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小説「彼女は狼の腹を撫でる~第17話・少女と人狼と満ちる月~」

満月は大嫌いだ。
暗く群青色に染まった空に穴を開けたような黄色い月、それが欠けるでも割れるでもなく図々しく浮かんでいやがる。
こっちは世の中どうにもならないことばかりなのに、月と太陽はいつも我が物顔で空を支配している。
雲に覆われてもなお消えない光を見ていると、腹の底から沸き立つ不快感が頭の天辺まで上がってきて、どこかで爆発させないと壊れてしまいそうになる。

苛々する。
どうしようもなく苛々して、なにもかも破壊しないと抑えきれなくなる。

頭の中でなにかが張り裂けるような音がして、目の前が真っ赤になって、気がついたら辺り構わず破壊している。
殴り、壊し、傷つけ、燃やす。
疎まれ、忌まれ、嫌われ、追われる。

大昔からずっと、生まれてから死ぬまで、そいつが死んでもその子どもがその孫が同じように、何年も何十年も何百年もずっとそんなことを繰り返してきた。

あたしたちは人狼、狼の悪魔の血を引く呪われた生き物と呼ばれている――



あたしことリュコス・ゲリの物語は最悪なところから始まった。
生まれ落ちた開拓都市ワシュマイラは、大陸南端開拓の最前線基地で、人間と人狼の争いが最も激しい地域だった。理由はわからない、ずっとそうだから考えても仕方ない。
人狼の特徴のひとつである琥珀色の瞳を持って生まれた時に、町の外に捨てられて、そのまま飢え死にするか獣に喰われてしまうかというところで、1匹の人狼に拾われてそいつらが作った集落に連れて行かれた。

産みの母とつがいの父親は、狼の悪魔の血を引いているとの疑いを掛けられて、互いに罵り罪を押し付け合いながら吊るされて死んだらしい。
まあ、あたしには関係のない話だ。

育ての親は年老いた人狼のじじいで、集落も戦えなくなった年寄りばかりだった。
じじいたちが口すっぱく言い聞かせてきたのは、どんなに狂いそうになっても人間の町へ行ってはならないということ。むしろ狂いそうな時ほど集落から外に出るな、そう教えられてきた。
それと、狩狼官に出会ったら絶対に逃げろ。奴らは人狼の天敵だ。

人狼の王ジェヴォーダンを仕留めた銃士ボーテルヌ、人狼姉弟を仕留めた女狩人ジェーン・シャステル、狩狼部隊を率いた武装市長テオドール・ルスヴァルド、動物学者エルネスト・ノートン、殺戮者の異名を持つ雷帝イワン、穴掘りジャック・オクロック、狙撃主マックィーン・パール・クロックス、最強の騎士メアリー・クイーン……
じじいたちが何度も名前を挙げた、大陸でも一流と呼ばれる狩狼官たち。何年も経った今でもすらすらと並べるくらいに覚えている。

その中で最も気をつけろと教えられたのが、狼を繋ぐ紐の異名を持つウルフリード・ブランシェット。
深雪の魔女と呼ばれる第11代ウルフリードは50を過ぎてなお最強と恐れられていて、その娘の白銀の二枚刃は先代と肩を並べる上に知恵にも秀でている。

そう語って狩狼官を警戒し続けたじじいたちは、ある日、ジャック・オクロックと奴の率いる狩狼官の一団に狩り尽くされた。
奴らは嫌になるほど卑怯で汚くて、15人が隠れていた集落は一晩のうちに壊滅させられた。
あたしは戦いのどさくさに紛れて外へと逃げ出し、じじいたちと交流のあった南の大穀倉地帯にあるイスマイル農場へと逃げ込んだ。
枯れるほど涙が流れて、必ず人間に復讐すると決めた。薄汚い人間どもに必ず。


当時あたしは7歳。
あたしの物語は、再び最悪なところから始まった。


イスマイル農場は若い人狼たちが作った会社だ。
表向きは普通の農場で支援者を通じて人間たちとも取引をしているが、実態は各地への傭兵の派遣や暗殺を行う非合法な武装集団。あたしは農作業に従事しながら、暗殺要員として徹底的に鍛えられた。

あたしと同世代の子どもは当初20人ほどいたが、多くの子が訓練中の不幸な事故や教官の悪趣味で命を落とした。
まるで人狼同士の共食い。力の強い人狼の気まぐれで何もかも奪われる環境、飯も自由も命さえも。
とんでもない地獄に落とされたと震えたが、あたしの頭は復讐に憑りつかれていたから力の劣る奴が死ぬのは仕方ない、そのくらいに思っていた。

