のような橙色と、真昼の月のような青白い色の二体の機械だった。形状はそれぞれ大型化した前脚二足と後ろ脚二足で走る流線形の獣。随分古いもので、ところどころ錆びつき動く度に軋むような音を鳴らす。
彼女は森の中で発掘した機械にスケルとハティという名前を付け、二体の機械で翻弄しながら相手の隙を突く戦い方をするらしい、本来は。

「どうして私には使わなかったの?」
「驚いて忘れてた」
忘れてたのなら仕方ない。むしろ命拾いしたかもしれないので、感謝するところだ。全体を覆う錆と骨董具合を見るに、命拾いする程の機械でもなさそうだけど。

こうして私は人狼の機械使いフェンリスと出会った。
彼女も私のことを気に入ったのか、また遊びに来るように強請り、私もまた彼女のことを気に入って、その後数日置きに森へと足を運ぶようになる。


「お前がいいなら構わないが、父親の方はいいのか? 一応そこそこの金にはなるんだろ?」
「構わないよ。噂程度で振り回されて、おまけに小銭目当てで狩りなんてしてたら、私たちの格が落ちてしまうじゃないか」
グレムナードはふぅんと気の抜けたような返事をして、怪我をした私を背中におぶりながらノルシュトロムまでの道中を馬車馬のように歩いてみせた。

「お前、少し重くなったんじゃないか?」
「君ねえ、そういうところが台無しだって言われたことはないのかい?」



人相が悪くても話してみると存外良心的な人物だったりする者もいるように、人狼といっても中には人間と仲良く出来そうな者もいる。親の影響も多分にあると思うけど、フェンリスの父親は人間に対して好意的な人狼だ。彼は人間と仲良くしたいと願い、今でこそ過疎化して誰もいなくなったものの、森の中の集落では穏やかに上手くやっていたそうだ。
父親の影響か、娘も苛烈で攻撃的な性質は残しているものの、特段人間と相反するようなものでもない。

同性で年下だからなのかもしれないけれど、どこにでもいるような普通の少女に少し香辛料をかけたようなものだ。
町での暮らしに憧れを抱き、初めて見る映写機の映す映像に目を釘付けにし、珈琲は背伸びして無糖。だけどコーヒーゼリーにはホイップをたっぷり。
そんなどこにでもいる普通の少女だ。

しかし人狼はどこまでも人狼だ。

個人的には人間というのは不条理な生き物だと思う。性別で、年齢で、人種で、身分で、職業で、生活水準で、ありとあらゆる理由で争いを繰り広げる、どうしよもない愚か者の顔を持っている生き物が人間だ。
そんな愚か者の中でも狩狼官は特に愚かな連中だ。昔は勝手に狼を狩っては付近の民から財産や人手を徴収し、今や力任せに賞金稼ぎの真似事、はっきり言って馬鹿のやることだよ。

「というわけで、馬鹿から身を守るためにこれをあげるよ」
そう言って渡したのは【モビーディック】という鯨骨罠を応用した飛び道具だ。相手の体温に反応して展開し、距離感を見誤らせて避け切れずに突き刺さる、悪趣味だけど実用的な武器。
けれど本質はそこではない。この道具が狩狼官の代名詞のひとつであること、人狼であっても狩狼官と誤認させれば見逃してもらえることもあるかもしれない。そういう期待こそが本質だ。

「えへへっ、ありがとう」
色気のない武器を貰って喜ぶ姿を見ていると、武器なんかでと複雑な気持ちになってしまうけど、これで彼女に降りかかる受難がひとつでも減ってくれればと思う。
私は自分が思ってるより人情家なのかもしれないね。


まあ、そんな淡い期待は大抵裏切られてしまうものだけど。
世の中はどうしようもなく残酷で、ケチでしみったれているからね。持っていく時は、容赦なくなにもかも奪っていくのだよ。


