にっき、はち②
なぜそう嫌な感じになってしまったのか考えてみた。
相手は聞いて欲しいだけ。
なのに表面上からは見えない部分をことば片隅から探って考え、何となく察してそれが合っているのかはわからないけど相手が言われたら気持ちが良いであろう言葉を探してしまうからだ。
いつからそうなんだろうと考えた。
中学生の時思ったことを言ったら
いじめまでいかないけど何となく距離を置かれたことがあった。何度もあった。
グループの中に居ても側から見たら楽しそうなのかもしれないが輪の中で孤独だった。
そこから何となく人に嫌われたくない気持ちが自意識過剰になって生まれてしまった。
誰もいなくたっていい。わたしはわたし!
と思える考え方には憧れすら覚えるけど、生憎それができない小人でしかないのもわかっている。
今この文章を書いてる事もストレスだ。
苛立ちでしかない。
自分のことを掘り返すことはとてもストレスだしやらなくてもいい事なのかもしれない。
ただ、誰も掘り返さない土はとてつもなく硬くなって手に負えなくなってしまう。
砂漠にはたまにしか人が通らなくなる。
硬い土なんてどうしたいとも思わない。
こつこつ嫌な作業を一生続けるしかない。
今回のことは言い方やニュアンスひっくるめて自慢話を聞かさせれてる捉え方をしてしまった。
最終的にはどうでもいいけど
この葛藤は続く。
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