若い人狼たちと暮らし始めてわかったことがある。
人狼はどいつもこいつもいつも苛々していて、突然頭の線が切れたように凶暴になる。暴力的で好戦的、嘘つきで卑怯、自分の衝動を制御できない欠陥品。
人間の中にも人狼みたいな奴はいるだろうし、人狼の中にも人間みたいな奴もいると思う。けれど人間と人狼で決定的に違うことがある。
それは力が強いとか、運動神経が良いとか、獰猛だとかそういうことじゃない。

人狼同士は互いに触れる距離まで近づくと毛が逆立つような、背中や腰のあたりが震えるような感覚になる。
それが大きいと苛々が爆発して争うことになるし、それが小さいと心地よさに変わって群れを作ることも出来る。
どんなに凶暴な人狼みたいな人間に近づいても、絶対にそうはならない。

あたしたちにはきっと凶暴な狼の血が流れていて、その血が人狼同士を嗅ぎ分けさせる。


11歳になる頃にはルーポ・フレキっていう同い年の女だけが残って、あとは全員死んでしまった。中には自ら首を吊った者もいる。しょうがない、そういう世界だ。その証拠に涙すら流れない。
世界はどこまでも冷酷で非情で悪趣味だ。それを理解してる者が生き残るし、そこをわかってない奴から弱味を見せて死ぬ。

「復讐? やめときなよ、アホらしい。育ての親を殺した狩狼官を見つけて殺して、それを手伝った奴らも殺して回って、邪魔する奴も殺して、咎める奴も殺して? 全員殺し終わる頃には骨と皮だけのババアじゃん」
「だったらお前はなんでこんなとこで暮らしてんだよ」
「金だよ、金。悪いことは金になる、悪いことの中でもより悪いほど高く支払われる。私は一生使い切れない程の金を貯めて、こんな土地からとっととおさらばするのさ」

フレキも似たような人生を歩んでて、私より少し後にイスマイル農場に流れ着いた。あたしより冷静でどっちかというと頭脳派で現実派、そして常に1歩先を行っていた。
こいつにだけは負けじと積極的に仕掛けて、いつの頃からか、あたしが切り込んで蹴散らして残りをフレキが片づける。そういう連携が出来上がっていた。

何人もの仲間を手に掛けた悪趣味な教官の頭をかち割ってやった時は、珍しくふたりで手を叩き合ったりもした。

「ルーポ・フレキ、リュコス・ゲリ。お前たちを人狼部隊【マーナガルム】に配属する」

12歳、教官に勝った功績を認められて、あたしたちは選りすぐりの部隊に入ることになった。
仕事も町での窃盗や旅人を襲うような下働きから、ワシュマイラの要人や資産家の襲撃、狩狼官との戦闘といった高額のものへと変わった。
わずか10名、教官が抜けてあたしたちが入ったから10引く1足す2で11名の最強部隊。
集落を襲った狩狼官を見つけた時には血が今までにないくらい沸騰したみたいに熱くなって、じじいの仇を討つことにも成功した。こっちにも犠牲は出たけど、世界はそういうものだから仕方ない。

「ゲリ、部隊は解散だってさ。あーあ、せっかく金になると思ったのに……ま、隊長がくたばっちまったらしょうがないか」
「納得いかない。狩狼官はまだ残ってる、人間はもっと残ってる。そうだ、フレキ、お前が隊長やれよ」
「12歳で隊長? 馬鹿言うなよ、そんなもん仲間にぶっ殺されて仕舞いだよ」

ワシュマイラでの人間と人狼の争いに終止符が打たれた。
人狼側は指導者と戦える戦力のほとんどを失ったから。
人間側の理由としては開拓が忙しいから。
今後はお互いが干渉し合わないように、人間側は人狼の居住地を定めて適正に管理する、人狼側は所持していた武器を差し出し、人間の作った法律に従う。そういう明らかに人狼に不利な協定が結ばれた。


あたしの物語は、また最悪なところから始まった。


あたしとゲリは、すっかり裏の仕事から手を引いたイスマイル農場から距離を置き、居住地の端っこでくすぶり続けるような生き方に身を落した。
ふたりともろくに使い方を知らないせいで金だけは結構残っていたから、しばらくの間は食うに困らなかった。
じじいたちを殺した狩狼官がまだ何人も生きてると考えたら、自分の首が締まるような息苦しさと恐ろしさで眠れなかった。