マックィーン・パール・クロックスは優秀な狩狼官だ。歴史に名を残した超一級狩狼官、人狼の王ジェヴォーダンを仕留めた銃士ボーテルヌ、人狼姉弟を仕留めた女狩人ジェーン・シャステル、狩狼部隊を率いた武装市長テオドール・ルスヴァルド、そして私たちの先祖である狼を繋ぐ紐ウルフリード、そこに名を連ねてもおかしくないと評される凄腕の男だ。
ノルシュトロムの鉄火場で何度か顔を合わせたこともあるけど、技量は私のずっと上、特に猟銃による狙撃の腕は私など比較にもならない。

その凄腕の死神が噂を聞きつけて北の森へと向かったと知ったのは、その年の夏のうんざりするような暑い日だった。

私は嫌な予感に襲われて、グレムナードを呼ぶことも忘れて森へと走った。
フェンリスには現役の狩狼官の情報は一通り伝えている。けれどその情報を額面通りに受け取って、適正な警戒をしてくれるのは実はすごく難しいことだ。経験、思い込み、気分、あらゆる条件で情報は大きくも小さくも変わってしまう。
大きくしたのならまだいい、小さく些細なことに落とし込んでしまうのは最悪だ。


草むらの伸びきった草の中に寝そべるように身を低くする男がひとり。森の中には負傷した少女がひとり。
遅かった、すでに戦いは始められていた。この遅れがすでに失敗だった。

「待つんだ、マックィーン! 彼女は人狼じゃない、狩狼官だ!」
草むらに潜んだ男の顔がわずかにこちらを向き、しかし次の瞬間には銃弾が発射されていた。放たれた弾丸は樹木の間を針穴に糸を通すような精度で駆け抜けて、フェンリスの右足の太ももを容易く射抜いた。
最悪だ、腕ならまだ逃げる手段が残されている。足は駄目だ。足は射抜かれたらもうどうしようもない。
彼女を守るスケルとハティも、すでに撃ち抜かれて地を駆ける余力を失っている。

もはや道はひとつ。私が格上の狙撃手に勝つしかなくなり、その可能性は絶望とほとんど同じ意味しか持たない。

「待てって言ってるだろう!」
恐怖に息を飲みながら赤ずきんメイジーを起動させて、射線上に立ちはだかる。せめて逃げる時間を稼ぐ、そうする以外に選択肢はない。
「琥珀色の瞳、獣の気配……奴は人狼だ。そして人狼は狩る、そういう風に定められている」
当時はまだ人狼と人間の関係は酷いものだった。ノルシュトロム周辺では目に見える形での争いは起きてないけれど、大陸南部の開拓地では人狼と人間の間で戦争が起きているとも聞いた。王都からは対人狼の――もっというと人虎や鬼や半魚人なども含めた亜人全般を標的とした――専門部隊が派遣されていたし、母のように憎しみを抱いた者も少なくなかった。

そして残念なことに、世の多くの人狼はやはり残酷で害を成す存在だった。

赤ずきんメイジーの推進器を撃ち抜かれ、爆発と破片からどうにか免れながら、私は奥の手を繰り出した。
奥の手を人間相手に使いたくなかった、この甘さと躊躇もまた失敗だった。初めから使っていれば勝負はとっくに着いていたのに。

奥の手というのは文字通りのものだ。
ブランシェット家の当主を継承した時に造った専用の狩狼道具。母はその暴力性を具現化したような、馬鹿みたいな大きさの光弾を発射する大砲を造った。既に失われた先々代の道具は回転する巨大な鋸の連なったものだったという。
私が造ったのは巨大な書架だ――理由はない、昔から書架に籠るのが好きだったから。それともうひとつ、この形状が私の臆病でどうしようもない本性をよく表していると自負できるから。


【古き紡がれしメルヒェン】
私専用に仕立てた超大型狩狼道具。形状は巨大な書架で、開いた扉の奥から無数の機雷を射出する。機雷にはひとつひとつに猛毒が内包され、爆発した途端に広範囲に致死性の毒を撒き散らす。


我ながら悪意の塊のような武器だ。
あの母からも製造を咎められた悪意は、今は誰かを守るために爆風と破片を撒き散らし、狙撃手を無理矢理にでも退かせるために前方の広範囲を毒煙で襲う。

しかし私は狩狼官の意思の強さを侮っていた。彼は逃げるその瞬間も引き金から指を放すことはなく、最後の一撃を正確に無慈悲に森の中に撃ち込んだのだ。


フェンリスは腹を撃ち抜かれて致命傷を負った。

そして最期に私にひとつ頼みごとをした。


父さんは死ぬ間際に人間に愛されたいと願い、人狼に生まれ変わった。
だから私も生まれ変わりたい。本当は森の中でふたりきりでずっと寂しかった、もしも次があるんだったら友達を作って、町で働いて、恋をして、家族に囲まれて、喫茶店で珈琲を飲んだりしながら毎日笑って楽しく暮らしたい。

「ごめんね、ウル……」

フェンリスは私の腹に手を添えて、いつもの元気な顔を見せず、ただただ願った。
私も少しでも苦しくないように穴の開いた腹に布を当てて、少しでも痛みが和らぐように横腹をゆっくりと撫でた。

そして信じてもいない神に祈った。

もう二度とフェンリスに悲しいことが起こらないように――





「グレムナード、実は今度、実家に帰ることになったんだ」

それからどれくらいの時間が経っただろう。
いつものノルシュトロムの喫茶店で、鋭い目つきを丸くして驚く相棒に別れを告げた。

「実は子どもが出来たんだ。残念ながら父親は君じゃないけどね」
「よく言うな。そんな素振り見せもしなかったくせに」
彼は女遊びをしないわけではなかったけど、私には紳士だったからね。その上、寝てしまった男女は簡単に命を落とす、なんて迷信を信じていた。だから一度もそういうことが無かった。
強引にでも口説かれていたら、私は断らなかっただろうけど、それはもう終ってしまった話。

「まあ、あれだ。困ったことがあったらいつでも訪ねてこい、それくらいの甲斐性は俺にだって残ってる」
「案外いい男だよね、君は」
「案外は余計だ」

私は都市の北門で見送りしてくれる相棒に別れを告げて、ゆっくりと実家への道を北へ北へと歩き始めた。


「だけどさあ、母になんて言おうかね? もしも人狼だったらどうしようね」
私は微かに重みを感じる腹を優しく撫でて、自分の中に宿った命に語り掛けたのだった。


「元気に育つんだよ、フェンリス」



今回の登場道具
【赤ずきんメイジー】
狼の腹を裂いた赤ずきんの鋏を改造した刀身2メートル近い大型の2本の刃とブースター付きの背面ユニット。
ダッシュ攻撃が可能。ベースカラーは赤と灰色。
威力:B 射程:C 速度:B 防御:E 弾数:20 追加:切断

【モビーディック】
相手の至近距離で展開し鋭い刃で突き刺さる、鯨骨罠を応用した飛び道具。白色。
モビーディックは白鯨の名前。
威力:D 射程:C 速度:B 防御:― 弾数:18 追加:―

【古き紡がれしメルヒェン】
12代目ウルフリード専用の超大型狩狼道具。形状は巨大な書架で、開いた扉の奥から無数の機雷を射出する。
機雷には毒が内包され、広範囲に致死性の毒を撒き散らす悪意の塊のような武器。色は金と黒。
一撃必殺の威力を持つが、その巨大さゆえに使用後に大部分の体力を消耗する。
威力:S 射程:A 速度:A 防御:― 弾数:3 追加:毒

【スケルとハティ】
フェンリス・ハーネスの発掘した旧式の機械。形状はそれぞれ大型化した前脚二足と後ろ脚二足で走る流線形の獣で、使用者を守るように駆け回り、敵に噛みつく。整備不良のため動きは本来のものより鈍い。
色はスケルが橙色、ハティが青白色。
威力:D 射程:C 速度:C 防御:D 弾数:2 追加:自動防御


(続く)


(U'ᄌ')U'ᄌ')U'ᄌ')

狩狼官の少女のお話、第24話です。
タイトル回収回です。

タイトルの付いた話は最終回だと相場で決まっていたものですが、昨今はそんなことないので、このお話も当然次回も続きます。
お付き合いよろしくお願いします。