だが、人間を襲うと疲れ切った腑抜け共が居住地を奪われる。
襲うための武器もない。鉈や斧はあるが銃も火薬もない。

「3年だ。15歳になったらワシュマイラの労働法で働いてもいい年齢になる。そうなったら小麦でも野菜でもなんでも作って売る」
「そんなので儲かるとは思えねえけど。使い切れないような金が手に入るのかよ?」
「手に入るわけないだろ。いつまで夢みたいなこと言ってんだよ」

フレキはすっかり腑抜けてしまった。
あたしも他人のことを言えたものじゃない。くそ腑抜けだ。
人狼だって武器も土地も奪われたら、もうどうでもよくなる。腹が減って、毎日の飯の種に困るようになったら、人間にだって尻尾を振るようになってしまう。

支給された食糧を食い、貯めた金を切り崩しながら暮らして、しばらく経った頃だ。
あたしとフレキはあの女と出会った。

ワシュマイラから岩石砂漠を超えて最南端に向かうという旅人、名前はウルフリード・ブランシェット。年は見た目30前後で髪は淡い赤色で肌は雪のように白かった。
ウルが狩狼官ということはすぐわかった。じじいたちから何度も聞かされた名前だ、忘れるわけがない。

こいつで復讐を果たしてやろう、集落の襲撃に関わっていなくても狩狼官というだけで理由としては十分だった。

「へー、ルーポとリュコスね。よろしくね」
あたしはウルの隙を突くために案内役を買って出た。狩狼官、それも白銀の二枚刃・剣の魔女の二つ名を持つ相手に真っ向勝負するほど馬鹿じゃない。
油断させて隙を突いて寝首を搔いてやる、その為ならまともな人間のふりだってしてやる。

こうしてあたしたちは最南端への旅に出た――


旅は楽しかったよ。
ウルはあたしたちに普通に優しかったし、人狼だからって蔑むことも怯えることも無かった。人間と並んで食糧を食べたことも初めてだったし、人間と身を寄せ合って寒さを凌いだのも初めてだった。
とろけそうな甘い匂いに、なにもかも許してしまいそうになって、田舎に娘がいると聞いて、ちょっとだけ嫉妬したりもした。

「もしも出会うことがあったら、娘と仲良くしてあげてよ。年も一緒くらいだし、きっといい友達になれるだろうね」
「嫌だよ。人間のガキとなんて」
「そう言わないでさ、ちょっと考えといてよ。いつかきっと、この辺りにも来ると思うから」

人間に頭を撫でられたのも始めてた、人狼にだって撫でられたことはないのに。
こいつが狩狼官じゃなかったらよかったのに、とも思ったが、あたしの体の毛の先から爪先まで染みついたくっせえ獣の臭いが、毎晩眠る度にこいつを刺せって囁き続けた。

だから甘えるふりをして、甘えるふりをしてるって自分に言い聞かせて、ウルの喉元に短剣を突き立てた。

そのまま荷物を奪って逃げたから、その死を確かめたわけじゃないが、どのみち助かる傷ではない。
後で戻った時にはウルはその場から姿を消していたが、あの深手では生きてはいないはずだ。
じじいたちの集落が襲われた時以来の涙が流れたが、別に何も思わない。あたしにもまだこんなものが残っていたのかって呆れたよ、とっくに枯れてるもんだと思ったから。


結局あたしは、優しさや温もりを与えられても、互いに奪い合い傷つけ合う最低な輪廻からは逃れられない欠陥人間だった。
あたしが狩狼官から奪い返したように、きっと狩狼官の娘はあたしたちから奪い返しにくるだろうが、この世界はそういうもんだ。
やってやられて奪って奪い返しての繰り返し。
人狼たちが大昔からずっと、生まれてから死ぬまで、そいつが死んでもその子どもがその孫が同じように、何年も何十年も何百年もずっとそんなことを繰り返してきたように、あたしもそうやって生きていくしかない。


あたしは手を血で真っ赤に染めて、両肩に展開する4枚の装甲と鋼線が繋がった手錠のような捕獲機械を、フレキはでかいハンマーと鉄杭が連結された凶悪な武器を手に入れた。

「なあ、フレキ。狩狼官の中には機械を使う奴もいるんだよな。だったら狩狼官のふりして、人間からも人狼からも根こそぎ奪ってやらねえか?」
「なんだよ、その発想。最悪過ぎるだろ……」
「奪って奪って使い切れない大金手に入れて、こんな土地からおさらばしてやろう」

あたしたちは騙して奪う側に回った。
かつて仲間だった人狼も襲ったし、人間からも奪った。なるべく金持ちから奪うように心がけて、その中でも嫌われ者の金持ち相手なら追っ手が生ぬるいことも学んだ。

そして3年近く経ち、あたしたちは頭の螺子が外れた金持ちの老人を次の標的にした。
毛皮のフードを目深に被って人狼であることを隠しながら、ワシュマイラの町に潜り込んで、とうとうそいつと出会ってしまった。


ウルフリード・ブランシェット。
母親譲りの赤い髪に母親によく似た甘い匂い……すぐにウルの娘だとわかった。
そいつは母親に似ても似つかない鋭い狩人の目をしていて、目敏くあたしの機械に気が付いた。そしてあたしたちの獣の臭いを手繰り寄せたのか、執拗に調べ上げたのか、あたしたちの前に再び現れた。

きっと復讐に来たのだ。あたしたちを再び地獄に突き落とすために――


「ゲリ、こいつもしかして……」
「ああ、間違いねえ。ウルの娘だ。敵討ちに来やがったんだ!」

あたしの手に入れた捕獲機械は制御が難しく、最初はひとつ操るのでさえ苦労した。だが、3年間鍛えに鍛えて、今では装甲1枚につきふたつ、最大で8個の捕獲機を同時に操れるまでに至った。
はっきり言って敵はいない。どんなに腕が立っても同時に戦えるのは4人まで。こっちは8個の捕獲機にあたしの腕が2本、10の武器がある。

ウルフリードに奇襲を仕掛けたまではよかった。あいつは背部に推進器のついた大型の機械で加速しながら、鋏のような二本の大振りの剣を振るったが、あたしに捉えられない速度ではなかった。
さすがに質量が大きすぎてがんじがらめにするのは一苦労だったが、捕獲機を剣に絡ませて動きを徐々に奪っていけば、あっという間にもう1本の剣、背部ユニットに推進器、機械を止めるのに7個を使って、最後にウルフリードの左腕を捕らえた。

ここまではよかった。

あとはフレキが頭を貫いて終わり、そうなるはずだったのに油断した。油断して余計なことを口走った。
お前も母親のところに送ってやる――まるで三下のやられ役の馬鹿みたいな台詞だ。

ウルフリードは二振りの剣と背部ユニットを捨てて、強烈な光を発するなにか弾のようなものを発射した。
あたしは一瞬のうちに視界を奪われて、なにか金属の塊のようなもので鼻っ柱を叩かれた。奴の右腕に大頭の蛇のような形の装甲が纏わりついていて、どうやらそれで殴られたようだった。

視界が歪む、目の奥で火花が散る、鼻と喉に血が詰まって息が止まる。
捕獲機が制御できない。このままだと逃げられる。

視界の端からフレキがハンマーを振り上げて躍り出る。
1発は鉄杭で奴の装甲の後ろ半分を削った。2発目は装甲を正面から貫いたが、角度がよくなかった。腕と平行に滑るように鉄杭は撃ち込まれて、そのまま大蛇のように噛みつかれてハンマーを奪い取られた。
そのまま左拳で顎を撃ち抜かれて昏倒する。

このままだとヤバい。
足が動かない。上半身が起き上がってくれない。
怒り狂った狼のような獣が覆い被さってくる。石のように硬い拳が顔の上に次々と降ってくる。叩いて叩いて拳が折れるのも構わない力で叩き続けてくる。

怖い。
フレキ、助けて。
じいさん、みんな、父さん、母さん、ウル……

頭の中でありもしないはずの鐘が鳴り続ける。
視界が瞬きも許さない速さで赤く染まる。
真っ暗な群青色の空が、赤黒く塗り潰されていく。
満ちた月が不気味なほどに赤い。

飛びそうになる意識の中で、腰の後ろで震えるような感覚が響く。
毛が逆立つような激しい嫌悪感。本能が拒絶する獣の臭い。悪魔に尻尾を握り締められたような恐怖。


間違いない、こいつは私たちと同類。同種の生き物、人狼だ――


「………! ……………!」


フレキがなにか叫んでいる。

ごめん、なに言ってるか全然わかん……


「       」



(続く)


狩狼官の少女のお話、第17話です。
世界の暗く陰鬱な側面の話ですが、次回に続きます。